「“ADHD”について」/ 感情の爆発
前回の内容はこちら▼
⑨感情的になる
すぐに感情的になってしまう。
何か起こるたびに、人に何か言われるたびに、すぐに感情的になってしまう。
特に怒りが湧いてきた時・心が傷つけられた時などは、一瞬で感情が溢れ、
頭の血管が切れたかのような、心臓が爆発したかのような感覚になり、
一瞬で身体中が血で溢れ返る。
その血を体の外に吐き出さないとそのまま死ぬんじゃないかというくらいの、言葉で表せない感覚になる。
そして、自己防衛のために、最低限の血を外に吐き出す。
そのせいで、結果的に人を傷つけたり、人に嫌な思いをさせたり、人に迷惑をかけることになってしまう。
(ちなみに、何か起こってから身体中に血が溢れ返るまでは約1秒、そこから人にぶつけるところまでは10秒、くらいの一瞬の出来事。そのスピードに、自分の思考や理性などは勿論追いついていない。)
これを直すことができるのなら直したいに決まっているが、それをしないと自分が死ぬしかなくなるのだから、自分が死ぬのだけはなんとしても避けなくてはいけないので、結局は直すのを諦めるしかない。
本当に悔しくて情けなくて、悔しいとか情けないという言葉で表すのすらもう悔しすぎて泣きそうになるが、泣きそうになりながらもなんとかこの文章を書いている。
ここからは、“感情的”になってしまう具体的なシチュエーションについて書いていく。
例えば、親に対して。
昔から、家で親と喧嘩になった時は、癇癪を起こして泣き叫んだり、物に当たったり、親に暴言を吐いたり、母親に暴力を振るいそうになったりしてしまう。
「癇癪を起こす」で言うと、小さい頃は、親と言い合いになって泣き喚き、そのまま児童相談所に連れて行かれたこともあった。
また、私はマンションの2階に住んでいるのだが、何度もジャンプして床を踏み鳴らしてしまい、何度も下の階から苦情が来て怒られていた。
「物に当たる」で言うと、襖を叩いて穴を開けるのはしょっちゅうで、今でも家の襖が穴だらけのままだ。
トイレのドアに付いていたガラスを叩き割ってしまったこともあり、自分の手にも傷がつき、今でもその跡が残っていたりする。
「暴力を振るう」で言うと、小学生の頃は、実際に叩いたり、母の体を掴んで揺らしたりしてしまっていたこともあった。
今ではだいぶ落ち着いてはきたものの、それでも母親と話す時、母親の機嫌が悪かったりすると、一瞬で自分までイライラして酷い言葉遣いしかできなくなる。
普段、家以外では人に対して暴言を吐いたり、物に当たったり、癇癪を起こしたりすることは一切ない。
「ない」というよりも、「ない状態を保てるように、死にそうになりながら耐えている」の方が正しい。
普段はなんとか耐えているが、耐え切れなくなった際に、別の形で周りに当たってしまうことはある。
例えば、友達に対して。
普段、友達に対しては、強く当たったり、怒ったり、酷い言葉遣いをしてしまうことは一切ない。
しかし、ある一定の限度を超えると、それでは済まされなくなる。
その例を1つ挙げたい。
私は去年、長年仲良くしていた友達と縁を切った。
その時の流れとしては、
1.自分もその友達に対して普段から沢山我慢をしたり気を遣いまくっており、一緒にいるのがしんどくなっていた。
2.その状態で、相手から、自分に対する指摘を一度にいくつも畳み掛けられた。
(「こういう部分直した方が良いよ」「こういうことされると嫌に気分になるから気をつけて」「そういう言い方やめてほしい」など)
3.最初は自分が悪いと思い申し訳なく思っていたが、一度に畳み掛けられているうちに精神が擦り切れ、心臓がズタボロになり、全身が凍りついたような感覚になった。
4.その友達と、それ以降にも会う約束はしていたが、もうその友達と会うのは精神的に無理だと考え、LINEで長文を送った。
(「指摘を畳み掛けられて精神がすり減って会える状態ではないからしばらく会うことはできない」という内容)
→これは心臓がズタボロになり、全身に血が溢れ返り、外に出さないとそのまま自殺することになると感じたため、せめてもの自己防衛だった。「長文を送る」以外に自分を守る方法がなかった。
これも、「感情的になり、人に当たってしまう」に含まれるのなら、そうだと思う。
もしもこの「長文を送る」が許されなかったのなら、そして自分でその行動を制御できていたのなら、私はその瞬間に自殺をしており、現在この世にはいないと思う。
5.その結果、その友達にSNSで散々悪口を書かれ、LINEで長文を送り返された。
(「こっちは友達を続けてあげようと思ってたのに」など終始上から目線の内容。「しばらく会えない」と伝えたことを「逃げている」「不誠実」など散々に言われた。)
6.LINE含むSNSを全てブロックされ、縁を切った。
友達関係においては、↑の例が最も分かりやすい事例だが、他にも全くないわけではない。
友達からの何気ない発言や指摘で心臓がズタボロになった時、
その時点で冷静になり、「その友達と距離を置く(会わない・連絡を取らない)」という選択肢が取れるのなら良いが、
それに対して反射で言い返してしまったり、「せめてもの自己防衛」をしてしまう。
そのせいで、結果的に相手に不快な思いをさせるか、相手を傷つけるか、迷惑をかけることになる。
「せめてもの自己防衛」「相手に当たる」をしている瞬間は、もちろん自分の思考なんて一切追いついていない。
わかりやすく頭に血が登った感覚になり、
全身の血が全て頭に行ったような、どこかの血管が切れたような感覚になり、
頭の中で、いつもの10倍くらいの速さと音量で鼓動が鳴り響き、
「このままだと自殺することになる!」と勝手に判断され、
気がついた時にはもう、「せめてもの自己防衛」「相手に当たる」が実行された後である。
また、例えば、バイト先の店長に対して。
バイト中に、自分の間違いではないことで理不尽に怒られる。
私はそれに対し、正直に「私は〇〇しただけです」と、自分の主張を言い返す。
それに対し、さらに怒られ、とんでもない大喧嘩になる。
また別の日。
バイト中に、自分で「このやり方の方が効率が良いかな」「このやり方の方がお客さんのためになるかな」と考えながら仕事をする。
それが店長のやり方と違っており、店長に怒られる。
それに対し、「私は〇〇の方がお客さんのためかと思ってやってしまったんですが」と言い返す。
すると、「口答えすんな」とさらに怒られる。
私にとっては、これが日常だった。
他のアルバイトスタッフはみんな、理不尽なことで怒られて納得がいかなかったとしても、とりあえず謝っておき、とりあえず店長の言う通りにしておく。
私は、どうしてもそれができなかった。
自分のミスではないことで怒られたり、理由に納得がいかないまま言われたことを受け入れるのは、何があっても無理だった。
これは「感情的になる」だけの問題ではないかもしれない。
しかし、この“感情”を表に出さず、自分の中だけで抑えられたのなら、周りの人みたいに上手くやり過ごせたのかもしれない。
最後に、少し系統は変わってしまうが、好きな人に対して。
私は好きになった人に対して、どうしても想いを伝えないと気が済まない。
人を好きになった時、「告白する」が最終目的になってしまう。
毎日その相手のことを考え続け、悩み続け、苦しみ続け、泣き続け、
その結果、どう考えても「想いを伝えない方が良い」状況であっても、冷静に判断ができなくなり、想いを伝えてしまう。
そのせいで、これまでの人生、本当に何度も失敗をし続け、もう二度と思い出したくないくらいの沢山の黒歴史を生み出してきてしまった。
こんな感じで、すぐに”感情的”になってしまう。
今の所、心がズタボロに傷ついた時、身体中が血で溢れ返った時、私が死なないための方法は「人に当たる」「モノに当たる」「泣き叫ぶ」だけしかない。
自殺するのを防ぐためにそうするしかないのに、側から見たらただの迷惑な人でしかなくて、それらを辞めるように言われたりもする。
しかし、「それを辞めて」=「死ね」と言われているのと、私にとっては全く同じである。
それを辞めてと言われた時。
私が、自分自身よりも人を優先させることができるようになった時。
私は自殺することになり、私の人生は終わるんだろうな、と思う。
そう思いながらも、今日も必死で生きている。
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