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シャーマニズム的旅の認識

1000字程

バイクという乗り物は各感覚器をフル活動して乗るおもしろい乗り物、ある種アトランクションのようなもので、バイク旅をしているとその土地土地で匂いや空気、路面感覚、季節や天候日時で見せる自然や街の見え方は変わるし、トンネルの内と外や山の中と外のような境界、山の上り下りやカーブで運動感覚平衡感覚を愉しめる。

身体を用いる移動のうち、飛行機や車、自転車や徒歩と異なりルドルフ・シュタイナーの12感覚論の10感覚くらいは体感するんじゃないかなあ。



話は変わり、旅の形態は身体を用いることだけではなく、映像に入り込む(旅ともいうか)をすること、音楽(音の海とでもいうか)に入ること、本であれば映像とまた少し異なった入り込み方ができる。

映像に入り込むといえば、その世界観に浸ることは容易で、作者がその1モデルに投影したいモノや作品全体を通して伝えようとしているメッセージ性を感じたり、登場人物に入り込み自己同一化(防衛機制とは異なりアニメサイコパス3でいうメンタルトレースのようなもの)するような感じで、レースゲームでいえばカーブの際に身体もカーブに応じて動かすようなもの。


音楽(生演奏かCD音源かでも異なる)であれば、聴覚のみを用いるか、全身を以って感じるかで大いに異なると思われるが、車内スピーカーや5.1chのスピーカーでオーケストラを再生すると、音の海に入り波に身を任せるような(わが祖国モルダウ)ものを感じたりする。生演奏であれば音楽を聞いているときにギターの一定フレーズ区間に心的視覚イメージが描かれたり。演者の楽器から発する音に感情を感じたり。


紙の本であれば、視覚聴覚は自由となるのでつかみ取れるイメージの想起性が増して、その作品への没入感が増す。SFと学問書で少し異なるが、大正や明治の本でも同様。著者の気持ちの込め方というような生感、人柄や背景イメージが文字を追うごとに読み取れるほど時空を超えた共感性とでもいうか、一緒に勉強させてもらってる気になる。


もう4時過ぎなのでこのあたりにして、何が言いたいかと言うと、旅に身体はなくてもいいということで、物理的な旅をせずとも、本という心の旅や流れゆく音の旅、世界がそれぞれ作り込まれている映像の旅などあるんで、認識を変えれば灯台もと暗しのように案外身近なところに愉しさや幸せといったおもしろさがありますよって話です。


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