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わたしたちは「何者か」になれるのか?〜Day 5 転ばぬ先の杖?〜

あたらしい学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」。

前回は、「親子関係」についてお話しました。

親子であっても、生まれた瞬間から別の人間だということ。
考えてみれば、それを思い知らされる場面も少なくないのではないでしょうか?


今回は、「転ばぬ先の杖?」と題し、育児・教育、特にある程度成長してからのお子さんに、よく期待されてしまうものについてお話したいと思います。

「今から◯◯できなかったら」?

「今から勉強の癖をつけておかなかったら、この先ずっと勉強しなくなる」

「今からコミュニケーションがうまく取れなかったら、この先ずっと苦労する」

などなど。
育児・教育の現場で、よくこういった論調を耳にしませんか?

では、そうならないようにするには、どうしたらよいのでしょうか?
「当たり前だから」「みんな通る道だから」とやらせるのでしょうか?

実は、「みんな通る道」の内容が、今回大幅に変わっているので、自分の経験談をそのまま、現代の子どもたちに当てはめるわけにはいかないでしょう。

そして、今からそれができなくても、自分次第でできるようになることも、たくさんあるのです。

この言葉に隠された思いとは?

問題は、その「できるようになった」瞬間に、親・先生・大人が「立ち会えない」ことの残念さを、この論調にすり替えていないか?ということなのです。

極端な例ですが、自転車でいえば、「自分の目の前で補助輪を外して乗れなかったら、どれだけ補助輪を外して乗っていても認めない」と言っているのと同じです。

それでいて、「間違えた乗り方をして怪我をしてはいけないから、まだ補助輪が必要だ」と決めつけてしまっているのと同じです。怪我のリスクを恐れてばかりいては、いつまでも補助輪を外せないでしょう。

杖や補助輪を用意しすぎず

たしかに、我々大人からすると、「それぐらい…」と思ってしまい、イライラする場面もあると思います。

でも、ちょっと待ってください。

自分は、その年代のとき、今と同じ条件で、色々なことをこなすことができたのでしょうか?

そして、できないからこそ、今自分がどうにか、杖や補助輪を用意したり、なんだったら自分がそれになろうとしていませんか?

理想としては

ハラハラしますが、覚悟を決めて「転んだりつまづいたりするのを見守り」「本当に必要な時にだけ手を貸す」ということも、必要になってくるのではないかと思うのです。

このことは、うすうす、保護者や先生を含む大人たちもわかっているのではないでしょうか?

もしかしたら、「自分はそうやってしてもらったら、いつまでも引き伸ばす癖や甘え癖がつくから、ダメだ!」と思われるかもしれません。

ですが、それはあくまで「大人になった今」「自分自身のことを」言っているのであって、「今の時代に」「自分ではなく子どもという存在が」必ずしもそうであるとは、限りませんよね。

次第に、杖や補助輪を減らしていける姿を、想像できるようになればいいですよね。

なぜそれが大切なのか?

「やらされてやる」のではなく、「自分から進んでやる」ことが大事なのです。

でも、そうするには、自信がないとできませんよね。

ましてや、新要領を端的に表せば、「自主自律」なのです。

「いつまでも私がいないと、自分から〇〇しないんだ」

では、一度思う通りにしてもらう機会も必要ではないでしょうか?

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