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【小説】会社の近くに住む 2-8

 お互いにちびちびと飲んでいたコーヒーもなくなって、「ぼちぼち行こうか」と羽田さんが言って、カップを返して店を出た。
 日比谷線の電車に乗って、羽田さんと並んで立ちながら、座っている人たちをぼんやり眺めていたら、来るときの電車にかわいい人がいたのを思い出した。かわいかったなと思い浮かべようとして、どんな顔だったのかまったく覚えていないのに気が付いてびっくりする。
 表情や目付きや、持っていた紙をめくる仕草は覚えているのに、顔がまったく浮かんでこなかった。全体的なシルエットはぼんやり覚えていて、髪がどれくらいの長さだったとか、肌質だとか、どれくらいの肉の付き方だったかは思い浮かぶけれど、目の形も、鼻も口も、顔の作りが思い浮かばなかった。
 どんなふうにかわいかったかは覚えているのだ。目付きの感じとか、佇まいのようなものはぼんやり浮かんで、それがかわいかったなと思う。けれど、瞼が二重だったのか一重だったのかもわからないし、鼻が大きかったかどうかもわからない。口はなんとなく表情込みで思い浮かぶ気がするけれど、思い浮かんでいる口よりも大きかったとしてもおかしくないような気もする。
 前々からわかっていたことだけれど、自分は本当に顔の作りに興味がないんだなと思う。興味がないというより、ひとを見るときにそのひとの形にあまり意識がいっていないのだと思う。もしくは、ひとの顔を見るときに、物体として見るというよりは運動として見ているということなのかもしれない。例えば、誰かの素の顔を眺めているとしても、素の顔としてそういう顔付きで落ち着いていて、その状態からどこかに視線をやるときにどんなふうに全体が動くのかとか、笑うときの勢いのつき方とか、笑った後にどんなふうに素の顔に戻っていくとか、そういう動きのニュアンスをその人の印象として受け取っているのだろう。そして、そのとき顔の形は見えているし、見てもいるのだけれど、どういう輪郭だとか目の形がどうだとか、そういうことから何かを感じ取ろうとしていないのだ。あの向かいに座っていた女の人にしても、佇まいのようなものでかわいいなと目がいってから、表情や仕草ばかりを感じていたから、顔の作りをやっぱりかわいいなと確かめたりしないままになっていた。そして、そもそもそこでかわいいと思ったわけじゃなかったから、そんなふうになったということなのだろう。
 実際、俺が今まで付き合った人たちはみんなかわいかったけれど、動きが同じなら顔のパーツの配置が実際より多少アンバランスだったとしても、俺はそのひとを好きになっただろうなと思える。むしろ、肌質なんかの方がその人の印象には深く関わっている気もする、ぱっと見て違和感があるくらいアンバランスな顔になるのでなければ、同じ動きで同じ肌で違う顔でも、そのひとへの印象はほとんど同じようなものなると思う。けれど、同じ動きで同じ顔で違う肌だったとしたら、そのひとへの印象はまぁまぁ変わってしまうんじゃないかと思う。肌とか肉付きは、その人の健康とか活力を文字通り体現しているものだと思うけれど、顔のパーツのそれぞれの形や配置のバランスなんかは、単なる個体差というか、白黒の猫がたくさんいたときの白黒の配置のばらつきのようなものだろう。柄も含めその猫の姿に愛着を持つとしても、ある日柄がちょっとずれたからといってその猫への気持ちはたいして変わらないだろう。もちろん、そこで愛着具合が変わってしまうひどい飼い主がまったくいないわけではないのはそうなのだろう。そして、人間が人間を見る場合には猫を見るときよりも人気の柄のようなものがはっきりあるということなのだろう。よくあることだけれど、不人気な柄の俺からすると動きがとても素敵なかわいい人が、他人から不人気柄を見る目で見られているのを見ると、そんなに柄が大事なんだろうかと、いつもなんだかなという気持ちになっていた。もちろん、動きよりも形に目がいくのも、そのひとにとっては自然なことだったりするのだろうし、それが間違っていると思うわけではない。けれど、あの美人だとみんなが言っている人はそんなにきれいだろうかとか、みんながかわいいと言っているあの人はそんなにかわいいんだろうかというのは、よく思ってきたことだった。
 羽田さんはどうなのだろうなと思う。キャバクラに足しげく通うような人ではあるけれど、かといって、会社の人たちで上海に行ったときに、石毛さんと羽田さんが行くのについていったキャバクラみたいな店で、羽田さんが並んでいる中から女の子を選ぶのを見ていた感じでは、羽田さんも顔の作りよりは、表情とか仕草で女の人をかわいいと思うタイプなのかなと思った。
 そんな話もしたことがなかったなと思う。そんな話ができたら楽しいだろうなと思う。社内とか客の会社の女の人で、誰のことは素敵だなと思っていたり、誰を苦手な感じだと思っているとか、羽田さんのそういうのが俺の思っている通りなのか確かめられたらいいのになと思う。
 銀座で乗り換えると丸の内線は帰りも空いていて羽田さんと並んで座った。羽田さんが週刊漫画ゴラクを出したから、横目で羽田さんが漫画を読んでいる姿を見守りながら、昔からやっている犬たちがべらべら喋りながら敵の犬と戦う漫画とか、麻雀の漫画とか、自分の知っている漫画のところで軽く何か言ったりしていた。羽田さんはにやりと笑って、ほんの少しコメントを返してくれるだけだから、そこから漫画の話が始まるわけではなかった。俺もゴラクの漫画について語り合いたいというわけでもないから、誌面を覗き込みながら、相変わらずなことをやってるなぁと思って小さく笑ったりしていた。そうしているとあっという間に四谷三丁目に着いてしまった。



(続き)


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