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#世界一周
❨332❩1972.7.29 土 晴 過ぎて来た国を思い出す:SUMA23日目/サンパウロ:ブラジル(Sao paulo:Brazil)
山田へレコードを送った(26クルセイロ)。
これでやれやれ。
あと手紙を7、8通書いて終わり。出した手紙の中で、果たして何通返事が来るだろう。
当てにはしないが、沢山来るといい。
過ぎて来た国を思い出した。
ロサンゼルス=気候温和で太平ムードの気楽な町。
メキシコ=マリアッチを始め、ステキな音楽が聞けた。
グアテマラ=暑さにはコッテリまいった。
ホンジュラス=たった一日でさようなら。
エル·
❨854❩1973.12.31.月.晴/アマゾンに始まり、トルコの真中に暮れた年/イスタンブール:トルコ→
とうとう大晦日となった。年末も年始もない、今の俺だ。
旅から旅へと、プランのみが頭に浮かぶ。しかし、やはり長子にも、先生にも、姉貴・兄貴・親父に会いたい。
しばらくハガキも出していないが、心配しているだろう。
ここに(イスタンブール)イランのコンスルがあると聞き、ホっとした。もしなかったら、新年4〜5日、どこかで待たなければならないからな。
朝1時間半程、町を歩いた。雨上がりで道路は泥で汚れて
❨856❩1974.1.2.水.曇/交通事故!アンカラの病院に担ぎこまれる/アンカラ→カイセリ→アンカラ:トルコ
イランのビザは、アフガニスタンのビザが初めに要るという事。アフガンの領事館へ行くと、7日まで休み。
仕方なく、5ドルと高い金を払って、ツーリスト・ビザを取る。
昼からアンカラを出る事にし、郊外まで3時間、ヒッチしながら歩いた。
車の風が身に沁みる。楽じゃネェ〜〜〜。
やっと止まった車は、40km先の家も何も無いカイセリの分岐点まで。小丘の続く所で、野山は真っ白。
薄暗くなり、車もほとんど通ら
❨864❩1974.1.10.木.曇→雪/ゼイタクな時間/トルコ→イラン
頭痛が抜けた。
イランに近付くにしたがって、雪が深くなる。
汽車の乗り替えで、午後2時 降りる。
明日まで次の汽車はないという。
軍の連中が、駅へドヤドヤ入って来た。
どれも、坊主頭にキリッとしている。
良いものを見た感じだった。
トルコ人は、信仰心が厚い。ある時間になると、立ったり、うつ伏したりして、空ー一太陽の方角ーーに向かって、何度も礼をする。
南米の人間の気の長さに呆れた俺も、最近
❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール
徒々なる一日。
物を金に替えたり、ブラブラ町を歩いたり。
考えてみれば、あの、町を歩いている牛の様ではないか。
この貧しい生活の中にも
子供達の姿は、活々していた。
美食もなく、着飾られる事もなく、
ブランコも運動場も無くても
「自由」と「素朴」な心がスクスク育っていた。
でもやがて、この子達にも、
文明という波が押し寄せて来る。
❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ
昨夜は周囲が騒がしく、2時近くまで眠れなかった。
夜の町を歩くと、レストランでいい匂いがしていた。
けさは7時に起き、日本大使館へ行く。
郊外の立派な建物だった。一通の手紙が来ていた。
遂に、文無し。一銭も無くなった。
ハテ、どうするか?
夕方、サッカー場で40分程、補強する。
<想>
土地が変る、人間も、気候も、次々と変わる。
そのめまぐるしい変化の中で、俺の頭は少しーーだけだろうか?
❨931❩1974.3.17.日.晴/遂に日本の地を踏む。この旅を活かす生活が始まる。/Bangkok→Hongkong → Tokyo
遂に日本の地を踏む。
8時半、発。香港へ40分程止まり、ロビーまで降りる。
夕暮れ近い香港は、まだ明かりもチラホラという感じで、有名な夜景は見られず、残念。
羽田へ着いたのは、6時10分。
灯が空から見えた時、胸が何んとなく、ワクワクした。黄婚の東京には、すでに灯が沢山見え、空は曇っていた。
車輪が止まると、遂に、生きて戻ったと思った。ああ、無事命だけは持って帰れた、そうしみじみ思ったのは、ど