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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ① part.4


みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


最近「怖い」という単語を連呼して、記事を書いた後、自分が言う「怖い」は、いつどこで何を経験して感じて「怖い」になったのだろうと、「怖がる」状態から、「考える」状態に変化しつつあります。

そんな「怖い」だけを叫んだ記事でも、たくさんのクリエイターさんの目に留めていただけたことに、感謝です。

ゴールデンウィークなので、記事の投稿が変則的になりますが、今日も楽しく更新していきます。


さて、公開が遅れましたが、

「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」

の日です。

個人的な興味ですが、他のみなさんはHSPについて、動画かブログか本か、どこから情報を集められるのだろうと、考えています。

昨今、本離れが叫ばれているにも関わらず、HSP関連については、書籍で知る人も多いのではないかと、個人的に見ています。


読み進めていく書籍は、

エレイン・N・アーロン
「ささいなことにも すぐに『動揺』してしまうあなたへ。」

です。



💟

はじめに


最初にお断りしておきます。


この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、

レビューではありません。


この連載の構成は、

・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」

という、

個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに

「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」

という「表現」を、共有させていただく記事です。


ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、

何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」

と感じられた時は、

ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。


ですので、

「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」

という方は、申し訳ないですが、

・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト

・出版社のホームページ

で、お探しください。


以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、

よろしくお願いいたします。


標記説明ついて:
【】の中にある題名部分が、当記事のメインとなります。



💟

【感想:第三章 「敏感すぎるカラダ」の健康と生活】「ささいなことにも すぐに『動揺』してしまうあなたへ。」


この本を開いて、衝撃を受けたことばの1つに

「乳幼児的なカラダ」

がある。

著者であるアーロン博士が、HSP気質の身体を、そうして表現していることに、驚いたことと、恥ずかしさが込み上げてきたことを、思い出した。


正直な所、自分のHSP的身体の気質について、「乳幼児」と例えるくらいに敏感だと思わなかったし、身体のケアが重要だということは思わなかった。

ケアをすると言っても、”一般的な範囲”と言われている睡眠量や、食べものの量で収めたら、そのまま収まったのに、どうしてさらに自分の身体のケアに時間をかけないといけないのかが、納得いかなかったのだ。

周囲の人がするように、深夜まで活動的に行動したり、いろいろな刺激に慣れるために積極的に刺激を受けに行ったりしていた。

そうした経験を重ねることで、行動範囲が広がり、ある程度の刺激に慣れることができていた部分もあった。


だが、その”慣れる”行動は、私にとって、あまりにも心身を疲れさせてしまうことであり、その”慣れる”行動のために、何度自分に無理を強いて「普通」という型にはめようとしていたか分からない。

年を経るごとに、様々な刺激に慣れていくのが自然の流れであり、身体自身もその流れに乗って、受け入れることができていくと考えていたのに、どうも自分が考えていた通りに身体が動かない。

むしろHSPを知って、今まで我慢できていたことでも、内なる自分が「もう嫌だ!我慢したくない!!」と暴れ出すことが多くなった。

私はそうして暴れ出す、自分の「乳幼児的なカラダ」の声を聴かずにいたり、無理矢理その声を潰してきた。

その声を潰さないと「社会」や「環境」には馴染めず、世界から見放されると思っていた。

でも、今から思えば、この時の私は「自分の身体」に対して、とんでもない勘違いをしていた。


「私が、自分の乳幼児的なカラダを、お世話してあげている」と思っていたけれど、正しくは、

「私の乳幼児的なカラダが、私の頭が要求することに、合わせてくれていた」

という状態だった。


「そんなワケない!」と思いつつも、なんとなく思い当たる節が出てきた。

前の職場で、自分の「敏感さ」をもて余し、心身共に辛かった時に、私は自分の身体に

「身体が疲れやすいのは分かったけど、倒れないでよね?ただでさえ、面倒な私の身体を、使ってあげてるんだから。」

と、思っていた。

今、こうして文章にして書くだけでも、自分自身に対して、重く暗い罪悪感でいっぱいになるけれど、当時の私の身体は、自分自身からのそんな暴言を受けながらも、倒れないで、ただただ自分自身に愛して欲しいだけで、頑張って行動していた。


私、どうしよう。

自分になんてことを言ってしまったのだろう。


申し訳ない気持ちでいっぱいになって読んでいくと、その「乳幼児的なカラダ」のメッセージを、アーロン博士が紹介してくれた。

ただただ自分自身に愛して欲しい、慈しんで欲しいと綴られた言葉に、私はとうとう涙をこらえきれず、大泣きした。


ごめんね。

あなたに、私の身体に、すごく酷いことをして、言って、ごめんなさい。



💟

【学んだこと】


ここでの学びは、私自身の感情が強く揺さぶられ、目を背けていたことに向き合わざるを得なくなり、とても苦しい気持ちでした。

特に、自分の「乳幼児的なカラダ」を扱う分に関しては、私が自分自身に行ってきた酷い扱いを、身体は忘れないと思いますし、私自身も忘れたくないと強く思っています。

そう思ったのは、次のような例え話がされていたからです。


赤ちゃんは、自分の身体の不快・不調を訴えるために、泣いて親を呼び、それに対して親は、いろいろな改善方法を実践したり、試行錯誤をします。

でも、中には、赤ちゃんが泣いていても、その泣き声をを放置したり、「うるさい!」と黙らせてしまう親もいます。

HSP気質を例える「乳幼児的なカラダ」は、まさにこの状態に例えられるらしいのです。

赤ちゃん(=HSP気質の乳幼児的なカラダ)は、親(=私自身)に「ケアをして欲しい」「身体のメンテナンスをして欲しい」と泣いていて、親の扱いによって、「敏感さ」に変化が生じるというものでした。


人間の発達における人格形成には、環境や周りの人間の関わりが大きく影響することは、大学の授業で学んだことなので、知っていましたが、自分の敏感な身体をも「赤ちゃん」に例えることができるのは、私にはなかった発想です。

「敏感さ」も自分が置かれる環境や人間関係によって、大きく変化することに、「HSP気質」を、ある程度、自分の身体にも自覚できている部分があるならば、

「体調管理」を、「若さでなんとかなる」とか「ちょっとくらい打たれ強くならないといけない」「お医者さまが勧めてくれるから」を理由に、自分に合わない管理方法をしたくない

と、感じました。


インターネットでも書籍でも、さまざまな身体の支障に対して、いろいろな改善方法を提示してくれます。

私の考えですが、それはあくまで統計的に見て、多くの症状を見てきた時に「この症状には、この方法が有効だ」という一般論である部分があり、”必ず自分にも効く”とは言えません。

その「一般論での方法」で改善されるなら、それに越したことはありません。


だからこそ、自分自身の身体が求めることを聴いて、十分なケアをしてあげることが大切なのだと思います。

お医者様や改善方法は、”物理的に”症状を治してくれるのであって、ここまでのつらさや苦しさを味わった自分の気持ちを、直接癒してくれる人・もの・ことではありません。

気持ちに寄り添ってくれるお医者さまもいますが、それが必ず全員とは言い切れません。


そうして考えると、自分自身で、「乳幼児的なカラダ」をケアする方法を知り、実践を重ねてもいいのではないかと思いました。

身体症状の全てを専門家に任せるのではなく、特にHSP気質が強い身体に関しては、

自分自身の身体の感覚を、一番に分かってあげて、どんな感覚でも肯定していたいです。



💟

【自分でどのように生かすか】


自分の身体が「赤ちゃん」だと例えられて、理解できたおかげで、自分自身を守るためにも、無理はできないし、極力したくないと思います。

自分が考えるよりも、想像するよりも、自分の身体は自分がどう動きたいかをよく知っていて、その願いを叶えて、自分自身に愛されることに躍起になっているとも考えられます。

そういう場面も考慮して、この知識をどう生かそうかを考えた結果、

身体が「こうしたいな・・・」と感じる体勢や動きがあったら、すぐに身体が願う動きをとる

というものです。

今現在、その行動を実践最中なのですが、身体にかかる負担が、かなり楽になってきている感覚があるのです。


特に、私自身、PMSやPMDDに悩まされることがあるのですが、自分の身体を最優先に行動すると、その症状が和らいでいるように思います。

いろいろな改善方法や気分転換方法がありますが、それは”あくまで参考”にしてるだけで、自分の感覚にあった方法を取り入れて、落ち着かせています。


自分の身体が求めるケアを施して、”嬉しい””幸せ”という感覚を得ることは、気分だけでなく、身体の免疫力を高めてくれます。

文章で書いてしまうと薄っぺらく聞こえてしまうところが、もどかしいのですが、「書く」こと表現するよりも、ずっと「自分を守れている・守られている」という感覚を覚えます。

私たちは、自分が考えるよりも身体の扱い方を、ないがしろにしたり、調子の悪い部分を放置して悪化させたりすることもあるので、身体の「繊細さ」にもっと目を向けてもいいのかもしれないと思うのです。

専門家までとは行かなくても、自分の身体のご機嫌を自分で取れるようになっていいですし、それを「専門家がそう勧めるから」という理由ではなく、「自分がこの感覚で癒されるから」という方法を取り入れることが、大切なのかもしれないですね。


乳幼児的なカラダは、私が死ぬまで共にする身体です。

この世界を離れるその瞬間まで、大切に労り、癒し、これからもいろいろな活動に取り組んでいきたいと、考えています。



💟

みなさんからのスキに、今日も元気をいただけます!

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい連休をお過ごしください!



クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。