杉浦麻友美
考えていること。
踊りについて
表現力とは何か?感情や感覚とのつながりについて考察したことを書いています。
今までの活動の忘備録です。お楽しみください。
公演を作っていく中で経験したこと、感じたこと
10月は納税の季節だった経営して思うのは納税だけ容赦ないってこと。他は融通が効くのに国だけは待たないのだ。しんどい月だった。なんとか払えてやれやれ。気持ちをパフォーマンスに切り替えよう。 霜月はパフォーマンスまつり11月は毎週パフォーマンスする。単純に喜ぶわけにはいかないくらい初体験が多いし、責任もある。もっと表現の引き出しが欲しいし、足りないのが悔しい。 四六時中パフォーマーであり、空間の区切りもないというのは初めて。出来事が決まっているわけでもないから当意即妙な対応が求
アーティストの定義は不定自分は世にいうアーティストではない。一般的にアーティストってその活動で生活を成立させている人という解釈が多い。そうなると違う。ただ、プロのアーティストであればあるほど、アーティスト気質だけでは成り立たない。 プロアーティストとアーティスト気質は別だと捉えている。更に言えば、アーティスト気質の中にも職人的気質と企画演出的気質と細分化される。 私は職人気質だ。動きを磨いて磨いて一本勝負したくなってしまう。ウケなくていい、わからなくていい、感じたい人に届
寒いのは苦手ウソみたいにあったかい、なんなら暑い10月下旬。11月の踊りや衣装考えてるけど、どうしても寒さを忘れて薄着にしてしまう。 これで寒くなったらどうするんだろうって思うけど、寒さに震えながら本番だけ寒さ忘れて踊るんだろね。動く時は動きやすいからね。 今回はキャラクター設定があってしかも街中パフォーマンスだから、すごく難しい。衣装が白だからずっと目立つはず。しかも女神だから超然としていたい。どう現れてどう消えるのか。挙動をどうやるか。一週間の長丁場。自身で口上が必要な
立場に寄って変わる見え方出会った一面のみで、あの人は非常識、思いやりがない、気が利かない、そういう価値判断は出来ないと思ってる。だから、簡単に人をこうだ、世間をこうだと決めつける言葉を聴くと腹が立って困る。 人は自分の生き方に基づいた思考形成をするから、どうしてもサンプル一つになりがちだ。それでも他人の思考形成に思いを馳せる人でありたい。 私は面白い人生を辿ってきた。長女、子ども、大人、娘、孫、妻、母、嫁、生徒、妹弟子、姉弟子、学校の先生、バレエの先生、バレエのアシスタン
夢って何だろう夜明けに妄想。遊ぶ時間。夢について語ろう。 私は夢を持ったことがない。強いて言えば一生踊って死ぬのが夢。踊りというか身体表現。体を通して世界と対話して生きたい。 作品を作ろうとは思わない。生きている体から出るものはすでに作品であるのと同義。生きることは老いることでもある。人は死を恐れるのに老いを回避しようとする。死を避ければ老いとの交換なのにね。 仕事と経営仕事は会社経営と合唱団振り付け、体メンテナンス指導、踊り手。常にやっているのは会社経営。事業承継して立
季節の変わり目?急に涼しくなったせいかもしれない。大きな仕事が終わったせいかもしれない。考え方や感情に変化が起きている。体は脱力感が付き纏っている。 まずは歯がガタガタだ。また歯医者通いが復活するかと思うとウンザリする。体は力が入らない以外は支障なく、逆に驚いている。 感情としては現状満足してる。良い仕事ができた。舞台も経営もこれで死んだら綺麗な幕切れだろうに残念ながら生きてるし生きるのが大好きなのだ。めでたしめでたしで終われないのが生きることなんだろう。 11月に毎週
長ずるにつれて周りと合わせるようになっていく。不必要な対抗心は持たなくなる。自分という存在は何も変わらないが凡になるように見えるだろう。 慢心するなと親は事あるごとに言ったけど、何で思い上がることがあるだろうか。 自分がどれだけ無様で不器用に生きているかよくわかっている。自分のみっともなさは自分が一番よく知っている。 だからこそ一瞬の煌めきを見てくれて感動してくれる人がいるのは手放しにうれしい。見知らぬ人が背中を見てくれて何かしら受け取ってくれた時、少しでも生きている甲
noteを書く時間noteってある程度まとまった時間で心に余裕があるときじゃないと書けない。今は駐車場の車中で外はひどい雨!スーパーに行く間にずぶ濡れになりそうで雨宿り。 無事にオペラ公演終わりました!オペラ公演「音詩劇 かぐや」無事に終了!誰も欠けずに2日間大勢のお客様に観ていただけたことがほんとうにうれしい。 みんなみんなものすごく協力していた。出演者はもちろんのこと、舞台スタッフも制作の方々もこの数日間は全てを捧げていたと思う。協力してくれた家族の皆さまにも感謝。
世の中にはルールがある決まりごとが10月からいろいろ変わる。郵便、銀行手数料。変わるというより値上がり。経営している以上、考えざるを得ない。 郵便で関わるのは請求書。メールに添付してみるかなと思うけど、個人で会社やってる人の中にはデジタル弱い人もいる。会社ごとの対応だと事務が煩雑になりそう。とはいえ、やってみるしかなさそうだ。 銀行手数料は避けて通れない。web口座を開くまでの使用はないので今のところは様子見する。 ルールと言えば会社の諸々の手続きや税金はほんとに煩わし
夏が過ぎ秋到来乗り越えられるか不安だった夏が過ぎた。合唱団の振り付け指導とオペラの立ち稽古を上手くこなして行けるか?結果的にどちらも全然大変じゃなかった。勇んで拍子抜けした感じ。 余裕があるわけじゃないけどなんとかなった。合唱団の公演が無事終わり、オペラの踊りに集中。本番まであと10日。 オーケストラでまだ一回しか踊ってないし、舞台稽古はこれから。舞台機構や舞台美術を駆使する中で踊るのでまだまだ未知数。 正直なところワクワクしてる。楽しいし幸せ。ただ踊りには満足していな
生きることそのものが表現ではあるけれど生きている姿は良きにつけ悪きにつけ、その人を表している。 自身としてはカッコ悪い姿は見せたくないから、都合の悪い表現は意図しないものになりがちでそれはある意味自然でもある。 良く見せたいというのは人にとって自然な感情である故に、その表現は不自然になりがちだ。 身体表現である舞踊も意図的な表現の一種であるけれど、その意に反してなるべく自然な体の表現に任せたいのが理想。自我の意図は外していきたい。 経営は表現する気もないけど、表現して
オペラの立ち稽古の真っ最中ただ今、オペラの立ち稽古の真っ最中。 今まで縁のあった人たち、新たに縁のあった人たちと共に人生の中で築き上げて来た経験を活かし舞台づくりに参加している。なんだか感動してしまう。 舞台づくりの一員として異空間に存在する時間がたまらなく愛しくて、こんな時によく思うのは今が死に時だなということ。今死んだら綺麗な人生だ。 私は小学生の頃から、恵まれた瞬間に出会うといつも今が死に時だな〜と思う変わった子だった。 さらに付け加えると、今が死に時だけど、生き
保守からの脱却?アクシデントに強いと思っているけど、体の内部については意外と保守的だ。食事や環境が変わって体調が変化するとパフォーマンスに響くし、元のペースに戻すのが大変だから、長期休暇とか旅行は大嫌い。食べ物の好き嫌いは無限にある。 いつも通りのペースで体を動かして、食べて寝る。そういう意味でとても頑固だ。大人になってから今までお盆休みに旅行に行くことなんてなかった。去年なんか相続税の書類作成と計算に追われていたし、バカンスとは無縁の人生だと決めていた感がある。 オペラ
新しい何かが始まった8月に入って新しい何かが始まった感覚がある。もちろん日々何かしら新しく始まっているのは承知の上で、ワザと認識してみたくなった。 身体表現関係では、合唱団の振り付けが先ずあった。これから団のカラーが変わっていきそうだから、新しい始まりと言えるかもしれない。 オペラの立ち稽古は来週から。これは当たり前に新しい始まり。…だけど、正直なところ舞台の仕事は原点に戻った感がありなつかしい。曲もメロディもあって振り付けするというのはこんなに楽なのか。自由に動けるスペ
夏枯れとはよく言ったもの鉄鋼業は繁期と閑期がハッキリしている。夏は夏枯れと父が教えてくれたけど、7月半ばまでは不安になるほどだった。なんか自分が失礼なことしたっけ?と落ち度を探してしまうくらいだった。 体力作りや読書やプロジェクト作成や書類整理は進むけど、心は晴れない。とりあえず会社運営には経費があるのだ。給与支払いとか仕入れ支払いとかね。今月はムリそうだから来月にしますとか出来ないから気ばかり焦ってしまう。 いや、出来ないとか見栄張らなくていいんじゃない?存続して確実に
最近ミスが多いので考えたタイトル通り。それ以上でもそれ以下でもない。表現活動でも経営でもミスが多いので、立ち止まって深呼吸しようと思う。 原因はせっかちなんだけど、なんでせっかちになっているのか。無駄に相手を思いやって善かれと思ったことが裏目に出るパターン。ハヤトチリがお決まり。 ということは、余計な早合点をした挙げ句の行動をやめたらいい。 変えていけることを変えていく具体的に出来ることと抽象的に出来ることを考えてみる。 まずは抽象的な方。ゆったりと人生を見つめる。究