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向陽ヶ丘の空の下から #3 10歳の志から
このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。
最初の段落までは無料でお読みいただけます。
なければつくればいい今思えば、衣食住に関してはそれなりに困らない幼少期だったと思います。働いて、そして自分で仕事をするようになり、この点については、年々、両親への尊敬の念を強くするようになってきました。
とはいえ、幼少期というのは、時
ドラゴン桜を見ていて思う。親子だからこそ、ボタンの掛け違いを修正するのは難しいことがある。普段から一緒にいるから、「言わないでもわかるでしょう」がお互いの心の中に生まれる。本当はあんな形でなくても相談し合える家庭が理想だが、そうでない場合、子供の気持ちを思うと胸が痛くなる。
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 6 集団と個〜
あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。
前回は、予後を心配して「今から◯◯できなかったら…」というお話など、先を心配しすぎることを、「転ばぬ先の杖?」と題してお話ししました。
今回は、「集団と個」と題し、「何者か」になるための教育のあり方について考えたいと思います。
ハイコンテクスト文化あまり多くを語らないうちに、いろいろなことを感じ取ったり察したりして、行動に移す文化
向陽ヶ丘の空の下から #2 丘の上の幼虫
このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。
最初の段落までは無料でお読みいただけます。
「土壌づくり」を考える中で学力向上には、ただ表面的に知識を詰め込むだけではなく、入ってきた知識を種として、それを育むための土壌、つまり「心」が大切と考える私は、この教室としてどこまで、そこに踏み込むべきか?ということを、5年間愚直に追い
向陽ヶ丘の空の下から #1 独り想う
このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。
最初の段落までは無料でお読みいただけます。
太陽に向かう丘網走市向陽ヶ丘。
私が生まれた昭和60年当時は、オホーツク海を見渡せる小高い丘の上に、ちょっとした住宅街があるような感じの地域だった。
誰が名をつけたのか。今思えば、実によくできた街区名だと思う。
朝,街場へ繰り出す
向陽ヶ丘の空の下から #0 はじめに
網走というまち人生のちょうど半分を過ごした、生まれ故郷である北海道網走市。
映画「網走番外地」もあいまってか、「最果ての監獄」というイメージを持たれている方も多いと思うのだが、オホーツクの海と4つの湖、空気の美味しい森、広大な畑作エリアなどを擁する、豊かな自然に囲まれた暮らしやすい街だと思う。
市街地から直線距離でおよそ32km離れた、藻琴山の美味しい湧水は、先人たちの多大なる労苦の末に敷設さ
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 5 転ばぬ先の杖?〜
あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。
前回は、「親子関係」についてお話しました。
親子であっても、生まれた瞬間から別の人間だということ。
考えてみれば、それを思い知らされる場面も少なくないのではないでしょうか?
今回は、「転ばぬ先の杖?」と題し、育児・教育、特にある程度成長してからのお子さんに、よく期待されてしまうものについてお話したいと思います。
「今から◯◯でき
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day4 親子関係〜
あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。
前回は、学びの主体性を支える「個の尊重」についてお話しました。
今回は、新要領下での学びへの「種まき」をするにあたって必要となる、「土台」作りの部分、とくに「親」について考察したいと思います。
人の言葉を「微分」する一旦話は逸れますが、私は高2まで理数系科目が大の苦手でした。しかし、いま理数系科目も見させていただくようになった中で
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day3 個の尊重〜
あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。
前回は、「学びの主体性」に着目して、「やらされ感」からの脱却についての、当教室の取り組みをご紹介させて頂きつつ、その難しさをお示ししたところでした。
今回は、学びの主体性を支える「個の尊重」について思うところを書きたいと思います。
みんなちがって、みんな…?見出しはもちろん、金子みすゞさんの「わたしと小鳥と鈴と」の有名な一節です。
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 2 主体的な学びのむずかしさ〜
不定期連載となります、この“わたしたちは「何者か」になれるのか?”。
少なくとも「自分」であることには変わらないので、”「何者か」になれるのか“という書き方に、違和感を覚えた方もいらっしゃるかと思います。
否、違和感を感じて頂けたなら、むしろ幸いなのです。
ここでいう「何者か」は、どこからどう見ても理想的な、いわゆる「デキる人」を想定した表現なのです。著しく有名であったり、著しく活躍し
わたしたちは「何者か」になれるのか?~Day 1 問題提起~
新学習指導要領の目指すものとは? 私は北海道室蘭市で、個人塾「共生舎」を開業し、現在6年目を迎えています。私の教室では、小学生から高校生、専門学校生、そして一般の方と、あらゆる受講生さんが所属しており、それぞれのニーズにできるだけ柔軟に対応するよう心がけております。
2016年の開業時にはすでに、私は、新しい学習指導要領が「主体的・対話的で深い学び」を掲げ、「生きる力」を育むことに力を入れるこ