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シドニー・シェルダン著『僕はいかに逆境をのり超え世界一翻訳された作家になったのか』
1980年代-90年代、
シドニー・シェルダン氏の本を
読んだことがある人は
結構いるのではないだろうか
本屋さんに山積みされていました
超訳
って表紙に書いてあったように思う
私も、映画に本に読みました
展開が早くて、引き込まれました
エンタメ色の強い作品たちでした
亡くなられたのは、
2007年とのことで
随分時間が経っているのですが
昨年(2023年)に自伝の
翻訳本が出ました
F・S・フィッツジェラルドの生涯を考えてみる
小説『グレート・ギャッツビー』は2度映画化されていて
多分、誰もが知る小説なんだろう
フィッツジェラルドと言えば
その波乱に満ちた生涯も
興味をそそる
大学生の頃、それはそれは衝撃だった
小説のような生涯を送る人がいたんだと
フィッツジェラルドは1894年に生れている
日本なら、明治時代になる
私の祖父よりも上の世代で、
あまりピンとこなかった
1940年に44歳で亡くなったこともあり
F・S・フィッツジェラルドの情報 - youtubeより
Youtubeにミネソタ州セント・ポールの情報が
沢山あることに今更気づく
本当に今更。
1995年にミネソタ州セント・ポールを旅した時
フィッツジェラルドの生家や
ゆかりの家を見に行ったけれど
きちんと今も残っていることが分かった
こちらのチャンネルはかなり細かく
紹介している
アメリカ中西部の昔の家は
石造りだったんだなぁ
地震がないから、今も残っているのだろう
それにしても寒かっただろ
ラルフローレンが私のなかで再ブーム、買うよりも見る読む
1990年代、ラルフ・ローレンをはじめて知った。
なんて素敵な・・・と思った
Poloとほかの違いとかは
全然わからなかった
素敵なデザインだなぁと思った
高くて、買えなかったけれど
そのうちにブームは去った
私の中で
素敵だけど、買えないし・・
となっていた
お嬢育ちの友人(と思っていた人)が
親にポンっと買ってもらっているのをみて
「やめよう」と思った
こつこつお金をためて
少しずつ買う
人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問②
2日目、アトランタのダウンタウンに向かった
アトランタのハーツフィールド国際空港から
地下鉄で1本、Five Pointsという中心の駅に出た
地下鉄はMARTA(マータ)と呼ばれている
2023年現在は、キレイになっているらしい
1995年はあまり評判は良くなかった
危険な目に遭ったわけではないけれど
なんとなく、キレイじゃないし
なんとなく居心地が悪かった
「早く着いてくれ~」と願ってい
人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問①
1995年、社会人になり3年目
夏休みを利用して
アメリカに行くことにしました
人生2度目の一人旅
アメリカ南部
アラバマ州モンゴメリに
行ったのでした
当時、24歳。
24歳の女性がひとりでDeep Southに行くって。。。
抵抗は全くなかった。
こちらの本を何度も読み返して、
アラバマは危険なところではないと
自分に信じ込ませたのだった
アラバマ州は、日本人であまり知られていないと思
ミネソタ旅行のきっかけは、村上春樹著「スコット・フィッツジェラルドブック」
1990年、大学の研修旅行で初めての海外旅行で
アメリカに行った私。
すっかりアメリカが好きになり
本を読み、再度、アメリカにいくぞと
決めたのでした
大学で英米文学を専攻していた私は
スコット・フィッツジェラルドが
大好きになりました
作家の村上春樹氏がフィッツジェラルドの
ファンで沢山の本を
出しています。
どれも素晴らしいですから
是非読んでみてくださいね
ザ・スコット・フィッツジェラ
知ったかぶりの代償は大きかった - Brooks Brothers編
1990年、学校の研修旅行で
アメリカに行った
最後の滞在先はシカゴとその郊外の町だった
郊外の町で、ホームステイをした
ホームステイ先は、友人と同じだった
友人はお金持ちの娘で
ブランドの洋服やカバンに子供のころから
親しんでいる人だった
私はブランドものは
知りもしなければ、
持ってもいなかった
持てるとさえ、思っていなかった
ホストファミリーが
車でシカゴに連れて行ってくれた時
友人
1990年、ボストンへ行く
1990年、大学生だった私は、
大学の研修旅行に参加し、
夏休みを利用して
アメリカのいくつかの都市を
訪問する旅行をしました
生れてはじめての海外旅行でした
両親は、英語を話せないし
海外に行けるような経済状態ではなかったので
海外旅行にいったことは
ありませんでした
それでも、研修旅行に行きたいと
言ったら、参加させてくれました
両親が、「そんなもの無駄」と言ったなら
旅行には行けなか
1980年代終わり、J.Pressから始まった
名古屋市で生まれ、ブランドものとは
縁のない家で育った私。
高校生活も終わりに近づいたころ、
名古屋の中心地にあった
J.Pressの店舗にあった
洋服に惹かれたのでした
J.Pressが、アメリカ東海岸にある
洋服屋さんで、日本ではオンワードが
展開していることなど
知る由もなかった
トラッドと言われる部類の
ファッションがあることさえ
知らなかった
ただ、商品を見て、
上品でかわいいな