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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ① part.6


みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


本日より、記事再開いたします。

課題もおかげさまで、順調に、テンポ良く取り組めましたので、今度はこちらで思いっきり記事が書けそうです。

課題間は、自分の精神状態は自分の取組にも大きく影響することを、改めて体感したので、表現はしつつも「自分の精神を整えること」に意識を置いた生活を心がけようと思います。


さて、そろそろ1冊目の半分の量を超えた

「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」

の日です。

過去に何度か読んでいるのですが、読み返すたびに新しい発見を授けてくれます。

全然気にならなかった部分がすごく気になったり、反対にすごく熱心に読んでいた部分をサラッと流して読むなど、その時によって、出逢うことが違うのでしょうね。


それでは、本日も参ります。


読み進めていく書籍は、

エレイン・N・アーロン
「ささいなことにも すぐに『動揺』してしまうあなたへ。」

です。



💟

はじめに


最初にお断りしておきます。


この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、

レビューではありません。


この連載の構成は、

・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」

という、

個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに

「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」

という「表現」を、共有させていただく記事です。


ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、

何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」

と感じられた時は、

ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。


ですので、

「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」

という方は、申し訳ないですが、

・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト

・出版社のホームページ

で、お探しください。


以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、

よろしくお願いいたします。


標記説明ついて:
【】の中にある題名部分が、当記事のメインとなります。



💟

【感想:第五章 HSPの社会生活】「ささいなことにも すぐに『動揺』してしまうあなたへ。」


「敏感さ」と「人見知り」、私の場合も、この単語の組み合わせはセットで使われていた。

「人見知りするのは、敏感だから・・・」という表現を聞くたびに、何度自分自身に「出来損ない」というラベルを貼り続けてきただろう。

しかし、それはもう必要のないことだと、アーロン博士は教えてくれた。

「敏感さ」と「人見知り」は全くの別問題で、社会の風潮から、なんとなくこの単語同士がくっついてしまって、そのままセットにして考えられてしまうために、多くのHSP気質を持つ人が自信をなくしてしまうことを知った。


よく考えてみると、偉人の「人見知り」は賞賛されたり逸話として紹介されることがあって、伝記や記録として残され、多くの人に伝えられるべきものとして扱われる。

ところが、一個人の「人見知り」は、なぜか病的なイメージや消極的なイメージとして捉えられてしまう。

まるで、その個人が社会に馴染めない原因であるかのように、改善するべきこととして、自分の神経が高ぶる許容量を、一般社会に合わせることができるように、支援プログラムが組まれることもある。

そのプログラムに取り組んで、何とも思わない人もいれば、その支援を受けることによって、さらに自分に自信をなくしてしまって、周囲との関係を断ちたいと考えた人もいただろうと思う。


「人見知り」という単語一つに、どれだけの人間が必要のない悲しみや苦しみ、辛さ、周囲の誤解を受けてきたかを考えると、想像するには余りある。

私自身も、この単語が、まるで呪いのように自分にべったりとくっついて離れず、人と何かをすることにおいて、一回一回が辛くて逃げ出したかった。

上手い具合に「優しくてものわかりのいい私」でいなければ、「人見知り」の部分が強調されてしまっては、今まで積み上げてきた自分の我慢が総崩れになってしまう。

その事態だけは断じて避けたい。

私の気質が「敏感」であることを認めてしまったら、そうある自分が生きていくことを、社会は許してはくれないという、強迫観念にも似た状態が続いたこともあった。

たかが4文字の言葉であっても、使い方、効果次第では、その人らしさを、十分に蝕む威力を持っている。


「敏感さ」は変えられなくとも、神経の高ぶりを自分でコントロールする方法はたくさんある。

方法はいくらでも試すことができるけれど、「敏感さがある」と言った途端、急に拒否反応が起こったように、発言の前と後の雰囲気ががらっと変わる人もいる。

社会や時代がイメージづかせた「敏感さ」の印象が悪かったのかもしれない。

しかし、今これだけ「多様性」や「共存」という言葉が使われるようになったならば、自分自身の思考や感覚で「敏感さ」について考え、想像する力を養っていきたい。


私自身、HSPを理由に「誰とも付き合いたくない」と言いたくない。

この感覚を話して、理解を示したり、共感してくれるのも、また”誰か”なのだ。


自分なりに、できる限りの、神経の高ぶりをコントロールする努力はする。

だからどうか「外向的であること」を強制しないで欲しい。

「内向的であること」「一人でいる時間が必要であること」を、「社会とは繋がりを持ちたくないこと」「みんなと仲良くなりたくないこと」と一緒にしないで欲しい。


HSPの割合が少ないとはいえ、それを、非HSPの人が多い事だけを理由に、HSP気質傾向の人たちに、「今の社会風潮を理解しろ」「上手く馴染める方法を探せ」で片付けるのは、個人的に納得しかねる。

私たちがめざす多様性は、まだ道半ば。

いや、そもそも道半ばにまで、到達できているだろうか?



💟

【学んだこと】


「敏感さ」と「人見知り」は、切り離せないものだと思っていました。

今回はそんな部分から、根本的に覆されました。


アーロン博士によれば、「敏感さ」は遺伝するものであり、「人見知り」は遺伝ではないとのことです。

「人見知り」は、ある状況での反応であり、「一時的な精神状態」のことを言います。

相手に対して自分が緊張しているだけ、ではなく、自分と相手がいる周囲の環境からも、自分が相手に対して行った行動に対する「人目」や「周囲の反応」刺激を受け取ってしまうので、そのことが、「失敗」や「神経の高ぶり」につながっていく、ということです。


確かに、人と関わっていく「世の中」には、様々な場所があり、環境があります。

これが、学校や会社といった「ある団体」としての肩書きを背負っている場合、どうしても一定の制約が設けられた環境で、人間関係を構築していくことになります。

誰かと関係を構築するのには、主にその相手と自分の問題ではありますが、それと同様に、「周囲の反応」も、HSPの視点から見れば、社会生活を維持していくための、重要な要素になるのだと考えます。


関係を構築する際に、誰かにはやし立てられたり、自分なりの関係構築の方法を指摘されると、その状態が記憶され、恐怖を抱いてしまった経験をされた方も、中にはいらっしゃるのではないでしょうか。

アーロン博士は、この状態を経験した時、次回では、前回の反省を踏まえて行動しようとするので、神経が高ぶってしまい、上手く行動することが出来ずに空回りをしてしまう状態になり、それを見た周囲の人間が、「あの人は、人見知りだから・・・」と認識していく、という状態が、発生する可能性があることを示唆してくださっています。

そうした失敗が繰り返されると、どんなにその人にとって、表現する環境がよくても、そこに人がいるだけで、神経が高ぶってしまう状態になります。

発達の観点からも、「周囲の環境や反応」が人格形成に大きく影響することを考えると、人によって、「人が怖い」と信じるには、十分な出来事のようにも思うのです。


もう一つ、自分の中で大きな驚きだったのが、「人見知り」を、

「社会的不快感」と、言い換えられていたこと

です。

「社会的不快感」は、

「大きな音にびっくりする」
「匂いに敏感である」
「騒音が耐えられない」
「マルチタスクが苦手」
「監視されると集中できない」等

HSP診断に出て来る状態にも、言い換えることができ、自分の中で「これができない」「あれが苦手」と思わないで、

「そうした不快感を感じる」と言えるので、「自分の能力がダメなのだ」と思わないで、考えて続けることができる

ので、個人的には、とてもいい言い換えを、教えていただいた気持ちです。


HSPの内向性を認めて、自分に合う方法で、社会不快感を取り除くことが重要で、自分の行動に対するリフレーミング(捉え直し)を、おすすめされていました。

「神経の高ぶり」の原因は、「相手への恐怖」ではなく、

「①過去に失敗したこと・誰かに指摘されたことを思い出してしまい、

 ②「失敗しないようにしよう」「指摘されないようにしよう」と行動した

 ③結果、失敗し、

 ④その様子を見た周囲の人間・環境から、レッテルをはられてしまう」

という、

「①→②→③→④→①→②・・・」の循環が繰り返されることで、悪化する

が、私の中では大きな発見でした。


ここには詳しく書きませんが、「社会的不快感」を軽減させるワークも掲載されていました。

このワークは、HSPのみならず、人との関わりに悩む人・苦労している人、コミュニケーションに興味がある人等、いろいろな人にやってみて欲しいです。


「自分の内向性を評価する」と、アーロン博士は書いておられました。

「内向性を評価すること」は、自分にとっての新たな社会が拓けることにもつながるのだろうと思います。



💟

【自分でどのように生かすか】


今回の章が社会生活とあっただけに、今までの章と比べると、より多くのワークが紹介されていたので、自分でもどれから実践してみようか、迷います。


個人的には、HSPが感じられる・体感されることを「社会的不快感」と言い換えるものは、是非そうした言い方で定着させたいと、考えています。

HSPの診断項目がネガティブだと言いたいわけではありませんが、それでも、自分の感覚で「できない」「無理だ」と言った時の、負い目感のような気持ちを、少しでも払拭できそうなので、この単語を使っていきたいと思うのです。


「神経の高ぶり」は「人への恐怖」ではなく、

ある時点で経験した「自分・相手・環境による循環が、繰り返されることで悪化したもの」

は、しっかり胸に刻んでおこうと思います。


「敏感さ」と「神経の高ぶり」は別のもので、

「敏感さ」は、「神経の高ぶり」を、より細やか・より正確に捉えることで、自分の心身を防衛するシステム

であると、考えています。


自分自身でも、書いていてややこしく感じるのですが、少なくとも

「敏感さ」=「神経が高ぶること」”ではない”

ということは分かったので、自分で、本を見ないで人に説明できるようになるのが、今後の目標です。


HSPには、まだまだ多くの解明されていない部分があると聞きます。

学術的な立場の意見も参考にはなりますが、自分で調べてまとめていくことも、HSPに対する姿勢を示すことになるのかなと、思いました。



💟

みなさんからのスキに、いつも励まされています。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい週末をお過ごしください。



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