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向陽ヶ丘の空の下から #0 はじめに

網走というまち

人生のちょうど半分を過ごした、生まれ故郷である北海道網走市。

映画「網走番外地」もあいまってか、「最果ての監獄」というイメージを持たれている方も多いと思うのだが、オホーツクの海と4つの湖、空気の美味しい森、広大な畑作エリアなどを擁する、豊かな自然に囲まれた暮らしやすい街だと思う。

市街地から直線距離でおよそ32km離れた、藻琴山の美味しい湧水は、先人たちの多大なる労苦の末に敷設された給水管を経て、各家庭に届けられ、市民の渇きを癒す。

2月には、-15℃を下回る厳しい寒さに見舞われるが、同時に海面を真っ白に覆う流氷の姿を確認することができる。

太陽に向かって

私の生家のある向陽ヶ丘は、坂の中腹までは、オホーツク海に並行するように、北に向かって登るのだが、中腹を過ぎると住宅街が開けており、大きく西に曲がるといった地形だ。すなわち、文字通り、夕方は西日に向かって坂を登り、朝方は朝日に向かって坂を下りることになるのだ。

そして、私の生家は、向陽ヶ丘でも最北部の端っこに位置している。

よく、家の隣の芝生で寝転んで、空を見上げていた記憶がある。

そして、寝転びながら空想した記憶も、その内容まで鮮明に覚えている。

実は、そこで空を見上げながらの空想が、今に繋がっている部分がとても大きい。

25年前の関連記憶

さて、今私は、その網走から西南西へ320km離れた、北海道室蘭市で、個人塾「共生舎」を営み、6年目に突入したところだ。

私が室蘭という街を初めて知ったのは、小学校4年生の時、当時室蘭から転校してきた同級生と仲良くなったことだった。どんな街か、と尋ねると、製鉄所とサッカーで有名だと言っていた。ちなみに、本人もなかなかのサッカー少年だったようで、体育の時間は一目置かれていた。

そして、テレビのニュースで、定点観測カメラから映し出された室蘭の街は、10歳の私の脳裏に一定以上のインパクトを与えたのだった。

坂が多い。
曇りの日が多い。
道路が大きく、車も多い都会。

でも、どこか神秘的に感じられたのも事実。

当時は若干、この神秘的な街に魅せられる気持ちはあったのだが、まさかここまでのご縁になろうとは、思ってもみなかった。

では、なぜこの「室蘭」で、私は学習塾を開くことになったのか。

私の生い立ちや経験を踏まえ、それをこのシリーズで少しずつ明らかにしていきたいと思う。

※次号からは、このシリーズを有料noteにしたいと思います。宜しくお願い致します。

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