りか(*´ω`*)

重度の鬱病を繰り返した結果、HSP気質、ASD受動型傾向、AC、とわかった2019年夏…

りか(*´ω`*)

重度の鬱病を繰り返した結果、HSP気質、ASD受動型傾向、AC、とわかった2019年夏(48歳) 子育て終了✨ 現在(2022)ログインできず、noteの更新ができません💧

記事一覧

2人同時介護(父、母編)

先ずは父の話から… 父は、ある時から足の指から 壊疽が始まった。 いくら説得しても 病院嫌いで、 頑として病院にいかない。 ドラッグストアで、 かなり強いステロイド…

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夕方散歩道

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秋田港の景色

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夕焼け

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無視され続ける暮らし

夫は、仕事がいっぱいいっぱいの時、 ストレスがいっぱいの時、 急に喋らなくなる。 一緒に住んでいるにも関わらず、 私はいない人(空気)として扱われる。 …

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子どもに教えてもらった事

子どもが生まれて初めての春、 近くの公園にベビーカーを押し 行ってみた。 同じ月齢の子を連れたお母さんに出会い 初めてお話しした。 それまで孤独に育児をしていたの…

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今、人生で1番、低速で生きてる!

いつも他人と比べ、 他人基準で 焦って焦って、 気持ちだけ前のめりで 生きて来た気がする。 他人からはきっと、 無駄とも思える 絡まったままの止まらない思考を、 日々…

2

新婚なのに、寂しかった…

専業主婦でスタートした新婚生活は、 夫が毎日着るスーツを ズボンプレスし、上下セットする。 アイロンかけたYシャツ、 ネクタイ、下着、靴下、ハンカチを用意し、 着る…

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何時間も涙が止まらなかったらうつ病だった

13年程前 その日は、 朝から涙が溢れて溢れて、 何時間も止まらず、 困り果てて病院へ行った。 何科でみてもらてば良いのかわからず、 総合案内で聞くも、 涙が溢れて声に…

4

スピード結婚の現実

親友の知人だった彼と、 3人で飲み会をした事がきっかけで、 交際をするようなった。 最初から、 あまり気をはらず、 緊張せずにいられたのは、 彼が初めてだった。 転勤…

4

親のあやつり人形だった自分

物心がついた頃の記憶の大半が、 お酒を飲んだ父が母に、 怒鳴りつけては 手元にある食器を投げつけたり 暴力をふるうシーンだ。 暴力の翌朝は、 何もなかったかのように…

4

二度と会いたく無いと思った昔の同僚は、自分の鏡だった

結婚後、14年振りに働いた職場は、書店と、レンタルショップの複合型だった。 うつ病が完全に治る前に、働き始めた事もあり「人がコワイ」「人との距離感がわからない」……

5

都会の喧噪がトラウマに

商業高校卒業後、東京の金融機関に就職した。 本社は港区赤坂、配属先は南青山、寮は目黒区駒場東大前だった。 東北出身者は、寮生活。 6畳1間の2人部屋。 仕切りもなく…

6

「おうちかえろ…」は、SOSのサインかも?!

幼少期の私が、外出先でよく発した言葉 「おうちかえろ…おうちかえろ…」 フラッシュバックする場面は、外食先や大勢の親戚の集まり。 賑やかな人の声や光、色んな匂い…

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比較するなら、他人とでは無く、過去の自分と知った日

今日もコーチングを受けて、気づかせて頂いた事。 自己肯定感が低い私は、つい「自分なんて…」というネガティブな思い癖がある。 他人と比較するから、こういう思考にな…

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自己肯定感が少しでも高い子に育てたかった

自己否定の強い私が、子育て中に、とても思い悩んだ事は 『私みたいな人間にならない為には、どう育てたら良いか』だ。 強制的、抑圧的、とくに怒りの感情では、接しない…

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2人同時介護(父、母編)

2人同時介護(父、母編)

先ずは父の話から…
父は、ある時から足の指から
壊疽が始まった。

いくら説得しても
病院嫌いで、
頑として病院にいかない。

ドラッグストアで、
かなり強いステロイド剤(1人、1つしか売って貰えないような)
と、鎮痛剤を大量に使ってた。


私が実家に規制する度に、
あちこちのドラッグストアに寄り、
クスリの買い集めを頼まれていた。

足の包帯はどんどん増えて行く…
飲む鎮痛剤の量も用法用

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無視され続ける暮らし

無視され続ける暮らし

夫は、仕事がいっぱいいっぱいの時、
ストレスがいっぱいの時、
急に喋らなくなる。

一緒に住んでいるにも関わらず、
私はいない人(空気)として扱われる。

夫は無視しているつもりは無いのかもしれないが、話しかけても答えは帰って来ない。

無言で外出、無言で帰宅…

これが何ヶ月も続く事が、
不定期に訪れる。

わたしは「何か気に触る言動をしてしまったのでは無いか…」

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子どもに教えてもらった事

子どもに教えてもらった事

子どもが生まれて初めての春、
近くの公園にベビーカーを押し
行ってみた。

同じ月齢の子を連れたお母さんに出会い
初めてお話しした。

それまで孤独に育児をしていたので、
とても嬉しく楽しかった記憶がある。

天気の良い日は、毎日公園に行き、
親子共に、友だちが増えていった。

公園友達が増え、
育児サークルに参加する事も多かった。

娘は、人見知りせず
小さな子を見かけると、
直ぐ一緒に遊び始め

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今、人生で1番、低速で生きてる!

今、人生で1番、低速で生きてる!

いつも他人と比べ、
他人基準で
焦って焦って、
気持ちだけ前のめりで
生きて来た気がする。

他人からはきっと、
無駄とも思える
絡まったままの止まらない思考を、
日々少しずつ
絡まりをといていくような時間。

他人からは
『ヒマそう…』に見えるかもしれない
私の静止画的な生活だが、
外から見えない思考は
とても忙しい。

夢中になれる事もみつからないけど、
できそうな事、
気になる事、
とりあえ

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新婚なのに、寂しかった…

新婚なのに、寂しかった…

専業主婦でスタートした新婚生活は、
夫が毎日着るスーツを
ズボンプレスし、上下セットする。
アイロンかけたYシャツ、
ネクタイ、下着、靴下、ハンカチを用意し、
着るだけにしておいた。

新婚当時は、
職場が近かったので、
玄関で見送るだけで良かった。

夫が出勤した後は、
ゴミ出し、掃除、洗濯、
買い物、夕飯の支度…

時々、入院している義父のお見舞いに
行くのだが、目が見えず、
口数が少ない義父

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何時間も涙が止まらなかったらうつ病だった

何時間も涙が止まらなかったらうつ病だった

13年程前
その日は、
朝から涙が溢れて溢れて、
何時間も止まらず、
困り果てて病院へ行った。

何科でみてもらてば良いのかわからず、
総合案内で聞くも、
涙が溢れて声にならない…
そんな様子を見て、案内されたのが
心療内科だった。

初診なので、
とても長い待ち時間だったが、
その間、一度も涙は止まらず
広い待合室で、
回りの人は異様な感じで
見ていた気がする。

持って行ったハンカチも濡れ

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スピード結婚の現実

スピード結婚の現実

親友の知人だった彼と、
3人で飲み会をした事がきっかけで、
交際をするようなった。

最初から、
あまり気をはらず、
緊張せずにいられたのは、
彼が初めてだった。

転勤族の彼との
交際にあたり、
「遠距離恋愛は、私は無理です。
それまでで、良ければ…」
というスタートだった。

とにかくお互い
仕事が忙しく、
なかなか
ゆっくり会う時間が
作れなかった。

私の両親が厳しく、
仕事以外で、
帰り

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親のあやつり人形だった自分

親のあやつり人形だった自分

物心がついた頃の記憶の大半が、
お酒を飲んだ父が母に、
怒鳴りつけては
手元にある食器を投げつけたり
暴力をふるうシーンだ。

暴力の翌朝は、
何もなかったかのように優しい父が、
不思議でならなかった。

母は、仕事に行く時に、
大きめの色のついた眼鏡で、
アザを隠していた。
腕に傷がある時は、
夏でも長袖を着ていた。
肌が白いので、
アザが目立ちやすかった。

そんな光景を見て育った私は、
幼い

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二度と会いたく無いと思った昔の同僚は、自分の鏡だった

二度と会いたく無いと思った昔の同僚は、自分の鏡だった

結婚後、14年振りに働いた職場は、書店と、レンタルショップの複合型だった。

うつ病が完全に治る前に、働き始めた事もあり「人がコワイ」「人との距離感がわからない」…という状態だった。

その職場にいるパート仲間は、私の人生で出会った事のないタイプで、皆、個性が強めだった。   

入ってすぐに、シフト交換等の連絡に必要だからと、連絡先交換してもらったのだが、
一人、とても嫌そうに、不機嫌そうに、背

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都会の喧噪がトラウマに

都会の喧噪がトラウマに

商業高校卒業後、東京の金融機関に就職した。

本社は港区赤坂、配属先は南青山、寮は目黒区駒場東大前だった。

東北出身者は、寮生活。

6畳1間の2人部屋。
仕切りもなく、一人3畳ずつ使う感じ。

月曜から金曜日は、寮のお風呂が10時まで使えた。

食事は、寮母さん夫婦がつくってくれた物を食堂で朝晩。

この食事、おかずが、かまぼこ1枚だったり、さんま一尾だったり、デザートは、切ったバナナとか、オ

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「おうちかえろ…」は、SOSのサインかも?!

「おうちかえろ…」は、SOSのサインかも?!

幼少期の私が、外出先でよく発した言葉
「おうちかえろ…おうちかえろ…」

フラッシュバックする場面は、外食先や大勢の親戚の集まり。

賑やかな人の声や光、色んな匂いや雰囲気を感じ取り過ぎて、緊張や不安で疲労し、頭やお腹が痛くなるが、自分の体調不良や気持ちを伝える事ができず

「おうちかえろ…おうちかえろ…」
と、繰り返していたのだ。

両親は、『内弁慶な子』という捉え方だったようだ。

自分がHS

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比較するなら、他人とでは無く、過去の自分と知った日

比較するなら、他人とでは無く、過去の自分と知った日

今日もコーチングを受けて、気づかせて頂いた事。

自己肯定感が低い私は、つい「自分なんて…」というネガティブな思い癖がある。

他人と比較するから、こういう思考になる訳で、他人と比較しなければ良い。
他人と比較する必要は、無い。

そして、過去の自分と今の自分では、どう変わったのか…
を、比較する事で、成長した自分に気づき、自己肯定感が生まれる。なるほど!

確かに!

と、また視界が広がった本日

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自己肯定感が少しでも高い子に育てたかった

自己肯定感が少しでも高い子に育てたかった

自己否定の強い私が、子育て中に、とても思い悩んだ事は

『私みたいな人間にならない為には、どう育てたら良いか』だ。

強制的、抑圧的、とくに怒りの感情では、接しないという事をしてみた。

愛情は、持っていても伝わらないと意味が無いと思い、言葉で伝える事に気を使った。

「可愛いね~」
「できたね~」
「頑張ったね~」
「自分を大切に」
「そのままで良いんだよ」

など、肯定する言葉を伝える。

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