塩の香り

関東在住・女性・アラフィフ・気ままな?シングル 10代の頃から好きだったアメリカに関連…

塩の香り

関東在住・女性・アラフィフ・気ままな?シングル 10代の頃から好きだったアメリカに関連したこと (旅行・ファッション(アメリカントラッド)・文化)が中心

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    名古屋生まれ・現在関東在住・女性。子供のころから、アメリカが大好きでした。アメリカンな楽しいことやものを紹介しています

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記事一覧

シドニー・シェルダン著『僕はいかに逆境をのり超え世界一翻訳された作家になったのか』

1980年代-90年代、 シドニー・シェルダン氏の本を 読んだことがある人は 結構いるのではないだろうか 本屋さんに山積みされていました 超訳 って表紙に書いてあったよう…

塩の香り
2か月前
1

『パティ・ペイジの歌のように』 - 宮本美智子さん

作家の宮本美智子さん(1945-1997)の本を 20代の頃、熱心に読んでいました 何冊も持っていたのだけど、 いつしか手放し、現在は1冊も持っていない 1997年に亡くなられたと…

塩の香り
2か月前
2

本で海外旅行する - 宮本美智子さん

宮本美智子さんの本を知ったのは 1990年代後半だと思う とにかく文章がうまくて 面白かったのだ 著書を沢山持っていたけれど 今は一冊も持っていない 何度かの引越しの度…

塩の香り
5か月前
1

本を友に旅をした - アメリカ

1970年生まれの私にとって アメリカは憧れの国だった 強くて、広い国 日本は子供で、アメリカは大人 そんな感じがした 今思うと、偏ってるな~と思うけど 80年代90年代…

塩の香り
5か月前
10

80年代90年代はニューヨークブームだった

80年代90年代は、ニューヨークブームだったような気がする テレビドラマでも、「ニューヨーク恋物語」みたいなのがあった 何がそんなにブームだったのか・・ 思い出せない…

塩の香り
5か月前
3

F・S・フィッツジェラルドの生涯を考えてみる

小説『グレート・ギャッツビー』は2度映画化されていて 多分、誰もが知る小説なんだろう フィッツジェラルドと言えば その波乱に満ちた生涯も 興味をそそる 大学生の頃、…

塩の香り
6か月前
3

F・S・フィッツジェラルドの情報 - youtubeより

Youtubeにミネソタ州セント・ポールの情報が 沢山あることに今更気づく 本当に今更。 1995年にミネソタ州セント・ポールを旅した時 フィッツジェラルドの生家や ゆかりの…

塩の香り
6か月前

ラルフローレンが私のなかで再ブーム、買うよりも見る読む

1990年代、ラルフ・ローレンをはじめて知った。 なんて素敵な・・・と思った Poloとほかの違いとかは 全然わからなかった 素敵なデザインだなぁと思った 高くて、買えなか…

塩の香り
6か月前

人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問②

2日目、アトランタのダウンタウンに向かった アトランタのハーツフィールド国際空港から 地下鉄で1本、Five Pointsという中心の駅に出た 地下鉄はMARTA(マータ)と呼ばれ…

塩の香り
9か月前

人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問①

1995年、社会人になり3年目 夏休みを利用して アメリカに行くことにしました 人生2度目の一人旅 アメリカ南部 アラバマ州モンゴメリに 行ったのでした 当時、24歳。 24…

塩の香り
9か月前
3

フィッツジェラルドの故郷ミネソタへ 1994年

こちらの続きです 社会人2年目 まとまった休みが取れることになり 9月初め、アメリカ・ミネソタ州セントポールへ 一人旅をすることにしました 海外旅行は3度目 そこで…

塩の香り
9か月前
2

ミネソタ旅行のきっかけは、村上春樹著「スコット・フィッツジェラルドブック」

1990年、大学の研修旅行で初めての海外旅行で アメリカに行った私。 すっかりアメリカが好きになり 本を読み、再度、アメリカにいくぞと 決めたのでした 大学で英米文学を…

塩の香り
9か月前
5

ハーバード大学を観光して頭は良くなるか?

1990年、大学生だった私は、 大学の研修旅行に参加し、 夏休みを利用して アメリカのいくつかの都市を 訪問する旅行をしました 生れてはじめての海外旅行でした 2週間程…

塩の香り
9か月前
1

知ったかぶりの代償は大きかった - Brooks Brothers編

1990年、学校の研修旅行で アメリカに行った 最後の滞在先はシカゴとその郊外の町だった 郊外の町で、ホームステイをした ホームステイ先は、友人と同じだった 友人はお金…

塩の香り
9か月前
1

1990年、ボストンへ行く

1990年、大学生だった私は、 大学の研修旅行に参加し、 夏休みを利用して アメリカのいくつかの都市を 訪問する旅行をしました 生れてはじめての海外旅行でした 両親は、…

塩の香り
9か月前
2

1980年代終わり、J.Pressから始まった

名古屋市で生まれ、ブランドものとは 縁のない家で育った私。 高校生活も終わりに近づいたころ、 名古屋の中心地にあった J.Pressの店舗にあった 洋服に惹かれたのでした …

塩の香り
9か月前
3
シドニー・シェルダン著『僕はいかに逆境をのり超え世界一翻訳された作家になったのか』

シドニー・シェルダン著『僕はいかに逆境をのり超え世界一翻訳された作家になったのか』

1980年代-90年代、
シドニー・シェルダン氏の本を
読んだことがある人は
結構いるのではないだろうか

本屋さんに山積みされていました

超訳
って表紙に書いてあったように思う

私も、映画に本に読みました
展開が早くて、引き込まれました

エンタメ色の強い作品たちでした

亡くなられたのは、
2007年とのことで
随分時間が経っているのですが
昨年(2023年)に自伝の
翻訳本が出ました

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『パティ・ペイジの歌のように』 - 宮本美智子さん

『パティ・ペイジの歌のように』 - 宮本美智子さん

作家の宮本美智子さん(1945-1997)の本を
20代の頃、熱心に読んでいました

何冊も持っていたのだけど、
いつしか手放し、現在は1冊も持っていない

1997年に亡くなられたときはショックだった

2年半ほど前に引越した先では
図書館が至極便利に使えるため
ふと思い出したように
宮本さんの本を探し
再び読んでみました

エッセイが中心だったと記憶しているが
今回読んだ『パティ・ペイジの歌の

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本で海外旅行する - 宮本美智子さん

本で海外旅行する - 宮本美智子さん

宮本美智子さんの本を知ったのは
1990年代後半だと思う

とにかく文章がうまくて
面白かったのだ

著書を沢山持っていたけれど
今は一冊も持っていない
何度かの引越しの度に
手放してしまったのかな
それさえも覚えていない

宮本美智子さんは、1997年に亡くなっている
もう、そんなに経つんだと驚いた
亡くなった時、51歳だった
今の私より、若い・・・

1945年生まれとのことなので、
昭和20

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本を友に旅をした - アメリカ

本を友に旅をした - アメリカ

1970年生まれの私にとって
アメリカは憧れの国だった

強くて、広い国
日本は子供で、アメリカは大人
そんな感じがした

今思うと、偏ってるな~と思うけど

80年代90年代はアメリカブームで
特にニューヨークブームだったと思う
本も沢山出ていた

映画はアメリカ映画が主流だった
今のように日本映画は元気ではなかった

アメリカの住宅事情は
狭い団地で育った私には
特にうらやましいものだった

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80年代90年代はニューヨークブームだった

80年代90年代はニューヨークブームだった

80年代90年代は、ニューヨークブームだったような気がする
テレビドラマでも、「ニューヨーク恋物語」みたいなのがあった

何がそんなにブームだったのか・・
思い出せない

だけど、ニューヨークに旅行に言ったという人は
結構いたように思う

80年代-90年代前半に学生時代を過ごした私は
その影響をもろに受けたと思う

95年にマンハッタンに行ったけれど
ちょっとしんどかったなぁ・・・

うーん、も

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F・S・フィッツジェラルドの生涯を考えてみる

F・S・フィッツジェラルドの生涯を考えてみる

小説『グレート・ギャッツビー』は2度映画化されていて
多分、誰もが知る小説なんだろう

フィッツジェラルドと言えば
その波乱に満ちた生涯も
興味をそそる

大学生の頃、それはそれは衝撃だった
小説のような生涯を送る人がいたんだと

フィッツジェラルドは1894年に生れている
日本なら、明治時代になる

私の祖父よりも上の世代で、
あまりピンとこなかった

1940年に44歳で亡くなったこともあり

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F・S・フィッツジェラルドの情報 - youtubeより

F・S・フィッツジェラルドの情報 - youtubeより

Youtubeにミネソタ州セント・ポールの情報が
沢山あることに今更気づく
本当に今更。

1995年にミネソタ州セント・ポールを旅した時
フィッツジェラルドの生家や
ゆかりの家を見に行ったけれど
きちんと今も残っていることが分かった

こちらのチャンネルはかなり細かく
紹介している

アメリカ中西部の昔の家は
石造りだったんだなぁ
地震がないから、今も残っているのだろう
それにしても寒かっただろ

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ラルフローレンが私のなかで再ブーム、買うよりも見る読む

ラルフローレンが私のなかで再ブーム、買うよりも見る読む

1990年代、ラルフ・ローレンをはじめて知った。
なんて素敵な・・・と思った
Poloとほかの違いとかは
全然わからなかった

素敵なデザインだなぁと思った
高くて、買えなかったけれど

そのうちにブームは去った
私の中で
素敵だけど、買えないし・・
となっていた

お嬢育ちの友人(と思っていた人)が
親にポンっと買ってもらっているのをみて
「やめよう」と思った
こつこつお金をためて
少しずつ買う

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人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問②

人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問②

2日目、アトランタのダウンタウンに向かった
アトランタのハーツフィールド国際空港から
地下鉄で1本、Five Pointsという中心の駅に出た

地下鉄はMARTA(マータ)と呼ばれている
2023年現在は、キレイになっているらしい

1995年はあまり評判は良くなかった
危険な目に遭ったわけではないけれど
なんとなく、キレイじゃないし
なんとなく居心地が悪かった

「早く着いてくれ~」と願ってい

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人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問①

人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問①

1995年、社会人になり3年目
夏休みを利用して
アメリカに行くことにしました
人生2度目の一人旅

アメリカ南部
アラバマ州モンゴメリに
行ったのでした

当時、24歳。
24歳の女性がひとりでDeep Southに行くって。。。
抵抗は全くなかった。

こちらの本を何度も読み返して、
アラバマは危険なところではないと
自分に信じ込ませたのだった

アラバマ州は、日本人であまり知られていないと思

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フィッツジェラルドの故郷ミネソタへ 1994年

フィッツジェラルドの故郷ミネソタへ 1994年

こちらの続きです

社会人2年目
まとまった休みが取れることになり
9月初め、アメリカ・ミネソタ州セントポールへ
一人旅をすることにしました

海外旅行は3度目
そこで一人旅をする私の無謀さに
今更あきれるばかり
何も言わずに送り出した親兄弟にも驚く
チケットは当時大手旅行会社に勤務していた
姉が手配してくれました

当時は、航空券のリコンファームというのをしなければならず
英語で電話をするのは、

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ミネソタ旅行のきっかけは、村上春樹著「スコット・フィッツジェラルドブック」

ミネソタ旅行のきっかけは、村上春樹著「スコット・フィッツジェラルドブック」

1990年、大学の研修旅行で初めての海外旅行で
アメリカに行った私。
すっかりアメリカが好きになり
本を読み、再度、アメリカにいくぞと
決めたのでした

大学で英米文学を専攻していた私は
スコット・フィッツジェラルドが
大好きになりました

作家の村上春樹氏がフィッツジェラルドの
ファンで沢山の本を
出しています。
どれも素晴らしいですから
是非読んでみてくださいね

ザ・スコット・フィッツジェラ

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ハーバード大学を観光して頭は良くなるか?

ハーバード大学を観光して頭は良くなるか?

1990年、大学生だった私は、
大学の研修旅行に参加し、
夏休みを利用して
アメリカのいくつかの都市を
訪問する旅行をしました

生れてはじめての海外旅行でした

2週間程度、ボストンに滞在し、
大学の夏休みプログラムに参加しながら
ボストンを観光しました

夏のボストンは良いところでした
緯度が北海道よりも高いからか
朝晩は涼しくて
夜は20時くらいまで明るい
早く寝るのがもったいないくらいだっ

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知ったかぶりの代償は大きかった - Brooks Brothers編

知ったかぶりの代償は大きかった - Brooks Brothers編

1990年、学校の研修旅行で
アメリカに行った
最後の滞在先はシカゴとその郊外の町だった

郊外の町で、ホームステイをした
ホームステイ先は、友人と同じだった
友人はお金持ちの娘で
ブランドの洋服やカバンに子供のころから
親しんでいる人だった

私はブランドものは
知りもしなければ、
持ってもいなかった

持てるとさえ、思っていなかった

ホストファミリーが
車でシカゴに連れて行ってくれた時
友人

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1990年、ボストンへ行く

1990年、ボストンへ行く

1990年、大学生だった私は、
大学の研修旅行に参加し、
夏休みを利用して
アメリカのいくつかの都市を
訪問する旅行をしました

生れてはじめての海外旅行でした

両親は、英語を話せないし
海外に行けるような経済状態ではなかったので
海外旅行にいったことは
ありませんでした

それでも、研修旅行に行きたいと
言ったら、参加させてくれました

両親が、「そんなもの無駄」と言ったなら
旅行には行けなか

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1980年代終わり、J.Pressから始まった

1980年代終わり、J.Pressから始まった

名古屋市で生まれ、ブランドものとは
縁のない家で育った私。

高校生活も終わりに近づいたころ、
名古屋の中心地にあった
J.Pressの店舗にあった
洋服に惹かれたのでした

J.Pressが、アメリカ東海岸にある
洋服屋さんで、日本ではオンワードが
展開していることなど
知る由もなかった

トラッドと言われる部類の
ファッションがあることさえ
知らなかった

ただ、商品を見て、
上品でかわいいな

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