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大学祭の水餃子店(私の中国との出会いと交流 その三)

私が大阪の大学にいた頃の話。薬師丸ひろ子がセーラー服で機関銃を連射し、原田知世がタイムトラベラーに恋をして時をかける少女になり、イエロー・マジック・オーケストラが君に、胸キュンと盛り上げ、中原めいこに君たちキウイ、パパイヤ、マンゴーだねと言われ、上田正樹が大阪の海は悲しい色やねと歌っていた。この楽しくなってきた昭和の時代があと5,6年で終わるとはだれも思っていなかったそんな時代のこと。研究室で大学祭に水餃子店を出そうと企画し学生を総動員して店舗計画とおり出店したところ大盛況だった。

ギョウザのレシピと調理指導は、日中国交正常化の後、鄧小平副総理の肝いりで中国政府が大規模に日本に派遣した留学生の一人、中国の大学教員のC先生によるものだった。

当時焼き餃子しか知らなかった大阪の人たちが、C先生が手打ちでつくるギョウザの皮と秘伝の具からなる水餃子の美味しさと、応援を頼んだ近隣の大阪や神戸や京都の大学の女子学生によるギョウザの仕上げ(ゆでる)のプレゼンテーションによる集客の効果もあり、飛ぶように水餃子や飲み物が売れて一儲けした。

このギョウザ店のためトレーナーも作った。研究室のテーマを柔らかく表現した「Fantastic World of  Control Systems」をタイトルとし、研究内容を表すキーワードを英語でいくつか書き並べた結構おしゃれなおそろいのトレーナーを、応援学生も含めて全員が着込んだ学祭の我らが店舗は他を圧倒していた。

もちろん稼ぎはすべて学祭の打ち上げでぱっとなくなった。他の学祭店も驚くほどの商品のレベルの高さと適切なサービス展開による成功だと皆で自画自賛して打ち上げの飲み会は深夜まで盛り上がった。

この成功の立役者が留学生のC先生。私の最初の中国の友人でもう少しで40年の長い付き合いになる。この人との交友録を書き始めるといくら時間があっても足りない。研究分野が同じこともあり何度も互いの研究室を訪問した。C先生の日本留学が、私の中国との交流の始まりとなった。




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