【800字コラム】 Often
高校1年の頃、C君というカナダ人が交換留学で学校に来ていた。
ある日そのC君が英語の授業で、先生からのリクエストで教科書の英文を読んでくれることになった。
僕のいた中高一貫校では中学入学時に第1外国語として英語かフランス語を選べるんだけど、僕のようなフランス語選択者は圧倒的に少なく、英語科の教員もフランス語を取るような異端児には冷たくて、第2外国語の授業には学生上がりの若い非常勤講師を宛てがうことが多かった。
ただでさえつまらない英語のクラスはかくして、学級崩壊になるべくしてなった。授業中の私語内職は当たり前、机を付き合わせての花札、サンドウィッチを堂々と頬張って早弁、教室の後ろではフットサルの試合が始まっていた。
そうした中、高校1年の1学期を以ってある非常勤講師が突如退職してしまい、その先生の枠を残りの教員でやりくりすることになり、2学期から教頭先生が教壇に立つこととなった。
最初の授業を受けた皆は
「すげえ、これが英語の授業だよ」
と賞賛の嵐で、忽ちに超真面目なクラスに変貌したのだった。
我々はナメてかかってくる大人と、真剣に向かい合おうとする大人とを嗅ぎ分ける能力に長けていたように思う。
若い講師たちに罪はなかっただろうけど、経験の乏しい教員をわざわざ寄越してくるような、あからさまに人を侮ってくる連中へのリアクションは、子供ゆえに敏感かつ露骨だったと思う。
話を元に戻そう。英文を読み始めたC君。途中、彼は«Often»を
「オフトゥン」
と読んだ。先生は驚いて、
「それは『オフン』だろ?」
質すと、Cは
「ノー、オフトゥン (キリッ」
と答えたのだった。
その時、僕は
「ああ、教科書って万能じゃないな。辞典に書いてあるとか、新聞に書いてあるとか、偉い先生が言ってたとかいう理由で盲目的に信じてしまうと本質を見失うこともあるんだな。正しい正しくないの価値基準は、自分の中で定めないと」
と思うようになった。