りか(*´ω`*)

重度の鬱病を繰り返した結果、HSP気質、ASD受動型傾向、AC、とわかった2019年夏…

りか(*´ω`*)

重度の鬱病を繰り返した結果、HSP気質、ASD受動型傾向、AC、とわかった2019年夏(48歳) 子育て終了✨ 現在(2022)ログインできず、noteの更新ができません💧

最近の記事

2人同時介護(父、母編)

先ずは父の話から… 父は、ある時から足の指から 壊疽が始まった。 いくら説得しても 病院嫌いで、 頑として病院にいかない。 ドラッグストアで、 かなり強いステロイド剤(1人、1つしか売って貰えないような) と、鎮痛剤を大量に使ってた。 私が実家に規制する度に、 あちこちのドラッグストアに寄り、 クスリの買い集めを頼まれていた。 足の包帯はどんどん増えて行く… 飲む鎮痛剤の量も用法用量を 遥かに超えた。 痛みや不安を誤魔化す為、 朝からアルコールを飲むように

2人同時介護(父、母編)

    無視され続ける暮らし

    夫は、仕事がいっぱいいっぱいの時、 ストレスがいっぱいの時、 急に喋らなくなる。 一緒に住んでいるにも関わらず、 私はいない人(空気)として扱われる。 夫は無視しているつもりは無いのかもしれないが、話しかけても答えは帰って来ない。 無言で外出、無言で帰宅… これが何ヶ月も続く事が、 不定期に訪れる。 わたしは「何か気に触る言動をしてしまったのでは無いか…」 それを夫に聞いた所で、 返事も返って来ない… ただただ、…めんどくさい… と

    無視され続ける暮らし

    子どもに教えてもらった事

    子どもが生まれて初めての春、 近くの公園にベビーカーを押し 行ってみた。 同じ月齢の子を連れたお母さんに出会い 初めてお話しした。 それまで孤独に育児をしていたので、 とても嬉しく楽しかった記憶がある。 天気の良い日は、毎日公園に行き、 親子共に、友だちが増えていった。 公園友達が増え、 育児サークルに参加する事も多かった。 娘は、人見知りせず 小さな子を見かけると、 直ぐ一緒に遊び始める。 親の存在を忘れているかのように… 公園から脱走したり、 友だちの玩具を

    子どもに教えてもらった事

    今、人生で1番、低速で生きてる!

    いつも他人と比べ、 他人基準で 焦って焦って、 気持ちだけ前のめりで 生きて来た気がする。 他人からはきっと、 無駄とも思える 絡まったままの止まらない思考を、 日々少しずつ 絡まりをといていくような時間。 他人からは 『ヒマそう…』に見えるかもしれない 私の静止画的な生活だが、 外から見えない思考は とても忙しい。 夢中になれる事もみつからないけど、 できそうな事、 気になる事、 とりあえずやれる事を、 やってみるだけでも良いんじゃないか… 時間は有限だけど、 生き

    今、人生で1番、低速で生きてる!

    新婚なのに、寂しかった…

    専業主婦でスタートした新婚生活は、 夫が毎日着るスーツを ズボンプレスし、上下セットする。 アイロンかけたYシャツ、 ネクタイ、下着、靴下、ハンカチを用意し、 着るだけにしておいた。 新婚当時は、 職場が近かったので、 玄関で見送るだけで良かった。 夫が出勤した後は、 ゴミ出し、掃除、洗濯、 買い物、夕飯の支度… 時々、入院している義父のお見舞いに 行くのだが、目が見えず、 口数が少ない義父との会話は、 全く続かず、 コミュニケーションに困った。 義母は、仕事があり、

    新婚なのに、寂しかった…

    何時間も涙が止まらなかったらうつ病だった

    13年程前 その日は、 朝から涙が溢れて溢れて、 何時間も止まらず、 困り果てて病院へ行った。 何科でみてもらてば良いのかわからず、 総合案内で聞くも、 涙が溢れて声にならない… そんな様子を見て、案内されたのが 心療内科だった。 初診なので、 とても長い待ち時間だったが、 その間、一度も涙は止まらず 広い待合室で、 回りの人は異様な感じで 見ていた気がする。 持って行ったハンカチも濡れ 大量のティッシュも 使い果たし、 泣き過ぎて目も腫れ、 頭痛も酷く 鼻詰まりで窒息

    何時間も涙が止まらなかったらうつ病だった

    スピード結婚の現実

    親友の知人だった彼と、 3人で飲み会をした事がきっかけで、 交際をするようなった。 最初から、 あまり気をはらず、 緊張せずにいられたのは、 彼が初めてだった。 転勤族の彼との 交際にあたり、 「遠距離恋愛は、私は無理です。 それまでで、良ければ…」 というスタートだった。 とにかくお互い 仕事が忙しく、 なかなか ゆっくり会う時間が 作れなかった。 私の両親が厳しく、 仕事以外で、 帰りが遅くなる時は、 ・22時が門限。 ・外泊禁止。 仕事が休みの日は、 ・なるべ

    スピード結婚の現実

    親のあやつり人形だった自分

    物心がついた頃の記憶の大半が、 お酒を飲んだ父が母に、 怒鳴りつけては 手元にある食器を投げつけたり 暴力をふるうシーンだ。 暴力の翌朝は、 何もなかったかのように優しい父が、 不思議でならなかった。 母は、仕事に行く時に、 大きめの色のついた眼鏡で、 アザを隠していた。 腕に傷がある時は、 夏でも長袖を着ていた。 肌が白いので、 アザが目立ちやすかった。 そんな光景を見て育った私は、 幼い頃から、 常に父の顔色の変化を見逃さないよう、 機嫌を損ねないよう ビクビクしな

    親のあやつり人形だった自分

    二度と会いたく無いと思った昔の同僚は、自分の鏡だった

    結婚後、14年振りに働いた職場は、書店と、レンタルショップの複合型だった。 うつ病が完全に治る前に、働き始めた事もあり「人がコワイ」「人との距離感がわからない」…という状態だった。 その職場にいるパート仲間は、私の人生で出会った事のないタイプで、皆、個性が強めだった。    入ってすぐに、シフト交換等の連絡に必要だからと、連絡先交換してもらったのだが、 一人、とても嫌そうに、不機嫌そうに、背を向けたまま、アドレスを書いた紙を、私に投げるようにして来た。 人にこんな態度

    二度と会いたく無いと思った昔の同僚は、自分の鏡だった

    都会の喧噪がトラウマに

    商業高校卒業後、東京の金融機関に就職した。 本社は港区赤坂、配属先は南青山、寮は目黒区駒場東大前だった。 東北出身者は、寮生活。 6畳1間の2人部屋。 仕切りもなく、一人3畳ずつ使う感じ。 月曜から金曜日は、寮のお風呂が10時まで使えた。 食事は、寮母さん夫婦がつくってくれた物を食堂で朝晩。 この食事、おかずが、かまぼこ1枚だったり、さんま一尾だったり、デザートは、切ったバナナとか、オレンジ一切れとか。 寮費を払っている割に、十分な食事を取らせてもらえていなかっ

    都会の喧噪がトラウマに

    「おうちかえろ…」は、SOSのサインかも?!

    幼少期の私が、外出先でよく発した言葉 「おうちかえろ…おうちかえろ…」 フラッシュバックする場面は、外食先や大勢の親戚の集まり。 賑やかな人の声や光、色んな匂いや雰囲気を感じ取り過ぎて、緊張や不安で疲労し、頭やお腹が痛くなるが、自分の体調不良や気持ちを伝える事ができず 「おうちかえろ…おうちかえろ…」 と、繰り返していたのだ。 両親は、『内弁慶な子』という捉え方だったようだ。 自分がHSP気質という事を知ったのは、つい数ヶ月前だ。 病気でも障害でもなく、生まれ持っ

    「おうちかえろ…」は、SOSのサインかも?!

    比較するなら、他人とでは無く、過去の自分と知った日

    今日もコーチングを受けて、気づかせて頂いた事。 自己肯定感が低い私は、つい「自分なんて…」というネガティブな思い癖がある。 他人と比較するから、こういう思考になる訳で、他人と比較しなければ良い。 他人と比較する必要は、無い。 そして、過去の自分と今の自分では、どう変わったのか… を、比較する事で、成長した自分に気づき、自己肯定感が生まれる。なるほど! 確かに! と、また視界が広がった本日。

    比較するなら、他人とでは無く、過去の自分と知った日

    自己肯定感が少しでも高い子に育てたかった

    自己否定の強い私が、子育て中に、とても思い悩んだ事は 『私みたいな人間にならない為には、どう育てたら良いか』だ。 強制的、抑圧的、とくに怒りの感情では、接しないという事をしてみた。 愛情は、持っていても伝わらないと意味が無いと思い、言葉で伝える事に気を使った。 「可愛いね~」 「できたね~」 「頑張ったね~」 「自分を大切に」 「そのままで良いんだよ」 など、肯定する言葉を伝える。 子どもが思い悩んでいる事に気づいた時は、一緒にお風呂に入り、とことん言いたい事を聞

    自己肯定感が少しでも高い子に育てたかった