髙橋 慎吾

北海道室蘭市にある個人塾「共生舎」・オンライン学習塾"55learning&…

髙橋 慎吾

北海道室蘭市にある個人塾「共生舎」・オンライン学習塾"55learning"代表。元金融機関職員。日々の教育情報、児童心理や発達のことなど、知識と経験のアップデートを継続。別な顔:北海道観光マスター(A11-0105-0001)、通訳業、デザインなどなど。

マガジン

  • わたしたちは「何者か」になれるのか?

    【共生舎5周年記念事業】 新しい学習指導要領が絵に描いた餅にならないように。 取り残されたと感じる子供やご家庭に寄り添えるように。 現場の先生方の労苦への敬意と感謝を示せるように。 未来の担い手と、その育成に関わるすべての人に捧ぐ。

記事一覧

先生だって学ぶ。

お久しぶりです。 私自身の実践の記録のために、 そして、勉強して何になる?という人のために、 私がこれまで 見てきたこと、してきたことの蓄積が 皆様にとって有益な…

4

学びにも多様性を 2

世界のつながりと隔たり オンライン教育がかつてないほど盛んになり、これからますますそれが普及してくることになるでしょう。利便性が増す一方、手を打たなければならな…

3

学び方にも多様性を 1

また感染拡大の局面を迎え、首都圏では休校やオンライン活用の動きも見られているようですが、地方でも学級閉鎖の動きが出てきています。また、テレビのCMでも、大手の教室…

4

昨日の授業より。教室向かいのイルミネーションを撮りたい!と。こういう感性も大切だと思います。

2

向陽ヶ丘の空の下から #3 10歳の志から

このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。 最初の段落までは無料でお読みいただけます。 …

100
3

学業は何のため?

「数学を勉強する意味がわからない」はい。私自身も、高3まではそうでした。 基本的な部分は、「だいたいこの領域で生きてくるのだろう」とは、うすぼんやりと想像はつい…

7

ドラゴン桜を見ていて思う。親子だからこそ、ボタンの掛け違いを修正するのは難しいことがある。普段から一緒にいるから、「言わないでもわかるでしょう」がお互いの心の中に生まれる。本当はあんな形でなくても相談し合える家庭が理想だが、そうでない場合、子供の気持ちを思うと胸が痛くなる。

3

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 6 集団と個〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。 前回は、予後を心配して「今から◯◯できなかったら…」というお話など、先を心配しすぎることを、「転ば…

5

向陽ヶ丘の空の下から #2 丘の上の幼虫

このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。 最初の段落までは無料でお読みいただけます。 …

100
1

向陽ヶ丘の空の下から #1 独り想う

このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。 最初の段落までは無料でお読みいただけます。 …

100
4

向陽ヶ丘の空の下から #0 はじめに

網走というまち人生のちょうど半分を過ごした、生まれ故郷である北海道網走市。 映画「網走番外地」もあいまってか、「最果ての監獄」というイメージを持たれている方も多…

4

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 5 転ばぬ先の杖?〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。 前回は、「親子関係」についてお話しました。 親子であっても、生まれた瞬間から別の人間だということ。…

1

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day4 親子関係〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。 前回は、学びの主体性を支える「個の尊重」についてお話しました。 今回は、新要領下での学びへの「種ま…

3

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day3 個の尊重〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。 前回は、「学びの主体性」に着目して、「やらされ感」からの脱却についての、当教室の取り組みをご紹介さ…

4

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 2 主体的な学びのむずかしさ〜

 不定期連載となります、この“わたしたちは「何者か」になれるのか?”。  少なくとも「自分」であることには変わらないので、”「何者か」になれるのか“という書き方…

6

わたしたちは「何者か」になれるのか?~Day 1 問題提起~

新学習指導要領の目指すものとは? 私は北海道室蘭市で、個人塾「共生舎」を開業し、現在6年目を迎えています。私の教室では、小学生から高校生、専門学校生、そして一般…

7

先生だって学ぶ。

お久しぶりです。

私自身の実践の記録のために、
そして、勉強して何になる?という人のために、

私がこれまで
見てきたこと、してきたことの蓄積が
皆様にとって有益なものになればと思い、

塾長が学んでいることも
こちらに書いていきたいと思います。

「独学でやるな」?最近になってからずっと、

集客に必要となるホームページの構成の手直し、
ランディングページづくり、SEO対策、
ヒートマップ、セ

もっとみる
学びにも多様性を 2

学びにも多様性を 2

世界のつながりと隔たり

オンライン教育がかつてないほど盛んになり、これからますますそれが普及してくることになるでしょう。利便性が増す一方、手を打たなければならないことも多々あることと思います。

画面の向こう側で、本当に学ぶ姿勢でいられるのか。
画面の向こう側で、いたずらをしていないのか。
などといった消極的な懸念から、

画面の向こう側で、どんな問題やテーマに直面すれば、どんな反応をするのか。

もっとみる
学び方にも多様性を 1

学び方にも多様性を 1

また感染拡大の局面を迎え、首都圏では休校やオンライン活用の動きも見られているようですが、地方でも学級閉鎖の動きが出てきています。また、テレビのCMでも、大手の教室さんがオンライン授業を行うと宣伝を始めています。

私の教室でも、地方の個人塾としては比較的早期にオンライン授業を実施し、また、昨年9月より全国対応を開始しました(広告にお金をかけられない極貧教室なので、まだ全然知られていないのですが)。

もっとみる

昨日の授業より。教室向かいのイルミネーションを撮りたい!と。こういう感性も大切だと思います。

向陽ヶ丘の空の下から #3 10歳の志から

向陽ヶ丘の空の下から #3 10歳の志から

このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。

最初の段落までは無料でお読みいただけます。

なければつくればいい今思えば、衣食住に関してはそれなりに困らない幼少期だったと思います。働いて、そして自分で仕事をするようになり、この点については、年々、両親への尊敬の念を強くするようになってきました。

とはいえ、幼少期というのは、時

もっとみる
学業は何のため?

学業は何のため?

「数学を勉強する意味がわからない」はい。私自身も、高3まではそうでした。

基本的な部分は、「だいたいこの領域で生きてくるのだろう」とは、うすぼんやりと想像はついたものの、関数の場合分けや数列の問題などが記述式試験で出てきた日には、だいたい頭から煙が出るような生徒でした。思考回路がショートしたわけです。

高校最後の一年で、とことん数学と向き合いました。
(当時の)センター試験で数学が必須だったか

もっとみる

ドラゴン桜を見ていて思う。親子だからこそ、ボタンの掛け違いを修正するのは難しいことがある。普段から一緒にいるから、「言わないでもわかるでしょう」がお互いの心の中に生まれる。本当はあんな形でなくても相談し合える家庭が理想だが、そうでない場合、子供の気持ちを思うと胸が痛くなる。

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 6 集団と個〜

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 6 集団と個〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。

前回は、予後を心配して「今から◯◯できなかったら…」というお話など、先を心配しすぎることを、「転ばぬ先の杖?」と題してお話ししました。

今回は、「集団と個」と題し、「何者か」になるための教育のあり方について考えたいと思います。

ハイコンテクスト文化あまり多くを語らないうちに、いろいろなことを感じ取ったり察したりして、行動に移す文化

もっとみる
向陽ヶ丘の空の下から #2 丘の上の幼虫

向陽ヶ丘の空の下から #2 丘の上の幼虫

このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。

最初の段落までは無料でお読みいただけます。

「土壌づくり」を考える中で学力向上には、ただ表面的に知識を詰め込むだけではなく、入ってきた知識を種として、それを育むための土壌、つまり「心」が大切と考える私は、この教室としてどこまで、そこに踏み込むべきか?ということを、5年間愚直に追い

もっとみる
向陽ヶ丘の空の下から #1 独り想う

向陽ヶ丘の空の下から #1 独り想う

このエッセイは、北海道室蘭市「共生舎」5周年を記念し、教室づくりに活かしているこれまでの経験を書き連ねたものです。

最初の段落までは無料でお読みいただけます。

太陽に向かう丘網走市向陽ヶ丘。

私が生まれた昭和60年当時は、オホーツク海を見渡せる小高い丘の上に、ちょっとした住宅街があるような感じの地域だった。

誰が名をつけたのか。今思えば、実によくできた街区名だと思う。

朝,街場へ繰り出す

もっとみる
向陽ヶ丘の空の下から #0 はじめに

向陽ヶ丘の空の下から #0 はじめに

網走というまち人生のちょうど半分を過ごした、生まれ故郷である北海道網走市。

映画「網走番外地」もあいまってか、「最果ての監獄」というイメージを持たれている方も多いと思うのだが、オホーツクの海と4つの湖、空気の美味しい森、広大な畑作エリアなどを擁する、豊かな自然に囲まれた暮らしやすい街だと思う。

市街地から直線距離でおよそ32km離れた、藻琴山の美味しい湧水は、先人たちの多大なる労苦の末に敷設さ

もっとみる
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 5 転ばぬ先の杖?〜

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 5 転ばぬ先の杖?〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。

前回は、「親子関係」についてお話しました。

親子であっても、生まれた瞬間から別の人間だということ。
考えてみれば、それを思い知らされる場面も少なくないのではないでしょうか?

今回は、「転ばぬ先の杖?」と題し、育児・教育、特にある程度成長してからのお子さんに、よく期待されてしまうものについてお話したいと思います。

「今から◯◯でき

もっとみる
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day4 親子関係〜

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day4 親子関係〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。

前回は、学びの主体性を支える「個の尊重」についてお話しました。

今回は、新要領下での学びへの「種まき」をするにあたって必要となる、「土台」作りの部分、とくに「親」について考察したいと思います。

人の言葉を「微分」する一旦話は逸れますが、私は高2まで理数系科目が大の苦手でした。しかし、いま理数系科目も見させていただくようになった中で

もっとみる
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day3 個の尊重〜

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day3 個の尊重〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。

前回は、「学びの主体性」に着目して、「やらされ感」からの脱却についての、当教室の取り組みをご紹介させて頂きつつ、その難しさをお示ししたところでした。

今回は、学びの主体性を支える「個の尊重」について思うところを書きたいと思います。

みんなちがって、みんな…?見出しはもちろん、金子みすゞさんの「わたしと小鳥と鈴と」の有名な一節です。

もっとみる
わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 2 主体的な学びのむずかしさ〜

わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 2 主体的な学びのむずかしさ〜

 不定期連載となります、この“わたしたちは「何者か」になれるのか?”。
 少なくとも「自分」であることには変わらないので、”「何者か」になれるのか“という書き方に、違和感を覚えた方もいらっしゃるかと思います。

 否、違和感を感じて頂けたなら、むしろ幸いなのです。

 ここでいう「何者か」は、どこからどう見ても理想的な、いわゆる「デキる人」を想定した表現なのです。著しく有名であったり、著しく活躍し

もっとみる
わたしたちは「何者か」になれるのか?~Day 1 問題提起~

わたしたちは「何者か」になれるのか?~Day 1 問題提起~

新学習指導要領の目指すものとは? 私は北海道室蘭市で、個人塾「共生舎」を開業し、現在6年目を迎えています。私の教室では、小学生から高校生、専門学校生、そして一般の方と、あらゆる受講生さんが所属しており、それぞれのニーズにできるだけ柔軟に対応するよう心がけております。

 2016年の開業時にはすでに、私は、新しい学習指導要領が「主体的・対話的で深い学び」を掲げ、「生きる力」を育むことに力を入れるこ

もっとみる