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人生最大の冒険(と感じた)アラバマ旅行 1995年 フィッツジェラルドゆかりの地を訪問①

1995年、社会人になり3年目
夏休みを利用して
アメリカに行くことにしました
人生2度目の一人旅

アメリカ南部
アラバマ州モンゴメリに
行ったのでした


当時、24歳。
24歳の女性がひとりでDeep Southに行くって。。。
抵抗は全くなかった。

こちらの本を何度も読み返して、
アラバマは危険なところではないと
自分に信じ込ませたのだった

アラバマ州は、日本人であまり知られていないと思う

有名なのは、公民権運動の発祥の地であるいうこと
だろうか
ローザ・パークスという黒人女性が
バスで白人に席を譲るように言われ
仕事帰りで疲れていたローザは
それを拒否したことが
始まりだった

亡くなられたのは、2005年なので、
私がアラバマ州モンゴメリに行った1995年には
存命だったことになる

公民権運動のアイコン的存在になったものの
地元に居づらくなり、家族とともにデトロイトに移住し
亡くなったのは、デトロイトだった

歴史上の人物は亡くなっているものだと
思いこんでいた
そして、終生南部に住んでいたと思っていた
あーあな私でした

モンゴメリは、スコット・フィッツジェラルドの
妻ゼルダの出身地である
ゼルダの人生もスコットと同じように
波乱に満ち、最後は悲惨なものだった
精神疾患に苦しみ
48歳で病院の火事で亡くなった

アラバマ州に行くには
まずジョージア州アトランタに行き
飛行機を乗り換える必要があるとのことだった

日本からの直行便はない

1995年当時、一般的には
インターネットは主流ではなかったため
ネットで調べることもできず
勿論、予約もできないので
知り合いの旅行業者に頼んで
航空券を取ってもらった
ホテルは取れなかったけれど、
旅行業者の方が
アメリカのガイドブックのコピーをくれて
チェーンのホテルがあるから
多分大丈夫と教えてくれた

1995年7月1日、成田空港に着き
出発を待った
この日から、空港のシステムが変わり
(細かいことは言わないけれど)
空港は大混乱で、
ポートランド経由アトランタ行きの
飛行機に乗る予定が
LA経由アトランタ行きに乗った
時間は大幅に遅れた
17時ころの到着予定だったが、
到着したのは12時くらいだった

怖かったわ・・・
1泊目だけ日本で予約していて
本当に良かった

波乱に満ちた旅行がスタートしたのだった




読んだ後、心が軽くなって、日常生活に戻ってもらえれば。