#foveon
「オラなんか撮っとらんとそれでも撮れや」
"写真を撮ると魂を吸い取られる"
ばあちゃんはそういう時代の人間です。
写真を撮られるのを嫌がりました。
表題のことを言い、そして指差したのがこの黄色いツツジ。
つくづく、写真には見えているもの以外のものも写っているんだなぁと思います。
切り取られた部分以外の風景や周りにいる人、そこで交わされた会話、そして、撮る側にいる人間...
止まっているようで、止まっていない時間が写り込んでいま
そこにばあちゃんは居なかった
ばあちゃんは、よお草むしりしとる人やった。
「おらがやらなんだら草ばっか生えてどんならん」
そう言って、家の周りのどこかで草むしりをしていた。
玄関を出ればどこかに必ずいた人が
今はどこを撮ってももういない。
気付いたら泣きながらカメラのファインダーを覗いていた。
でも、ばあちゃんはずっと俺の中にいるなぁと。
ありきたりな言葉って、本当にその通りだからみんな言うんだろうな、と。
た
あの時嗚咽したのは哀しかったからじゃない。懐かしかったから。
こんばんは。
ばあちゃんの死などを機に、地元に戻ってきた奴です。
そのことについてはこちらのMagazineを。
日々、生きる活動
「生活」
をしていてふと気づきました。
ばあちゃんの死を受け入れられていることに。
死顔を拝めなかったことや、最後のありがとうを骸にさえ伝えられなかった無念は別の感情としてあるんですが...
毎日泣く、ということがなくなったんです。
僕の生活と、感情