見出し画像

私の中国との出会いと交流 その二

大学受験をひかえた1970年の夏、高校三年生の私は、7月の最後の週、友人の誘いにのり大阪の中之島にあるフェスティバルホールに出かけた。中国の上海舞劇団(上海バレー団)の来日公演を観劇するためであった。

この年の9月に日中国交正常化のための日中共同声明が発表されるのを目前にし、日中の文化交流が始まっていたのである。

その日は受験勉強にも飽き飽きしていたし、ちょうどよい息抜きだと思って出かけた。

大阪には昔もいまも在日華僑の方がたくさん住んでいるが、あのベールに包まれた共産党支配の中国の人たちとは交流がなかった。そのベールの向こうに住んでいる人たちが日本を訪問する最初の場面のその空気の中に入って見たかった、そのことに最も興味をそそられた。

その公演では、上海舞劇団が演ずる革命劇「白毛女」と北京交響楽団によるピアノ協奏曲「黄河」の演奏もあり、盛りだくさんのプログラムだった。

会場では国民服(中山服)を着た中国人の関係者を何人も見かけた。指定された座席に座って開演を待つ。その後中国語と日本語のアナウンスで公演が始まった。白毛女と黄河のどちらが先だったか、今ではその記憶は定かではない。

白毛女の公演が始まると、舞台には日中戦争と国民党政府と共産党政府との内戦のさなかの光景が目の前に広がった。日の丸、五星紅旗、青天白日旗が入り乱れ、抗日の旗がたなびく、白毛女とは趙喜児という名の美しい娘が過酷な生活を経て山奥の洞穴のようなところで苦労のため髪の毛が真っ白な仙女となり、その後日本軍を迎え撃つ八路軍と遭遇し、女性兵士となって抗日戦に向かう。そんな話だった。日本の大阪のど真ん中で戦争を知らない私の目の前に抗日戦争の中、悪い地主にだまされ仙女となった美しい女性が舞い踊る、カルチャーショックなどという言葉では言い表されない震度6の地震に遭遇したような感情の動揺が私を襲った。

一方、革命的ピアノ協奏曲「黄河」はドイツやらロシアやら、様々な既存のクラシック音楽から大きく離れてはおらず、音量のダイナミックレンジの広さからある種の感動が生まれそうで生まれない不思議な感覚で最終章まで一気に聴いた、そんな感じだけが記憶に残っている。

このコンサートが終わって2カ月もしないうちに、毛沢東主席が「喧嘩は終わりましたか?喧嘩をしないと仲良くなれません」と言い、田中角栄首相と周恩来首相が大きく手を振り握手をしている光景がテレビや新聞の紙面に溢れた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?