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2人同時介護(父、母編)
先ずは父の話から…
父は、ある時から足の指から
壊疽が始まった。
いくら説得しても
病院嫌いで、
頑として病院にいかない。
ドラッグストアで、
かなり強いステロイド剤(1人、1つしか売って貰えないような)
と、鎮痛剤を大量に使ってた。
私が実家に規制する度に、
あちこちのドラッグストアに寄り、
クスリの買い集めを頼まれていた。
足の包帯はどんどん増えて行く…
飲む鎮痛剤の量も用法用
無視され続ける暮らし
夫は、仕事がいっぱいいっぱいの時、
ストレスがいっぱいの時、
急に喋らなくなる。
一緒に住んでいるにも関わらず、
私はいない人(空気)として扱われる。
夫は無視しているつもりは無いのかもしれないが、話しかけても答えは帰って来ない。
無言で外出、無言で帰宅…
これが何ヶ月も続く事が、
不定期に訪れる。
わたしは「何か気に触る言動をしてしまったのでは無いか…」
子どもに教えてもらった事
子どもが生まれて初めての春、
近くの公園にベビーカーを押し
行ってみた。
同じ月齢の子を連れたお母さんに出会い
初めてお話しした。
それまで孤独に育児をしていたので、
とても嬉しく楽しかった記憶がある。
天気の良い日は、毎日公園に行き、
親子共に、友だちが増えていった。
公園友達が増え、
育児サークルに参加する事も多かった。
娘は、人見知りせず
小さな子を見かけると、
直ぐ一緒に遊び始め
新婚なのに、寂しかった…
専業主婦でスタートした新婚生活は、
夫が毎日着るスーツを
ズボンプレスし、上下セットする。
アイロンかけたYシャツ、
ネクタイ、下着、靴下、ハンカチを用意し、
着るだけにしておいた。
新婚当時は、
職場が近かったので、
玄関で見送るだけで良かった。
夫が出勤した後は、
ゴミ出し、掃除、洗濯、
買い物、夕飯の支度…
時々、入院している義父のお見舞いに
行くのだが、目が見えず、
口数が少ない義父
二度と会いたく無いと思った昔の同僚は、自分の鏡だった
結婚後、14年振りに働いた職場は、書店と、レンタルショップの複合型だった。
うつ病が完全に治る前に、働き始めた事もあり「人がコワイ」「人との距離感がわからない」…という状態だった。
その職場にいるパート仲間は、私の人生で出会った事のないタイプで、皆、個性が強めだった。
入ってすぐに、シフト交換等の連絡に必要だからと、連絡先交換してもらったのだが、
一人、とても嫌そうに、不機嫌そうに、背
都会の喧噪がトラウマに
商業高校卒業後、東京の金融機関に就職した。
本社は港区赤坂、配属先は南青山、寮は目黒区駒場東大前だった。
東北出身者は、寮生活。
6畳1間の2人部屋。
仕切りもなく、一人3畳ずつ使う感じ。
月曜から金曜日は、寮のお風呂が10時まで使えた。
食事は、寮母さん夫婦がつくってくれた物を食堂で朝晩。
この食事、おかずが、かまぼこ1枚だったり、さんま一尾だったり、デザートは、切ったバナナとか、オ
比較するなら、他人とでは無く、過去の自分と知った日
今日もコーチングを受けて、気づかせて頂いた事。
自己肯定感が低い私は、つい「自分なんて…」というネガティブな思い癖がある。
他人と比較するから、こういう思考になる訳で、他人と比較しなければ良い。
他人と比較する必要は、無い。
そして、過去の自分と今の自分では、どう変わったのか…
を、比較する事で、成長した自分に気づき、自己肯定感が生まれる。なるほど!
確かに!
と、また視界が広がった本日
自己肯定感が少しでも高い子に育てたかった
自己否定の強い私が、子育て中に、とても思い悩んだ事は
『私みたいな人間にならない為には、どう育てたら良いか』だ。
強制的、抑圧的、とくに怒りの感情では、接しないという事をしてみた。
愛情は、持っていても伝わらないと意味が無いと思い、言葉で伝える事に気を使った。
「可愛いね~」
「できたね~」
「頑張ったね~」
「自分を大切に」
「そのままで良いんだよ」
など、肯定する言葉を伝える。
子