フォローしませんか?
シェア
武埜 山水
2023年6月2日 17:42
第一章 桜の後初恋の人との恋愛は、今はもう、おとぎ話のようで。涙を流した日々さへ単に形式だけの儀礼に過ぎなかったのではないか。そう訝しむほど人生は過ぎていた。春先に彼は新しい職場でプログラマーの仕事を再開した。職場と言えどもそこは、彼の新しいマンションの一室に他ならない。個人事業主として細々と、自分の出来る範囲のコードを書く日々。張合いは無い。しかし彼はそんなもの求めてはいなかった。ただ
2023年2月16日 21:36
自分の容姿に過不足を感じた事は今までに一度もない。そう断言できる。俺は確かに良い容姿で今日まで生きてきた。それは、幸いでもあり不幸せでもあると言わねばなるまい。自意識はその分肥大するのだから。子供の頃、の記憶を辿ると俺はなき泣き虫であった。それは何に対して?少なくともそれは他人に対してではない。言うなれば世間に対して俺は恐怖を抱いていたという他ない。テレビに流れる残虐な映像は俺をこの世界に不安
2022年12月26日 01:10
言葉を弄して僕は一体何を語るというのか。或いは山水画のような壮大な景色を、或いは浮世絵のような耽美なる人間を、或いは風景画のように緻密な光を、そして或いはシュルレアリスムのような私という現象を。美しい物語を読んでいる訳では僕は決してないのだ。僕は一貫して、探しているものがある。荒野という現世に一人投げださえれてしまったあの日から。僕は一つ、ただ美しい言葉を探している。それはもっというならば僕を
2022年12月13日 23:18
崩壊のその予兆は決して実現せざるものなり、と横山博和は既に知っていた。だが、それでもいつかは自分を含めた世界が壊滅するという事を今や遅しと待ち望んではいる。彼は、二十三歳の彼は思春期をとうの昔に脱してはいるのにも関わらず終焉のその時を、全てが原点に戻るその地点を、まるで備えるかの様に粛々と日々を余生の様に送っているのだ。だが実態、正しく居ても居なくても同様な存在として日常のある地点にいる。
2022年11月29日 01:12
序に記この大都会・東京で知己に会うは易からざる事なるべし。況や情交ありし人に於いてをや。東北の偉大なる大詩人は人と人との別れ難きを説かれられしが蓋しそれ即ち真理なるべし。一木枯らし吹き葉が落ちる。そんな秋の終わりはいつだって寂しいものだ。独り夕暮れの商店街を歩んだ時にふと思い出す過去。甘い追憶を絆される秋の夕暮れ。内省は幾度と無しに繰り返されて私と私以外との輪郭は次第に明瞭になっていく
2022年7月3日 00:33
デッサンをしている時、私の画力が次第に落ちていくのが如実にわかった。その要因という物は目の前に横たわるデッサンの対象物以上に明らかなる事柄であった。それは恋である。十九歳の私の経験するようなものとすれば適当であり、私を笑うものはいまい。故に今告白しているのである。しかし話はそれで終わらない。というのも恋ならば勝手にしていれば良かろう。それは私とて同意見であり反論の余地のないものである。もしも私が