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2人同時介護(父、母編)

先ずは父の話から…
父は、ある時から足の指から
壊疽が始まった。

いくら説得しても
病院嫌いで、
頑として病院にいかない。

ドラッグストアで、
かなり強いステロイド剤(1人、1つしか売って貰えないような)
と、鎮痛剤を大量に使ってた。

私が実家に規制する度に、
あちこちのドラッグストアに寄り、
クスリの買い集めを頼まれていた。

足の包帯はどんどん増えて行く…
飲む鎮痛剤の量も用法用量を
遥かに超えた。

痛みや不安を誤魔化す為、
朝からアルコールを飲むように
なって行った。

家族の誰の言う事も聞かない父を見かね、
実家の前に住む叔父(母の弟)が、
総合病院糖尿病専門医と知人だった為、
父に内緒で、家庭訪問して貰った。
「普通の人だったら、とっくに死んでましたよ!」と医師に言われた。
自己流応急処置の、塗り薬のお陰で、
全身に壊疽が回らなかったらしい。

医師と父が同郷だった事もあり、
意気投合出来た事で、
やっと入院し検査、
手術までたどり着いた。

何年も自己治療で、誤魔化して来た結果、
片脚の膝から下を切断する事になった。

「入院中、絶対見舞いに来るな!」
と、言われていた。
辛い状況を見せたくなかったのだ。

切断した脚は、火葬用の木箱に入れて
母が1人で火葬場に持って行った。
小さい骨箱は、父が亡くなるまでは、
自宅の仏壇に…

母は、仕事をしながら、
毎日、父の病院に通い、
仕事が終ってから、
自動車学校にも通い始めた。
片脚を失った父の為に,
50代で運転免許を取った母の
父への愛と、頑張りを
とても尊敬している。

失った脚の先が痒かったり、
痛みを感じたり…という症状にも耐えながら、毎日、リハビリを頑張った父。

義足がなかなか合わず、
痛みで使いたがらず、
家の廊下は車椅子。
階段はバックでお尻と腕で昇り生活。

そんな要介護生活の父を抱えつつ、
仕事をしていた母の大腸癌がみつかった。

毎年検診は受けていたが、
たまたま前年度、発見されなかった為,
みつかった時は、ステージ4だった。

兄は東京にいるし、
母の手術、入院に付き添えるのは私だけ。
娘は小学校に入学したばかり。

母の入院付き添いの間、
娘の学校を休ませ、
車椅子生活の父と2人で、
過ごさせるしかなかった。
小学1年生の娘に、
おじいちゃんのお世話を任せた。

母の手術後、すぐに出頭医に呼ばれ、
切り取った幹部を見せてもらいながら
説明を受けた。
「残念ながら、リンパ節に転移してましたが、取り切れたと思います」と…

麻酔が覚めた母には、
リンパ節転移の話はしなかった。
「無事、終わったよ!がんばったね」
と声をかけた。

父にも転移については、話さなかった。
東京の兄だけには、電話で正確に伝えた。

車椅子の父と、小1の娘2二人だけにしてしまっている事が心配で、
看護師さんにお願いし、
少しの時間、実家の様子を見に行った。

父は母のいない、寂しさや不安からか、
日中からアルコールを飲んでた。
夜中に
娘がお腹が痛いと言ったらしく、
市販薬を飲ませたという…

幼い子どもに、
勝手に市販薬を飲ませちゃいけない事を
伝えたが、娘の心身も心配だった。

娘なりに、おじいちゃんのお世話をしてくれていたようたが、まだ6~7歳なのだ。

母は、父の事が心配で、
予定よりもだいぶ早く
退院させてもらった。
傷口の消毒薬など、
自分でやる方法を習い…

母の手術日は、私も病院に泊まらなければならなかったが、
娘の学校を長期休ませる訳にもいかず、
父には、糖尿病食の冷凍お弁当を手配し、玄関先に、届けてもらうようにし、
いったん、
車で2時間半程の
自宅に戻った。

数日後、実家に様子を見に行くと、
父は
食事には一切、
手を付けておらず、
お酒ばかりのみ、
痩せていく父を見るのがとても辛かった。

大きなボトルの焼酎を買いに行ってくれと言われ、父と言い合いになったが、
大声で怒鳴られ
泣きながら買いに行った事が
忘れられない。

私がいない間は、
タクシーで買いに行っていたようだ。

寂しさをお酒で紛らわしたい気持ちは、
理解出来るが、
食べずに飲んでばかりいる為、
腕の力で車椅子に乗り移ろうとした時に、テーブルに胸を強打し、
肋骨が折れていた。
その事も隠して我慢していたようだ。

無理して早く退院した母だが、
まだ傷口のせいで
思うように動けない。

そんな母に、労りの言葉を
かけるでもなく、
家事をさせる父。

私も子どもの学校がありつつも
できる限り通い、
母を助けた。

東京にいる兄家族だが、
兄嫁が長年ストライキを起こしている為、
実家の全ては、私がやらなければならない。

近くに親戚もいるが、
絶対に話すな!と言われてたので、
頼れる人はいなかった。

要介護の父と、
癌手術の母の付き添い、
小1の娘にも負担をかけたが、
気合で乗り越える事が出来て、
これがまた、次回への教訓にもなった。

やれば何とかなる!
火事場の馬鹿力的な経験の1つだ。