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初めての中国訪問1985年夏、北京原人と盧溝橋(私の中国との出会いと交流 その五)
宴会が始まった。席には宴会担当のネームプレートをつけた大食漢を絵に描いたような大柄の人を囲んで宴会が始まった。
宴会担当の役割はすぐにわかった。私達のような客人をもてなすために、どんどん食べて料理の美味しさを身体で表現し、客人の皿にこれでもかこれでもかと料理を入れるのである。
白酒の一気飲みに始まり、温いビール、紹興酒をグラスに注いでくれる。ご馳走をたらふく食べて酔いも回り、いい気分の頃にビジ
大学祭の水餃子店(私の中国との出会いと交流 その三)
私が大阪の大学にいた頃の話。薬師丸ひろ子がセーラー服で機関銃を連射し、原田知世がタイムトラベラーに恋をして時をかける少女になり、イエロー・マジック・オーケストラが君に、胸キュンと盛り上げ、中原めいこに君たちキウイ、パパイヤ、マンゴーだねと言われ、上田正樹が大阪の海は悲しい色やねと歌っていた。この楽しくなってきた昭和の時代があと5,6年で終わるとはだれも思っていなかったそんな時代のこと。研究室で大学
もっとみる私の中国との出会いと交流 その二
大学受験をひかえた1970年の夏、高校三年生の私は、7月の最後の週、友人の誘いにのり大阪の中之島にあるフェスティバルホールに出かけた。中国の上海舞劇団(上海バレー団)の来日公演を観劇するためであった。
この年の9月に日中国交正常化のための日中共同声明が発表されるのを目前にし、日中の文化交流が始まっていたのである。
その日は受験勉強にも飽き飽きしていたし、ちょうどよい息抜きだと思って出かけた。
法隆寺の百済観音と救世観音
法隆寺の宝物が収蔵展示されている大宝蔵院に向かうと石の板が敷かれたフローリングの床のようなすっきりとした中庭の奥の建物の正面に扁額が見える。これ以外の装飾や文字がまったくなく、この扁額の文字だけが目に飛び込んでくる。
補陀落
と書かれてある。チベットのポタラ宮の名前に使われたポタラの発音を漢字に置き換えたもので観世音菩薩の住むところを意味する。
目を左右に向けると両翼となる建物が庭を取り囲ん
コロコロ変わる名探偵
名探偵カードゲームを始めます。優勝者にはトロフィーと副賞500万円を差し上げます。参加資格は嘘つきでないこと。本日は5名の参加者です
ルールは単純、21枚のカードから1枚ずつ引いてください。名探偵の特徴的なイラストが描かれています
引いた人はコロコロ変わる名探偵の名前を言ってください。正解ならわたしが首を縦に、間違っていたら横に振る。全部のカードの正解が出るまでゲームを続けます
ではあなた
数学ギョウザ "少し書き換えました。"
先生が黒板に数字を書き並べた。
この数列をフィボナッチ数列という。1,2,3,5、8、13、21、34、55...と数字が続く。例えば5はその前の並びの2と3を足したもの、21はその前の2つの数の8と13を足したものだ。
そして先生が語り始めた。
「今日は数学好きの店主が経営する数学ギョウザという店の話をしよう」
「その店はギョウザをフィボナッチ数列の数で皿に盛り客に提供する。ギョウザを6
アナログバイリンガル
大阪出身の同僚と関西支社に出張した時のこと
東京駅から新幹線に乗って大阪まで移動した社内で同僚の話す言葉の訛りが連続的に変化してきた。
東京駅の会話
「久しぶりの出張だね」
「本当にそうだね。新幹線に乗るのも新鮮な感じがする」
三島駅を過ぎる頃の会話
「大阪駅についたら、支社に行く前にランチにするか?」
「それいいやん。お腹をすかせて支社に行って打ち合わせの時におなかが鳴ってもみっと