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【繋がろう】シロクロの共同運営マガジン

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2020年9月の記事一覧

生存・表現の根源的問い

生存・表現の根源的問い

私には相対的意識状態のみに依拠する人物が表現の根源的問い、根拠を徹底して考察しているとは到底思われぬ。

人間存在の存在根拠は無意味こそ意味であるという方向無き人生観は単に一観点にすぎぬ。己の思考の不徹底を顧みぬ怠惰な自我、精神の所有者のみが言い放てる戯言である。

三島由紀夫も川端康成にも人生の方向性、死生観はしかと描かれている。そのような内容、物言いなど何処にあるとい

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なんで逆に人と比べちゃいけないの?

なんで逆に人と比べちゃいけないの?

皆さんも経験していることだと思うが、他人のいい所を見て、「あの人に比べると自分はまだまだだなあ」などと引け目を感じたり、逆に、同僚が仕事でミスをしたりトラブルを起こして上司に叱られたりするのを見て、「あの人に比べたら自分のほうがまだマシだな」などと、安心感を抱くということがあると思う

1つ例を出しますと
ニコニコ生配信者で
『七原くん 』という配信者は32歳独身でフリーターです。その方は

仕事

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「自己愛の不徹底」2

「自己愛の不徹底」2

「自己愛の不徹底」(2)拙著「小林秀雄論」より抜粋

極論すれば我々は此の地上に存する限り何ぴとといえども不具者である。聖者はもと より、天才と呼ばれた存在達は常に己の無力感を名状し難いほどに味わっている。

く どいようだが有能ゆえではなく自己の無力さゆえに苦悩する。

「天稟の倫理性と人生無常 に関する沈痛な信念とを心中深く蔵して、凝滞を知らず、俗にも僧にも囚われぬ、自在で しかもあやまたぬ、

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創造と個性

創造と個性

表現行為に於いては個性云々が様々な視点観点から語られる。

この問題と自由、不自由という問いは不可分である。

唯物論的観点からはこの問いは徹底的に相対化されれば無意味な問いと化す。

世界、自然界を知覚する主体である「私」が消滅すれば一切は無に等しいという結論に導かれるからである。

さらに謂えば生存自体にも意味は無いという結論へと至る。

これは通常無常観とか空とか言われている概念である。

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「即興表現について」

「即興表現について」

「即興表現について」

今日に生きる我々人類の個々人の課題として如何に創造・即興精神を日常化するか、という根源的問いが 自覚無自覚を問わず化せられている。

無論、この問いの自覚の度合いは各自各様の意識のありようによって異なる。

私は絵画表現を突き詰めている途上にて、この問いの根源的問い、自覚を26歳の時に痛烈な内的体験によって徹底的に味わった。

古来よりの「汝自身を知れ」の実体験でもあった。

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三島由紀夫『小説家の休暇』より

三島由紀夫『小説家の休暇』より

下記の文章は私の或るブログに掲載したものであるが、今日に於いても重要な内容と思うので此処にも掲載する。
 この文章の内容をどれだけの人々が真に理解、体感したか、それを考えると憤怒に似た感情が湧くのを禁じ得ない。

ーーー

三島由紀夫『小説家の休暇』より

「一見混沌としか見えぬ無道徳な享受を、未曾有の実験と私が呼ぶのは、まさにこんな極限的な坩堝の中から、日本文化の未来性が生れ出てくる、と思われる

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「悲劇について」

「悲劇について」

「悲劇について」

 かつて、ニーチェが『深淵を覗いた者が、深淵と化した』存在を、手厳しく批判した。
そしてこれは今日でも悲劇について語る時かかせぬ問題である。

 自明のことだが、前提としてである。それはまた、批評の極点でもある。
だが、単にありうるというにすぎぬ。なぜなら、今日真の悲劇精神を所有している者は悲劇について語らない。
ただ不屈の意志を持って実践する。恐らく、彼等の行動は、人の目に触

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透明な闇

透明な闇

覚醒とも眠りともいえぬ定かならぬ此処には全てがある
聖者も凡人も
死せる者も
生きた者も
あらゆる自然界の ものも
何もかもが融合しては
鮮明に共存する世界
活動と静止
静寂と轟音
輝く色彩
透明な色彩
無彩色
反転 反転 反転 ・・・・・・
空転
時間は空間と融け
幽玄なる楽音を奏でる

豊饒と虚空
無音
無限なる・・・・・・
彼方無き空間
境界無き境界
無色の有色の
無形のものら
此処に潜むも

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