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わたしの歩んできた道とこれからの道
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行動してわかったことは望みは叶うということ

行動してわかったことは望みは叶うということ

踊って生きたい私の願いはとてもわかりやすい。踊りながら生きたい。ただそれだけだ。小さい頃からずっとそう思ってきた。

この中には稼ぎたいとか賞賛されたいとか勝ちたいが1ミリもない。なので、どう生活していくのかは全くわからず人生はお先真っ暗だったが、生きるのは好きなので死にたくはない。

踊りに現を抜かして生きるために教師という固い職を選んだら、就職氷河期第一期で非常勤講師しか無く、やはりお先真っ暗

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人生の転機について

人生の転機について

転機について考えるちょうど半世紀生きて、今は3月年度末。せっかくなので転機について考えてみた。

場の転機、踊りの転機3歳で現代舞踊に出会い、18でモダンダンスに出会った。舞踊団員を続けながら結婚出産した25から教え始め、子どもが小学生になって子育てが落ち着いた35から遠征公演などに積極的に参加。休みなく無償で働く日々に限界が訪れて42で組織を離れた。

3年間は思考の習慣のまま舞台づくりをしたけ

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怒涛の1年を振り返る

怒涛の1年を振り返る

何が変わるわけじゃないけど区切りに振り返るいつもなら毎日日が昇り沈む中で区切りがあるわけじゃないしと斜に構えるんだけど、今年はなんだか振り返ってみたくなったので、この一年を振り返ってみます。

一月からこれから始まる怒涛の日々をもう覚悟しているような始まりでした。一月末から父が三度目の入院をし、会社を一人でまわし始めます。

三月初めに息子が奇跡的に帰省して二人三脚の経営が始まりました。ホワイトデ

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今を生きる表現

今を生きる表現

もうすぐ四十九日父が亡くなりもうすぐ四十九日です。
長くて濃い一カ月半でした。

まずは仕事が継続していけるのか。

引き継ぎがなく不安だらけの中、記憶の中の見様見真似でスタートした経営でした。

利益がほとんどないリピート品の改善早くから気づいたのがリピート品の利益率の低さ。酷いとほとんど子どものお使いでした。

初めは怖いもの知らずでバンバン値上げ通知していましたが、相手方の反応を見て徐々に伝

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父が遺してくれたものは

父が遺してくれたものは

ホワイトデーに逝った父父は自分の誕生日や父の日、

バレンタインの催促は煩いのに、

お返しは一切しない人でした。

でも今年のホワイトデーは

一生分の気持ちを贈られたような気がします。

最期まで意識はハッキリしていて、

よもや自分が死ぬとは思わず、

でも個室に移され面会が許され、

好きなものを食べていいと言われて、

少しずつ観念したようでした。

店と母を頼むと言われ、

ありがとう

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法人名義変更の手続き

法人名義変更の手続き

覚え書き

法人名義変更について代表取締役交代のみの場合です。

臨時株主総会の議事録を作成します。

内容は
・現代表取締役が交代を申し出て、賛同を得た。
・次期代表取締役を委任、承認、契約する

中小企業の場合は実際のところ作成のみだと思います。

慣れていないなら行政書士に依頼して作成してもらいましょう!
出来上がったものに押印します。

次期代表取締役は自分の登録印を用意します。

自分の

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人生は諦めなければ思いもしなかった方向に貫くことができる

人生は諦めなければ思いもしなかった方向に貫くことができる

あれよあれよと流されてただ今の状況は3月も10日が終わろうとしています。

いきなり一人で金網屋の経営を任されて一か月。

通常業務に慣れてきました。

金網の知識も豊富になり、

仕入れ先やお客様と気負いなく

話せるようになってきました。

右も左もわからなかった経営を学び、

ルーティンが見えてきて

課題を把握できるようになって来たのが今です。

一か月ですごい進歩だと思います。

もちろ

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時間が全てにおいて穏やかにしてくれる

時間が全てにおいて穏やかにしてくれる

怒涛の日々が落ち着いてきましたいきなり決算期の経営交代から一か月が過ぎ、

だいぶ業務に慣れて来ました。

受発注、請求、見積もり、会計、税務労務、

金網切り、PC操作.帳簿業務、給料計算、

まぁ要するに全てですね。

最初は半日で終わり12時間寝込んでいましたが、

そこまでのプレッシャーを感じなくなりました。

時の流れは偉大ですね。

これであとは経営が改善していくかどうかの

舵取りを

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人生は喜劇なのかもしれない

人生は喜劇なのかもしれない

現実は物語りのように美しいままで終われない本や映画のストーリーはカタルシスを感じるように作られています。

涙が出てくるところではグワッと盛り上がるエピソードや音楽、場面が流れてきて気持ちよく涙が頬を伝っていくでしょう。

ところが現実はそう上手くはいかないモノです。

涙が込み上げてきたところで引っ込んでしまうような言動に出会うし、余韻に浸るゆとりもなかったりします。

私の現実で言うと、呼吸が

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現時点での思い

現時点での思い

父の容態と事業承継今、父は病院で最大限の酸素吸入をしながら小康状態を保っています。けれども回復兆候はなく家族はさまざまな決断を迫られそうです。

今日は初めて税理士さんに現時点での経営状況を教えてもらいました。前年度よりダウンしていて、いずれにしろ経営するほどに赤字が出ている状態であることが分かりました。

商工会議所の中小企業診断士の無料相談も活用してわかったことは、かなり厳しい現実でした。

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間質性肺炎と事業承継を考える・3

間質性肺炎と事業承継を考える・3

寒さは弱った人を直撃するこの一週間くらいの寒波で父の容態は転がり落ちるように悪化していきました。間質性肺炎から心不全を併発し、ちょっとした動作が短距離走をしたみたいにシンドい作業になっていきました。

それでも本人はなぜ急に悪くなったのか、前はなんともなかったのにと釈然としない様子で、一向に仕事の引き継ぎなど考えもしなかったのです。

この病態の厄介なところは自覚症状が動作時の息切れだけで痛む部位

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間質性肺炎と事業承継を考える・2

間質性肺炎と事業承継を考える・2

夏の終わりの状態悪化とカニューレ装着父の間質性肺炎について去年を振り返っています。たった1年前というのが信じられないくらいにどんどん変化していますね。

父は息苦しさから8月中旬に病院に行きましたが本人としてはちょっと診てもらうつもりだったようです。そのまま半月ほど入院することになりました。

この時は以前と違い面会不可になっていて母が毎日毎日電話で指示された大荷物を届けていました。

前回は個室

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間質性肺炎と事業承継を考える・1

間質性肺炎と事業承継を考える・1

父の間質性肺炎の経過と自営業の事業承継について何かの参考になればと遺しておきます。

20年前の診断20年前に父は間質性肺炎と診断されました。その時はレントゲン写真で明らかになっても自覚症状はなく、どこもなんともないのに恐ろしい病名をつけられて父は困惑していました。名前のショックでタバコは辞められましたが、体に何の異変もなく、そのうち父の中では無かったことになっていったようです。

20年の時間が

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勉強に机は要らなかった

勉強に机は要らなかった

世の中にいる少数派の話世の中の常識は私にとって非常識なことが多くて
小さい頃から苦労してきた。そんな話をこれから少しずつ小出しにしてみたい。

同じ苦悩を経験した人がいたらぜひ共感してほしい。

勉強机を買ったけど使わなかった話勉強机。小学校に上がる前に当然のように親が買おうと言った。祖父が買ってくれるのだと言う。家具屋かデパートか忘れたけど連れていかれて選べと言われた。

お洒落な色やデザイン、

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