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怒涛の1年を振り返る

何が変わるわけじゃないけど区切りに振り返る

いつもなら毎日日が昇り沈む中で区切りがあるわけじゃないしと斜に構えるんだけど、今年はなんだか振り返ってみたくなったので、この一年を振り返ってみます。

一月からこれから始まる怒涛の日々をもう覚悟しているような始まりでした。一月末から父が三度目の入院をし、会社を一人でまわし始めます。

三月初めに息子が奇跡的に帰省して二人三脚の経営が始まりました。ホワイトデーに父が他界。

相続手続き、会社の決算、会社登記変更届が一度にやって来て、やっと最近ひと段落したところです。まだ不動産登記変更届が残ってますね。

母の単独相続にしたので、士業の人に頼むのが勿体無いから全部一人で手続きしました。二度目は…やらないかな…やるかな…。

赤字経営を止血して、ギリギリの血液量で自力運営する方向に転換したので、毎月度胸の要る経営でしたが、仕事そのものは健全だったので助かりました。

地道にコツコツ健全な経営が性に合ってるみたいなので、金網屋はこじんまりと健康体にしてなるべく早く次の世代へ渡していこうと思います。

ダンサーではなくて身体表現者

今年は表現活動も充実していました。これはとても嬉しいです。極端な話ですが、小学生の頃から家族の葬式で舞台出れなくなったらどうしようと真剣に悩んでたんです。

個人活動して7年目。コロナ禍以降は舞台づくりをやめてご縁があるところで踊ってきました。




いろんな場所で身体表現した一年だったと思います。
人に、場に、ほんとうに恵まれました。

浜松、藤枝、牧之原、豊橋、二川、地域色豊かな場に行くことは表現者にとって喜びです。

初めて心から信頼できる身体表現者との共演も果たしました。

気づいたことは私はダンサーではなく、バレエの人でもなく身体表現者だったということです。

場や人を感じて身体表現するのが心地いいのが現在地点です。

舞台という場と路上パフォーマンスという場では表現に違いがあることも分かってきました。

音楽と共に表現する時と無音の時とでも違うし、音楽もメロディのある無しで違います。

全てその場に応じて変化して表現するものだとわかって、ほんとうに楽しくなりました。

身体表現もなんでもありだけど、表現者とそうでないものの違いはあるわけです。自身も表現者とそうでない時とありますから、そんなことを考えていると一生楽しめますね。

これが一番、今年の大発見です。

悲壮な覚悟で幕を開けた2023年でしたが、実り多き年になりました。

また、亡くなるということについて、哀しいよりは愛しさがあり、共に行くことを実感した年でもありました。

悲しんでいる場合ではないのです。あっという間に自分も同じ仲間になります。それすら哀しいことではないんです。

存在しない時間の方がほとんどだということに気づきました。そう考えると全てが奇跡で愛しいんです。

これからも大切に味わって生きていこうと思います。

いつも応援ありがとうございます。サポートしていただいたお礼はアートプロジェクト事業費として創造空間の作成やアーティスト活動、仲間への感謝の気持ちの一部とさせていただきます✨