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詩 | 愛の形をしたゲーム機
伸びた麺を啜って、落ちた日を追いかける妄想をする。決してシンプルではない色らが、僕の後ろに立って並んでいる。
色らはみな一様に、たった一つの抽象的な欲望を持っている。それが背中に当たる物質的な熱でわかる。その欲望の始まりを辿れば、僕の人生は終わらなくなる気すらする。
カーテンを開ければ、そこには単色の世界が広がっている。パソコンの光が照らす机の一部は、それに慣れてもう光っていない。ここは
小説『ガラスのクラゲ』
X以前 彼が通う学校では、全生徒が同じ制服を着ることになっていた。
気候の話を抜きにすれば一見退屈に見えた学園生活は、わずかな綻びから急速に崩壊へ向かった。
ある日の放課後、生徒の一人であるYが二階の教室の窓から飛び降りた。この時Yが運よく死んでいれば、綻んだかのように見えた閉鎖的な学校社会はすぐに自ずから修復し、完全な安定を取り戻していたかもしれない。
二階という高さは死ぬには低すぎた
内なる狂気をいかに解消するか
みんな心の中でトンデモナイ妄想や空想をしたことがあると思う。例えばこんな妄想である。
さて、これらのような妄想は、無論妄想の域を出ない。それは僕が社会性を身につけているからか、あるいは他者に特定の行動を要請するからだ。
しかし、これらの狂気じみた妄想は、「欲望を伴う」という性質からして、解消しないわけにはいかない。食欲はご飯を食べることによって、性欲は性行為か自慰行為をすることによって、解消さ
カラオケアフターエッセイ
1. 人間同士は全く分かり合えない、この寂しさ僕たち人間は、日々さまざまな情報を交換しあっている。
家ではLINEでメッセージを送り合い、Twitterでつぶやきを覗き見し合い、いざ対面すれば会話をし、目線を送り合い、身振り手振りで気持ちを表現し、あるいは路上で歌を歌ったり、絵を展示したり、小説を書いたり、とにかく多様な情報を交換しあっている。
そして僕たちはここで受け取った情報をもとに、その
ある、哲学に関する講義の、感想
講義中盤の<ポストモダンにおける人文学>の話の中で、モダン科学に対する懐疑(「本質の存在の有無」の側面)への言及がありました。そして、ポストモダンの立場は、
「ある事物においては、絶対的な本質は存在しない。存在するのはただ他の事物との差異や、そこにおいて発生する他の事物とのあらゆる関係だけだ。」
という解説がありました。ここで思ったことが二点有ります。
1 人間や個人は、ある事物に含まれます