書評:日野行介『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』(集英社新書)
著者が序章にも書いているように、本書の眼目は「除染にまつわる政府の欺瞞の暴露」に限られた話ではない。
その手の本はたくさん出ているし、すこし問題意識のある人ならば、いまさら知らされるまでもない話だと言えるだろう。しかし、そう考えて本書を購読をひかえるとしたら、それは間違いだ。
本書では、隠されていた内部資料を掘り起こし、あるいは当事者の言葉を引き出して「この国の政治の現実(内幕)」を赤裸々に暴露している。
政治家や役人や学者たちの、身も蓋もない「生の声」を聞かされれば、推測的にならば知っていた事実を裏づけられたに過ぎないにもかかわらず、あらためて愕然とせざるを得ない。これが現実だと頭では重々わかってはいても、それでもあらためて絶望感に捕われざるを得ない。
例えば、汚染土の処理に関する、役人と学者のプロジェクトチームの検討会で話され、議事録から削除されていた言葉には、次のようなものがある。(※印は、レビュアーの補足)
また会合メンバーたちは、汚染土問題のよりよい解決ではなく、いかに「表現の言い換え」などで国民を欺くかという姿勢で議論していたのを示す発言もあった。そしてそれは、一部メンバーの心得違いによる失言などでは決してなく、検討会主催者の意向に基づく、会合全体の方向性と雰囲気を反映するものであった。
あるいは汚染土などを最終処理まで一時的保管する場所としての「中間貯蔵施設」に関しては、実は最初から最終処分場など見つからない可能性の高いことが、政府内部では暗黙の了解事項になっていたと、元政治家や官僚は言う。
著者は、序章の冒頭でこう書いている。
著者のこの見解を大袈裟な牽強付会だと言えるだろうか? 原発事故関連問題はあくまでも「特殊な例外」であり、他の問題も「たまたま」であり、基本的にはこの国の政治は、根本的に腐っているわけではない、などと思えるだろうか? あるいは、こうした否定的事実は、すべて「左翼マスコミ=マスゴミ」のでっち上げだと言うのだろうか?
だとすれば、その国民は、政治家や官僚にいいように騙されるだけの「おめでたい阿呆」である。
初出:2020年3月19日「Amazonレビュー」
(同年10月15日、管理者により削除)
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