学業は何のため?
「数学を勉強する意味がわからない」
はい。私自身も、高3まではそうでした。
基本的な部分は、「だいたいこの領域で生きてくるのだろう」とは、うすぼんやりと想像はついたものの、関数の場合分けや数列の問題などが記述式試験で出てきた日には、だいたい頭から煙が出るような生徒でした。思考回路がショートしたわけです。
高校最後の一年で、とことん数学と向き合いました。
(当時の)センター試験で数学が必須だったから、というありふれた理由で。
最初は、苦行だったのです。
それなら英語の筆記試験で全国上位を維持し続けるため、英単語・文法・長文読解のスキルをさらに向上させたい、と思っていました。
数学から思考の整理へ
最初に言っておきますが、学習量の自慢をしたいわけではありません。
なぜなら、量で言えば、一般的な受験生の半分ぐらいしかできていなかったからです。
最初のうちは、学校の授業とそれに付随する問題集から着手しました。問題集の解答は、記述が要旨しか書いていなかったので、平均以下から始まった私からすると、いくら解答を見てもわからなかったのです。
そして、気づきました。
解答を見ても分からないのは、記述の間に埋もれている「基本的な考え方」がなっていないからだ、と。
そこから、自分の解いている問題に関連する領域の復習を同時に行うことにしました。模擬答案の余白スペースに関連領域の記述を加えて、自分なりにまとめていくことで、自分専用の参考書が書き上がったのです。
同時に、量も確保しておきたいと思ったので、あえてそれ用にノートをつくることはなく、チラシなどの裏紙に書き殴ることもしました。その後、必要に応じてA4コピー紙やルーズリーフに、整理しながら書き直したりしていました。
そうこうしているうちに、1日最低6時間を数学だけの時間に費やすことになったというわけです。さすがに片道1時間以上かかった通学や、場所の移動などもあるので、ぶっ通しではなく、通算での6時間なのですが。
学業の成果は後で活きる
盆暮正月も返上し、1日たりとも欠かさず、数学に毎日最低6時間を費やしたのですが、最初は苦行で仕方がなかったものが、楽しみにまでなってきていました。
自分の選んだ道の入り口には、数学が必要だったから…そんな理由で始めたのですが、学ぶ領域を横断したり深掘りしたりできたのは、「本当はもっとじっくり知りたかったのだ」という気持ちを思い出したからでした。
大学、そして前職で、数学から一旦離れることになりました。12年のブランクを経て、開業した個人塾で、もちろん数学も教えています。
そして、「何のために数学を学ぶ?」という、自分の中に生まれた疑問に対して、自分がたどり着いた結論は、「視点の切り替えと思考の整理」でした。
そして今
本業である塾は、一定のラインまでは到達できましたが、お恥ずかしながら6年目の今でも、これ一筋!というわけにはいかない状況です。
新進気鋭の若手創業者!とか、カリスマ性、インフルエンサー、などという世界からは、かなり遠い世界にいる(と思われる)現状です。
でも、視点を切り替えると。
創業から3年以内で廃業する事業体は、全体の80%といわれています。暗中模索しているうちに3年があっという間に過ぎたので、他の方に言われるまで気づかなかったのですが、そこは乗り切れていることになります。
まだこれ一筋!といかなくても、過去5年間はずっと業績を伸ばし続けています。コロナがあったにもかかわらず。
今年は流石にコロナ対応もあり、業績は昨年よりは落ち込んではいるものの、今教室を使ってくれている塾生のムードは格段と良くなってきています。
そして、これらを整理すると。
派手さはなくても、目先の生活は苦しくとも、どうにかこうにか生きていけているのが幸せなことだと気づくわけです。
道具としての学び
数式やその使い方自体は、たしかに直接的には使うことは少ないでしょう。
しかし、物事を整理して考えるときに、要素ごとに分類して組み立てることが必要になる場面は、多々あると思います。
私たちが知らず知らずのうちに行っている、そうした情報処理。
難しい出来事に遭遇した時に、「面倒臭い!」と流されてばかりいるのか、できることとできないこととを整理して、できることを積み重ねていくのか。
これから、自分の考えを表明しなければならない場面が多くなる現代社会ですから、せっかくですので、いろいろと分析したり活用したりする道具として、捉えてみませんか。
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