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#小説

僕たちの真実

僕たちの真実

君の古い記憶が、真実かどうかは、僕には分からない。

街外れにある図書館に行って、司書のねずみに訊いてみるといいかもしれない。その図書館には世界中の記憶が全部載っている古い本があるそうだから。

その本から、君の古い記憶を小さな小瓶に写し取ったら、川沿いに歩いてゆこう。そして、川が海につながるところまで来たら、小瓶を開けて流すんだよ。

君の古い記憶は、さら、さら、と静かに海に消えていく。

君の

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冬の夜の夢

冬の夜の夢

その日、僕は深夜の高速道路を走っていた。

少し疲れたので、途中のサービスエリアに寄ってコーヒーでも飲むことにした。こじんまりとしたそのサービスエリアは、夜中ということもあってひっそりしていた。
カップベンダーコーナーの窓だけが不釣合いなくらい明るく手前の舗道を照らしていた。

僕はコーヒーを選び、後ろのポケットに突っ込んだままにしていたコインを引っ張り出して、ベンダーに入れようとした。

そのと

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新月前夜、窓、そして君の事。

新月前夜、窓、そして君の事。

文・イラスト: セキヒロタカ

(マガジンで連載していた小説を通して読めるようにしてほしい、というご要望頂いてまとめたものです。番外編についてはマガジンでお読みください。)

第1話: 「窓」

あれは何年前の冬だったかな。 骨のように白く細くなった月が新月になる前の晩だった。僕が「そのこと」に気づいたのは。

その日はとても晴れていて、放射冷却で外は冷え込んでいたのだけど、ブラインドの隙間から見

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内省的自我についての考察

内省的自我についての考察

家に帰ったら、彼女が内省的自我になっていた。

内省的になっていたのではない。
「内省的自我」そのものになっていたのだ。

抽象概念を彼女にした経験がなかった僕は、最初は戸惑ったが、3日もしないうちに慣れてしまった。

朝起きると、内省的自我的寝ぐせを直しながら、内省的自我的にコーヒーミルでコーヒーを挽き、内省的自我的にお湯を沸かし、内省的自我的なベーコンエッグを作る。

「抽象概念なのに、おなか

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上昇気流

上昇気流

入梅 (つゆいり) 前のからっと晴れた日に T シャツを干すことくらい気持ちの良いことって他にあるかな?

  ・・・

入梅前の晴れた金曜日、僕は君が会社に行くのを見送ってから、部屋の窓とカーテンを全開にして、洗濯機に洗濯物を放り込んだ。
ポットでお湯を沸かしながら、仕事の準備をする。
公園の上を通り抜けた風が勢いよく部屋の中に入ってきた。

  ・・・

洗濯物を干し終わってから、僕は落とした

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ある晴れた春の日の午後について

ある晴れた春の日の午後について

その年の春の晴れた日の午後、免許を取り立ての小僧だった僕は、知り合いの自動車工場から譲ってもらったボロボロのニッサン スカイラインをドライブして、国道 8 号線を西に向かっていた。

FM ではヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」が流れていた。

何の根拠もなく、やがて来る未来には明るい日々が待っていると、多くの人が信じていた時代だったし、僕もそう思っていた。

国道8号線は、西へ西へとまっすぐ続いてい

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上昇気流

上昇気流

入梅 (つゆいり) 前のからっと晴れた日に T シャツを干すことくらい気持ちの良いことって他にあるかな?

入梅前の晴れた金曜日、僕は君が会社に行くのを見送ってから、部屋の窓とカーテンを全開にして、洗濯機に洗濯物を放り込んだ。 氷がたっぷり入ったサーバーにコーヒーを落としながら、頭の中で仕事の準備をする。ちりちりと氷が解けていく音がする。夏もすぐそこだ。

公園の上を通り抜け

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最高の夏のランチ、あるいは、カリフォルニア・ガール

最高の夏のランチ、あるいは、カリフォルニア・ガール

その年の僕の夏は、デイヴ・リー・ロスの歌う「カリフォルニア・ガール」で始まった。

僕は、単位を 2 つだけ残して留年していて、週に 1 回大学に行けばいいだけ、という暮らしを半年していた。仕送りを止められていたので、なるべくお金を使わないように、授業やアルバイトのない日は、あまり出歩かないようにしていた。

僕が下宿していたアパートはとても家賃が安いのにしっかりした 2 階建ての鉄筋のアパートで

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Isolation、夏の入り口、屋上にて。

Isolation、夏の入り口、屋上にて。

あれは、僕が大学に入りたてで、まだ「学生寮」に入っていた頃のことだ。
田舎の大学だったけど学生寮はさらに田舎にあった。
夜のアルバイト上がり、終バスまでに乗って帰るというプランはほぼ絶望的で、夜遅くに人のいない田舎道をとぼとぼ歩いて帰るのが日課になるようなところだった。
当時、寮にはエアコンがなく、夏になると暑すぎる部屋を出て屋上で風に当たっていたのだけど、周りは山と田んぼばかりだったのでそれでな

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象との夏。―  あるいは、スウィート・ホーム・アラバマ

象との夏。―  あるいは、スウィート・ホーム・アラバマ

「ビールが美味い季節になってきたね」 と僕が言った。

「まぁ、僕の故郷では年中こんな感じさ」 と象は教えてくれた。

「夏が来ると、故郷が恋しくなったりしないかい?」

「年中、恋しいさ。でも、ここでこうやっているのも悪くはないよ。
暑い夏が来てビールを飲んだら、どこにいても君は僕のことを思い出してくれるだろう?
もし僕が忘れられて箪笥の隙間に落っこちて埃だらけになっていても、きっと君は僕を思い

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アイスコーヒーによって導かれる記憶の輪郭について

アイスコーヒーによって導かれる記憶の輪郭について

どうしてもアイスコーヒーが飲みたくなったのだが、深煎りのマンデリンを切らしていた。

半分空けたブラインドから見える7月の終わりの景色は太陽で真っ白に塗りつぶされていた。そんな中、豆を買いに行く気にもならず、僕は仕方なくマンデリンの生豆を深目にローストして挽き、氷を一杯入れた銅のマグカップに落とした。
氷がカップの中で「ちりちり」と音を立てて解けた。

アイスコーヒーを三分の一くらい飲んでから、僕

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暑い夏の終わりに。

暑い夏の終わりに。

暑い日だった。
車をパーキングロットに停めて、大通りに繋がる細い路地を歩いた。

晴れた日にこの路地を上を見ながら歩くのが好きだ。
路地では両端のビルの形に合わせて細長くなっていた空が、大通りに出た瞬間に開放される。
周りの空気が薄くなったような気がするほど爽快で広い空。

「この景色を見たら、君はなんて言うだろう?」

その答えを今は聞けない。

  ・・・

街路樹の影に入って、信号が青に変わ

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晴れた休みの日と、装置としてのカメラと、君について

晴れた休みの日と、装置としてのカメラと、君について

「今日は本当に良い天気ね。」

君はそう言って、カメラという装置で僕らの上に広がる空気を透き通ったガラスの箱に、どんどん詰めていった。

カシャ

ガラスの箱に空気をひとつ詰めるたびに、君はガラスの箱を光にかざして検査し、大事そうにひとつひとつしまっていく。

こんな良く晴れた日に、その作業をする君を眺めているのが僕は大好きだ。

  ・・・

時折、君はガラスの箱をひとつ持って僕のところにやって

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夜道の街灯と、君が教えてくれたこと

夜道の街灯と、君が教えてくれたこと

  ・・・

僕たちはあまり外食をしないほうだったけど、秋の夜には地酒を出す居酒屋にも行ったりした。

居酒屋の帰りはいつも、少し涼しくなった風に当たりながら、人がいなくなった古い商店街をテクテク歩いた。

まばらにある蛍光灯式の古い街灯は随分頼りなさげだったけど、僕は君とこの夜道を歩くのが好きだった。コインランドリーの大きなガラス戸の光でさえ、とても優しく涼やかに感じた。

電信柱にかかっている

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