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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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#祈り

孤独ではない

孤独ではない

前回の100分de名著「古今和歌集」での、当該の和歌について、もう少し考えてみようかと思う。
 
月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど (大江千里)
 
秋は私にだけやってくるわけではないけれど、自分だけに秋が来たような気がする。「物こそかなしけれ」の強調は、そこをこそ詠嘆の要とすべきところであるはずだ。それは正道である。
 
だが、司会者がこれを、自分だけではない、という方

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響け!ユーフォニアム

響け!ユーフォニアム

インターネットが使える時代というのは、なんともありがたいものである。かつてテレビ放送を見逃したら、もう二度と見られないというのが当たり前だった時代があった。それが録画できるようになり、たいへん便利になったが、録画しそこなうと、もう終わりであった。その後、見たい映画やアニメが、レンタルビデオで見られるようになったことは画期的だった。しかしいまや、インターネットが当たり前になった。外に借りに行ったり返

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ペトロの失敗の向こうに

ペトロの失敗の向こうに

受難週の祈りの場に招かれたとき、ペトロの否認の場面が開かれた。その後、初代教会の主軸となったペトロからすれば、恥ずかしい話である。だが、それはペトロ自身が、教会で繰り返し説いて話したからこその記事であるのだろう、という紹介があった。今日はそのことについて祈ろうと思う。
 
もちろん推測ではあるが、長老ペトロは、もちろん失敗を誇示するつもりはなく、自分はこんな失敗をやらかした、と痛恨の思いで幾度も語

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受難週の祈り

受難週の祈り

十字架を巡っては、様々に思うことがある。深く感ずるところがない、というのは、キリスト者としてありえないことであろう。
 
年がら年中、十字架のメッセージでもよいくらいだ。だが、福音はそればかり口にしていてよいわけがない。パウロはどちらかというと、そこに焦点を当てていたのであろうが、それはパウロが、イエスの地上生涯とその旅、宣教などについて、直に知るところがなかったことにも関係すると想像される。
 

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戦

いろいろと不満というものはあるだろう。それと戦うということは、もちろん悪いことではない。また、それが誰か他人のために戦うというのであれば、ぜひともやるべきだ、というような情況は確かにある。
 
しかし、自分のプライドや感情のために、そして自分だけの正義のために戦うというのは、いろいろな意味でもったいないものである。エネルギーのロスである。損失が発生するかもしれない。たとえ勝ったとしても、実入りがな

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吉野弘の漢字の詩に

吉野弘の漢字の詩に

吉野弘という詩人がいた。学校の教科書で知ったが、私の心につながるものを感じた。好きな詩人のひとりである。その得意とした分野に、漢字を扱った詩が多々ある。私はその趣味は好むものではないのだが、くすっと笑ってしまうのは確かだ。
 
そんな中で、深く考えさせてしまうものもある。引用させて戴く。
 
   表裏
 
  「裏」の中に「表」があります
  裏を見れば表もわかるのが世の常
  「表」だけに目を

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『キリスト者として生きる』

『キリスト者として生きる』

(ローワン・ウィリアムズ・ネルソン橋本ジョシュア諒訳・西原廉太監訳・教文館)
 
ある方に強く薦められた。信頼している方なので、迷いなくすぐに注文した。訳者についてはそのあとがきで知ったが、若い方だった。しかし訳文は的確だろうと思われる。ひじょうに読みやすいし、内容もスムーズに伝わってきた。その訳の原稿を読むのを手伝った人の一人もまた若い人だったが、知っている人だったので、不思議なつながりを覚えた

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沖縄

沖縄

差別は、自分はしていない、と言える者はいないだろう。「つもり」ならまだ分からないでもないが、きっぱり言い切ると、その人はもはや信頼の置けない人間だということを天下に示すことになるだろう。
 
私も、絶対にそんなことはしていない、などと言うつもりはない。ただ、こと沖縄については、そのようなことは決して言わないだろう、と思えることがある。実際に聞いた言葉である。
 
「沖縄には、米軍施設の7割が押しつ

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挨拶

挨拶

(6月から、聖書協会共同訳を標準にします)
 
   ささやかな平和
 
 マンション生活の特徴の一つに、やたらご近所さんと顔を合わせるというのがある。
 たしかに深い交わりは少ないかもしれないが、いつも見る顔と頻繁に会い、あげくは狭いエレベーターで二人きりになるということもしばしばである。
「こんにちは」「しつれいします」
 その場だけのつきあいではあるが、あいさつは欠かせない。子どもの中には、

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祈りと説教

祈りと説教

ほかの人のために祈ることを、「執り成し」という。京都の教会にいたときは、私もずいぶん若かったから、お年寄りの教会での祈りを、しみじみ聞いていた。Nさんというおばあちゃんがいて、もう礼拝にもあまり出てくることができませんでしたから、牧師がそのNさんをよく訪ねていたので、礼拝説教の中でも触れることがあった。
 
祈りの課題を、もはやなかなか覚えていられない。そこで考えたNさんは、紙に書くことにした。こ

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祈ります

祈ります

大阪での新規感染者の増加が著しかったが、その数字が各地方へ飛んでいる模様です(大阪に住む方々が安心できるようになることを願っています、いえ、どこででも)。人の動きがある限り、新型コロナウイルスの感染拡大は、簡単にはなくならないように見えます。
 
大阪では、亡くなる方が多いことで心が痛みます。苦しかったことでしょう。また、その家族な身内の方々の苦悩と悲しみも、想像を絶するものがありましょう。高齢の

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コロナ禍を乗りこえる心

コロナ禍を乗りこえる心

コロナ禍の中で、聖書は何を叫ぼうとしているだろうか。そんなことを考える。聖書の中にも疫病は幾度か登場する。新旧約全体で66節に登場するが、エレミヤ書とエゼキエル書に多く目立ち、それはむしろこれから悪をなすと疫病で死ぬ、というような呪いめいた言い方のようである。しかし旧約の書のあちこちに出てくる単語であるから、古来人類を悩ませるもの、好ましからざるものとして、人間がしかも太刀打ちできないものとして捉

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