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阿満利麿 『宗教の深層 聖なるものへの衝動』 : 著者のためだけの〈物語〉

書評:阿満利麿『宗教の深層 聖なるものへの衝動』(ちくま学芸文庫)

学者が宗教的な問題を扱っているため、いちおう学術書ということになっているが、その書き方はいたって主観的な文芸批評的「解釈論」に過ぎず、客観を旨とする学術論文などでは到底ない。
要は、大仰な形容(詞)を濫発する、読んで楽しい「自分語りの私的宗教論」だ。
したがって、宗教学の専門家よりも、宗教の門外漢にウケるタイプの読み物だと理解するのが、正しい評価だろう。

事実、ちくま文庫版の解説者として本書を「どう誉めるか」しか考えていない竹田青嗣ですら、次のように評している。

『『宗教の深層』を読むと、その見識が、単に宗教・思想についての学問としてではなく、著者自身の「いかに生きるか」という問題の経験を通して育てられたものであることがよく分かる。また著者がつねに宗教や思想における不可解な逆説と謎に苦しみつつ、何らかの解答を求めて格闘していたということも、その文章を通して如実に伝わってくる。
 そのような文章は、単なる知的好奇心の満足ということを越えて、いつでも優れた小説を読むような充実感をもたらしてくれる』(P296〜297)

竹田がここで『単に宗教・思想についての学問としてではなく』とか『単なる知的好奇心の満足ということを越えて』といった言い方をしている点に注目してほしい。
「単に〜ではない」「単なる〜ではない」という形容は、じつのところ大概の場合、その作品が「単に〜であることすら出来ていない」場合や「単なる〜として、優れたものであることすら出来ていない」場合に多用される、欺瞞的なレトリックだからである。
本書が、『宗教・思想についての学問』として、あるいは『知的好奇心の満足ということ』を達成した作品として、十分に満足の出来るものだと、竹田が心から評価していたならば、『単に』『単なる』などという言い方はせず、本書を「宗教・思想についての学問としてだけではなく(だけに止まらず)」とか「知的好奇心の満足させるだけではなく(に止まらず)」といった形容をしたはずだからなのだ。
つまり竹田は「100パーセントの嘘」がつけない人なので、「学術書としてよりは、著者の探求的人生観を語った書である」とか「知的好奇心を満足させられると言うよりも、むしろ小説的な感興で楽しませる本である」という「100パーセント正直な評価」を語ることが出来ず、職業的解説者として、如上のような「50パーセントの嘘」をつくことにしたのであろう。

したがって、本書は「第8回(1986年)サントリー学芸賞・芸術・文学部門受賞作」ではあるが、その評価の重点は「学芸」であるよりも「芸術・文学」寄りだと見て、まず間違いない。選考委員は、学術的な厳密さよりも、読み物としての面白さを優先する、わりと一般的な面々だったのだと、容易に推察できるのだ。

さて、本書の著者である阿満利麿の問題点については、すでに同著者の著書『なぜ人は宗教を必要とするのか』のamazonレビューで、縷々批判しておいた。だが、その段階では、阿満の代表作と目されるであろう本書『宗教の深層』を読んでいなかったので、宗教エッセイの域を出ない『なぜ人は宗教を必要とするのか』だけで、阿満その人を評価するのは弱いと考え、本書を読んでみたわけなのだが、評価を改める必要の無いことが、これでハッキリと確認できた。
たしかにこちらの方が、文芸評論的に面白いのだけれど、著者の姿勢が基本的に学術的ではなく、かなり恣意的に主観的であるという事実には、何の違いもないことを、本書でも確認できたからである。

「阿満利麿の問題点」を象徴する、最もわかりやすい実例は、本書「序章」で扱われる「宮古島の祖神祭」に対する、阿満の不誠実かつ偽善的な態度である。

阿満は、辺地でのこうした伝統的祭祀では、元来、外部の者の「見学・見物」が喜ばれないことを百も承知していながら、「研究者」特権を振りかざし、あつかましくも素知らぬ顔で、祭祀の様子を覗き見ようとして、祭祀関係者の老婆に「外部の者の見学など、まかりならん」と厳しく咎められる。そこで、いったんは理解者顔(事情通顔)で退き下がるものの、今度は地元有力者のコネで祭祀の見学の許可を取り、まんまと祭祀の見学を果たすのだが、その際、実質的な許可を与えてくれた地元老婆の言葉は、次のようなものだった。

『一人のオバアは、ここの神さまは恐ろしいが、皆は神の子だ、神を思う心に偽りがないのなら、今夜、男たちとバイノヤーで籠ることは許されるだろう、一生懸命に祈りなさい、といってくれた。ほかのオバアたちも、私たちの参加を快く許してくれた。』(P28)

言うまでもなく、この老婆の言う『神を思う心に偽りがないのなら』という言葉が意味するのは「この祭りの祭神を、その存在まで含めて、すべて心から信じるなら」という意味であって、「ああいう意味では信じている」とか「こういう意味では信じている、と言っても嘘ではない」といった誤摩化しめいた「信じ方」を正当化するものではない。『神を思う心に偽りがないのなら』とは、老婆たちがそうであるように、この祭りの祭神を、その存在までふくめて、心から信じるものでなければならないというのが、当たり前の理解なのである。
しかし、浄土宗・浄土真宗の信徒であり、宗教学者である著者の阿満が、老婆と同じようにこの祭神を「真っ正直に信じる」ことなど出来ないのは、本書の別のところで阿満本人が幾度も認めているとおりであり、にもかかわらず、老婆たちの言葉に甘えて祭祀の見学をしたのは、実際には老婆たちを欺いての、臆面もない「だまし討ち」に他ならないのだ。

しかし、そうでありながら、阿満は悪びれるふうもなく、ヌケヌケとこう宣う。

『 私の今回の宮子行きの目的は、神を信じ、神とともに生きる人々の存在を確認することにあった。神事の詳細は二の次である。
 現代では、濃密な神人関係は、文明の辺境にしか存在しないといってよい。そしてその辺境は、日毎に辺境でなくなっていく。私は、かろうじて神を見るのに間に合ったようだ。』(P34)

もちろん、阿満自身は『神を信じ、神とともに生きる人』ではないからこそ、自分とは異質な「前近代的な人々」を見られたことに、達成感をおぼえているのである。日々失われてゆき、普通の人は見ることが出来ない貴重な「原始的習俗」を見られたと、「学者根性」丸出しで喜んでいるわけなのだが、こうした「オリエンタリズムの色眼鏡」に毒された民俗社会評価というものが、いかに鼻持ちならないものであり、結局は、そうした社会を見下し、搾取するものであるかは、贅言を弄するまでもないだろう。

最初に、阿満たちの見学を峻拒した老婆が、どう言っていただろうか。

『女は、この小屋を警戒する番人ではないか。思いきって私は、その女に近づき、今日が祭りの最終日であるかどうかをたずねた。すると女は、顔色をかえて、早く村にかえりなさい、神さまを見てはいけません、きっときつい罰がくだります。今のうちに帰りなさい、近よってはなりません、とはげしく私たちを拒否した。
 私たちは、女に、遠くから拝ましてもらうだけで決して邪魔はしないから、と断って、さらにフツムトにむかった。』(P20)

『 祖神のあとを追おうとすると、例の番人役の女があらわれて私たちを激しく制した。やむなくもとの浜に岩かげにひっこむことにした。
 十分くらい経ったであろうか。突然、背の高い老婆が、我々の前に立ちあらわれた。どうして写真をとるのか、どうして神さまを見るのか、ここの神さまはたいへん位が高くて恐ろしい、神さまを見るとどんなことがおこるかわからない、どんな罰が下されるかわからない、今はなにごともなくても、二十年三十年かかって罰が下されるのだ、早く帰りなさい、立ち去りなさい、と激しい見幕である。
 比嘉さんは、自分たちは祭りの研究にきている。今までにも何度も見ている、邪魔は決してしない、写真をとるなというのならとらない、見るだけ見せてほしい、とたのむ。
 しかし、老婆は、それでは見張り役をつとめている私の責任になって、私が神の怒りにふれることになる。私は、十六歳のときから神さまのおつかいをしている。私をふくめて四人の女が(※ 祭祀の)番人役であり、私が責任者だ、あなたがたは、私を教育のないものと馬鹿にしているのであろうが、祭りを純粋に保ちたいと強く願っている、どうかひきとってほしい、と再三くりかえした。』(P23〜24)

ここまで言われたにも関わらず、結局は、ほかの老婆たちを籠絡することで、まんまと祭りを見物した阿満は、あとでこの老婆を評し、

『 島尻の番人役の老婆はおそろしかった。しかし、爽やかな老婆であった。神々にであった人間のもつ爽やかさである。』(P32)

だなどと、「歯の浮くようなお追従」を(本書の読者に向けて)語って見せるのだが、無論これは、老婆たちをだまし討ちにし、コケにした阿満の傲慢さを、読者に対して誤摩化す(自己正当化する)ためのものでしかない。
本書は「こんな奴」が書いた本なのである。

 ○ ○ ○

前記の「序章」は、本書の本質をみごとに露呈させている。
したがって、第1章以降に展開される、折口信夫、柳田国男、本居宣長、夏目漱石、清沢満之、そして法然と親鸞を通して語られる、阿満利麿の「聖なるものへの衝動」をめぐる「求道」的(と自称する)論考も、きわめて恣意的なものに過ぎない。

つまり、彼らの存在もまた、阿満の「宗教的イデオロギー」(虚偽意識)を正当化するために、「都合のいい特性を持つ、有名人」として恣意的に召還され、設計図に沿って切り貼りされた「ストーリー」の、素材に過ぎないのである。
だから、これらの人物に対する評価は、一面的であり、まったく深みに欠けるものなのだが、逆に薄っぺらい分、読者にはわかりやすくもあるのだ。

そんな薄っぺらでご都合主義的な評価が、それでももっともらしく読まれてしまうのは、ひとえにこれらの人が「有名人」であり、かつ、阿満がこれらの人を、これでもかという「過剰なまでの形容で持ち上げている」からに他ならない。
「それほどすごい人の考えなんだから」と、実際にはわりとありがちなものでしかなくても「一般とは違う、何か深い洞察があるのだろう」と、読者の方が勝手に「深読み(過剰解釈)」をし、その「権威」に平伏して、有り難がってくれるという「作り」なのだ。これは「宗教的欺瞞」の常套手段だと言ってもいいだろう。

例えば、法然についての紹介は、こんな具合である。

『法然は、日本の浄土教の大成者であるばかりではなく、インド、中国をふくめた仏教史全体の中でも、巨大な足跡を残した宗教的天才である。
 法然の教えは、阿弥陀仏を信じて念仏すればいかなる人間も救われる、という簡潔なものである。だが、その単純明快な教えが内包している思想史上の意味は、大変深い。
 一つは、法然によって、日本人ははじめて、宗教的価値の絶対優位、あるいは、宗教的価値の独立を手にしたのである。それは、日本史における金字塔であるばかりか、仏教史の中の偉大な業績であるともいわねばならぬ。つまり、仏教は、法然によってはじめて宗教となったのである。それまでの仏教は、倫理、道徳、政治など、世俗的なもろもろの価値と不可分、あるいは、それらに従属する傾向が強かったのである。
 二つは、法然によってはじめて、人間性の全的肯定が達成されたのである。それまでの浄土教は、あくまでも、敗北者の宗教と考えられていた。自らの力で修行を達成することができない弱者や敗北者が、最後にすがる仏教と考えられがちであった。それに対して、浄土教の独立的意義をつよく主張したのは、中国の善導である。善導は、浄土教を敗者の仏教ではない、浄土を願わずにはおれない必然性が人間には存在する、ということを強調した。それは、煩悩的存在としての人間の強調である。
 法然は、さらに一歩をすすめて、人間とは煩悩的存在であることを当然の前提とした。人間には、自らの力でどうすることもできない欲望がうずまいていることを、素直にみとめた。その上で、このような人間を救うのが、阿弥陀仏の念仏であると主張するのである。』(P119〜120)

見てのとおり、法然の説いたことは、簡単に言えば「念仏さえ唱えていれば、あとはあなたがどんな人間でも、阿弥陀仏によって救われるますよ」という、最も楽な「救済条項」だった、ということである。
小乗仏教が、厳しい修行によって煩悩の解脱を目指すものであったのに対し、時代が下れば下るほど、より「ユルい条件で成仏できる」と保証する大乗宗派が出てくるというのは、理の当然(エントロピー的な必然性)でしかないのだが、法然はそうした時間的必然性の末に生みだされた仏教理論家であって、それを『仏教は、法然によってはじめて宗教になったのである。』などと大仰に語ることが、いかに「法然信者の独り善がり」でしかないかは、他宗派の教祖やインドや中国の高僧の意見を聴くまでもないだろう。

しかし、この程度の独善的評価が、(読解力のない読者には)もっともらしく読めてしまうのは、ひとえに最初に、盛大にふり撒かれる「最大級の絶賛形容」によるのである。
即ち、無根拠に断言される『日本の浄土教の大成者であるばかりではなく、インド、中国をふくめた仏教史全体の中でも、巨大な足跡を残した宗教的天才』『その単純明快な教えが内包している思想史上の意味は、大変深い』『日本人ははじめて、宗教的価値の絶対優位、あるいは、宗教的価値の独立を手にした』『日本史における金字塔であるばかりか、仏教史の中の偉大な業績』『仏教は、法然によってはじめて宗教となった』『法然によってはじめて、人間性の全的肯定が達成された』といった調子の「ウルトラ形容」である。

このように本書は、「ロジック」ではなく「過剰な形容」によって、「なにやら凄い内容」のように仕立て上げられているに過ぎない代物だ。
折口信夫や柳田国男の対照的評価はひととおりのものだが、しかし、特別優れたものでも斬新なものでもないし、本居宣長や夏目漱石評も、本書の狙いに沿わされて一面的で薄っぺらだ。清沢満之にいたっては、客観的には「独り善がりの粗忽者」にしか見えないが、阿満がすごいすごいと形容するので、その粗忽さも凄く見えてしまうだけである。

もちろん、ここに引き合いに出された人たちは、阿満の「一面的な評価」に関わりなく、皆ひとかどの人であったろうことは間違いない。
ただ、ここで問題となっているのは、阿満が本書で描いた「人物像」が、実際にはさほど感心できるものでもないのに、「過剰な形容」とその「著名さの権威」によって、「なんだかすごい」人たちだと読まれてしまい、それが阿満の望む結論への誘導経路とされてしまっている点なのである。

阿満利麿の言う「聖なるものへの衝動」という概念は、それもこれも「聖なるものへの衝動に由来する感情だ」と言えてしまうような、極めて曖昧で融通無碍なものでしかない。つまり、じつのところ何も言ってないに等しい、虚ろな概念なのである(そしてこれも「宗教的欺瞞」の常套手段のひとつである)。
だからこそ、各界有名人たちの多様な「こだわり」をそこに結びつけて、「聖なるものへの衝動を探求している私は、こうした偉大な先行求道者たちを正統に継ぐ者なのだ」という「自己喧伝の道具」にもできるのだ。

そして、こうしたやり口が、竹田青嗣をして『小説を読むような充実感をもたらしてくれる』という形容をなさしめた。要は「事実」ではなく、これは「それらしい〈お話〉になっている」という評価に他ならない。

そして、そんな竹田は、「解説」を次のように結んでいる。

『 ともあれ、ここで阿満氏が提示しているのは単に宗教の〝深層〟に存在するものが何であるかということではない。むしろこの書は、現代に生きるわたしたちの生に対する欲望や希求がかつての「宗教」の情熱といかに深くつながっているかを、鮮やかに教えてくれるのである。現代人の心の問題について、著者のつぎの言葉はその核心をよく言い当てているように思える。「既成の普遍宗教を拒否し、また科学的世界観と抵触することなく、そして、日常的意識ととびはなれた神秘感をともなうこともなく、しかも、死の恐怖を超克できる世界一一それこそ現代人の多くが待望する世界であろう」。
 現代人の現世主義が「死の不安」への無意識的な脅えによって、いかに深く病んでいるか、おそらくわたしたちはそれをなるべく忘れていたいのだ。しかし、そういう態度は必ずどこかで大きなしっぺ返しを受けることになるだろう。』(P302)

端的に言おう。この言葉は、暗に阿満利麿を批判したものである。
竹田がこの解説の中で二度も引用した、阿満の『既成の普遍宗教を拒否し、また科学的世界観と抵触することなく、そして、日常的意識ととびはなれた神秘感をともなうこともなく、しかも、死の恐怖を超克できる世界一一それこそ現代人の多くが待望する世界であろう』という言葉は、じつのところ『現代人の多く』の話である以前に、阿満利麿自身の願望なのだ。誰よりも阿満自身が、そのように強く感じているからこそ「他人もそうだろう。そうに違いない」ということに他ならない。

つまり、阿満利麿の探求(求道)とは『既成の普遍宗教を拒否し、また科学的世界観に抵触することなく、そして、日常的意識ととびはなれた神秘感をともなうこともなく、しかも、死の恐怖を超克できる世界』を求めてなされているのだが、しかし、阿満の態度は、終始「宗教を信じられないけれども、宗教の内に人間の(つまり、自分自身の)本源的な欲望を見るので、そこから離れることもできない」という「着かず離れず式の折衷策」でしかない。阿満は決して「宗教は、人間的欲望に根差した、脳科学的な、現実逃避システム」だという、冷徹な評価を採る勇気がない。
しかし、そんな優柔不断さ、つまり論点たる矛盾点への「直面回避」こそが、阿満の「現実逃避」であり、竹田の言う『「死の恐怖」を〜なるべく忘れていたい』という態度に他ならない。「宗教」まで完全に捨ててしまったら、阿満は「宗教という観念的バリア」をも失った裸の状態で「死の恐怖」と向き合わなければならないからである。

だが、観念的な作り事でしかない「自分は、最も深く、死の恐怖と向き合ってきた」というセルフストーリー(自賛的フィクション)によって、「死の恐怖」と向き合うことを避け続けてきた阿満利麿は『必ずどこかで大きなしっぺ返しを受けることになるだろう』。
それは今がそうだし、この先、もっと本格化するものだと私は確信してもいる。つまり、死後に、批判的評価が噴出するだろう、ということだ。

私自身は、宮古島の神の存在など信じてはいないけれども、それを信じる素朴な人たちの想いを蔑ろにした阿満に、そうした人たちの想いが論理的な「言霊」として『二十年三十年かかって罰』を下すということは、現実にあり得る。
つまり、私が今やっていることがそのひとつであり、ある意味で私は、宮子の神に使わされた者の一人だと言っても、それはあながち間違いではないからである。

初出:2019年5月22日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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