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#ブラジル
❨307❩1972.7.4 火 晴 サンパウロ・イン:レイコさんを訪ねる/ブラジル(São Paulo:Brazil)
ステキな光が竹の間からき込んで来、雀の鳴き声で目をさます。
65km位の所で車に乗った。100km車に乗せてもらい、予定より一日早くサンパウロへ入った。
ややこしい所だ。
船で会ったレイコさんの家へ行こうとして、ポリに住所を聞くと、難しい所だと云い、通りがかりの車を止めて、運ちゃんに俺を連れて行くように世話してくれた。
ムイト・オブリガード(ありがとう)!
車から眺めていると、やっぱりやや
❨332❩1972.7.29 土 晴 過ぎて来た国を思い出す:SUMA23日目/サンパウロ:ブラジル(Sao paulo:Brazil)
山田へレコードを送った(26クルセイロ)。
これでやれやれ。
あと手紙を7、8通書いて終わり。出した手紙の中で、果たして何通返事が来るだろう。
当てにはしないが、沢山来るといい。
過ぎて来た国を思い出した。
ロサンゼルス=気候温和で太平ムードの気楽な町。
メキシコ=マリアッチを始め、ステキな音楽が聞けた。
グアテマラ=暑さにはコッテリまいった。
ホンジュラス=たった一日でさようなら。
エル·
❨360❩1972.8.26 土 晴 ミュンヘンオリンピック入場式を見た:SUMA51日目/サンパウロ:ブラジル(Sao paulo:Brazil)
オリンピック入場式を見た。
ここまで来て、子供達に指導の成果が表れて来た。
要領がうまくなり、俺のねらった通り(8分)、やるようになってきた。嬉しい。
仕事の方、最近忙しくヤリがいがある。
本を読む時間が少ないのが残念。
ママさんから全員に一封が出た(10クルセイロ)。
日本入場を見た時、なぜか、目がしらが熱くなった。
❨363❩1972.8.29 火 晴(一時雨) ミュンヘンオリンピック日本体操選手:SUMA54日目/サンパウロ:ブラジル(Sao paulo:Brazil)
昨日・今日と、オリンピックをテレビで見た。 日本・体操チームの強いこと!
笠松さん・中山先生の顔を、ドイツの体育館の中に見る事が出来た。
二人共、オリンピックの選手、そして団体で優勝!スバラシイ。
加藤、塚原の鉄棒、何んと見事(塚原9.90が出た)。
❨405❩1972.10.10.火.曇/待つ時は、待つ以外に用がなければ、じっと待つのだ。/ポッセ:ブラジル(Posse:Brazil)
2日待った。車はダメだった。
4台の車が来たが、全て満タン。先客がいてダメ。のらりくらりと、半日が終わる。
マンゴが鈴なりになってるのを、石で落として食べる。
近くのほったて小屋には、これまた俺同様、バイヤへ向かう2家族がいて、車を待っている。
長い旅をしているのか、汚れた衣類に鍋まで持っている。
可哀相に、雨が降って来ると小屋の隅っこにかたまっている。ロクな物も食っていない。
焚き火で豆を
❨421❩1972.10.26.木.晴/フォルタレザの強盗/フォルタレザ:ブラジル(Mossoro→Fortaleza:Brazil)
フォルタレザ·イン。
日の出と共に、夜の涼しさは吹っ飛んでしまう。じっとしているだけで体力が消耗していく様だ。
一刻も早く、この赤道に近い土地から立ち去りたい。
午前10時、オニ·ブス(バス)に乗る。
フォルタレザまで240km、11コントで座席指定。誠に楽な旅となった。
1時、フォルタレザに着いた。街は割といい感じだ。海辺へ行く。
海岸に沿って、汚ないバラックが並ぶ。
潮の匂いと、その軒先か
❨488❩1973.1.1.月.晴→曇/元旦のアマゾン河/ベレン:ブラジル
新年明けましておめでとう!
と言いたいところだが、全く新年気分などない。
昨夜のパーティーで飲み過ぎて、頭がガンガン痛い。
雑煮を食ってから、シャワーで酔いをさます。
夕方、河を見に出た。それにしても大きな河だ。
波は静かで、夕焼け雲が新年らしい光をほのぼのと放っていた。
何も祈る事はなかった。ただ、ぼんやりとしていた。
「アマゾン」とは何んと神秘的な存在だったろう。それが目の前を今、流れて
❨492❩1973.1.5.金.曇,雨/いよいよ明日/ベレン:ブラジル
昼夜、暇をみて町のあちこちへ自転車を捜しに出る。
今日までに二人程、俺の自転車を見たという者がいた。
この先気長に捜せば、必ず見つけられると思うが、もうそんな気も失せた。
進みたい。次の地へ向かいたいのだ。
明日いよいよ河を飛べると思うと、ワクワクしてくる。
夜、レストランの人達が、送別会までやってくれた。
やっとベレンを去る事が出来る。
ズルズルと続いた生活だったが、俺にとってみればつい
❨498❩1973.1.11.木.曇/アマゾンに暮らす人たち/ベレン→サンタレン
デッカイなんてもんじゃない。
河巾の広い所は、20~30kmはあるだろう。
よく支流を見るが、この本流と全然変わらな い程大きい。上るにも下るにもかなり困難な道と思う。よく間違わないものだ。
殆どジャングルだが、所々、部落がある。
町でない所にも、民家がポツン ポツンと見える。
カヤぶきの粗末な家ばかりだが、いかにものどかで平和な感じがするが……どうだろう。
水の色は薄茶で始終濁っており、流れ
❨517❩1973.1.30.火.曇/軍用機で干し魚と共にボゴタまで飛ぶ/Bogota:Columbia
一夜船で明かし、重荷を背負って、レチーシアの町へ出る。
トラベル・チェックが銀行で替えられずに困 った。パスポートと字体が違うというのだ。
市内の店で親切な主人がおり、やっとペソ(1ドル 22.5ペソ)を手に、飛行場へと急ぐ。四人の連中と、1キロの道を歩いて行く。
ここでも少し出入国のカードが要るとかなんとかで少しモメたが、すぐ解決した。
ラッキーなことに、1時にある軍用機に乗れる事が決まっ