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私の中国との出会いと交流 その一

重層的かつ多層的な中国とその国に住む人たちとの交流を振り返ってみたくなった。

小学生の頃、香川県にある母の実家には夏休みになると1ヶ月くらい一人で滞在していた。
とても居心地がよかった。

その家の向かいに住むお兄ちゃんにはよく遊んでもらった。
このお兄ちゃんはラジオ少年だった。


その家にはラジオの製作という雑誌やアマチュア無線家向けの雑誌であるCQ誌がたくさんあって、夜になると貪るように雑誌を読み漁っていた。
このおかげで、中1のときに電話級アマチュア無線技士の国家試験に合格し中学時代は無線機器の製作や交信を楽しむことができたが、今日の話題からはそれる。

さて、ラジオから流れる声や音楽はなんでも新鮮だった。短波放送を聴くのはもっと楽しかった。

夜になると遠くの国の放送が聴こえてくる。

中でも北京から流れてくる日本語放送は東方紅という曲が流れ、小学生でもわかる過激なプロパガンダに溢れていたが日本人が聴くとこれも新鮮だった。

文化大革命の頃、日本向けの中国語番組が始まって、北京放送局に教材を送ってほしいと手紙を書いたら毎月教材が送られるようになった。

今でいう拼音による語学教材で、使われているアルファベットを字母といいそれを覚える歌から始まる。
今でもその歌の最初の何小節かは歌える。

これが私の中国との最初の出会いであった。


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