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映画『ナワリヌイ』の衝撃 : プーチンが最も恐れた男

映画評:ダニエル・ロアー監督『ナワリヌイ』

ロシア大統領選挙に立候補したことのある反体制派の運動家で、毒を盛られて暗殺されかけたり、冤罪で何度も刑務所にぶち込まれた人物がいた、というくらいのことは、テレビニュースで知っていた。

だが、詳しいことは知らなかったし、その人物の名前も記憶していなかった。また、彼がその後どうなっているのかも全く知らず、このドキュメンタリー映画を観るまでは、「過去の人」として、ほぼ完全にその存在を忘却していたのだが、本作を見て、自分の無知と不明を、深く恥じなければならなかった。
あのニュースが語っていたことは、こうしたトンデモない話の一部分だったのかと、初めて全体像を知ることができたのである。

『ロシア反体制派のカリスマ、アレクセイ・ナワリヌイを追ったドキュメンタリー。プーチン政権への批判で国内外から注目を集め、若年層を中心とする反体制派から支持を集める政治活動家ナワリヌイ。政権にとって最大の敵と見なされた彼は不当な逮捕を繰り返され、巨大な力に追い詰められていく。そして2020年8月、ナワリヌイは移動中の飛行機内で何者かに毒物を盛られ、昏睡状態に陥る。ベルリンの病院に避難し奇跡的に一命を取り留めた彼は、自ら調査チームを結成して真相究明に乗り出す。「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」のダニエル・ロアーが監督を務め、暗殺未遂事件直後からナワリヌイや家族、調査チームに密着。事件の裏に潜む勢力を驚きの手法で暴いていくナワリヌイの姿を捉え、ロシア政府の暗部に切り込んでいく。サンダンス映画祭2022でシークレット作品として上映され、観客賞とフェスティバル・フェイバリット賞をダブル受賞した。』

映画.com「解説」

映画の冒頭、奥行きのある落ち着いた部屋の中で、着席した上半身のナワリヌイが、正面のカメラ(つまり、観客・視聴者)に向かって、リラックスした様子で話しかける。
しかし、そのあまりにも作り込まれた画面と、ナワリヌイ本人がイケメンであるため、まるで「映画」のワンシーンにしか見えない。「これはドキュメンタリー映画ではなく、俳優が演ずる伝記映画なのではないか?」と、つい疑ってしまったのだが、そうではない。

この冒頭のシーンで、フレームの外のインタビュアーが「もし殺されたら、ロシア国民に、どんなメッセージを遺す?」と質問すると、ナワリヌイは「それじゃあまるで、僕が殺された時のために撮ってるようにしか思えないから、今はそれに答えたくないな」というようなかたちで、回答を保留する。
予告編の中で紹介される、同じ質問への回答の言葉「簡単だよ〝諦めるな〟」は、後で撮られたものなのである。

ナワリヌイは、ロシア在住の弁護士であり反政府活動家だ。
なんら特権を持たない一市民である彼は、強大な絶対権力に立ち向かうために、youtubeやTwitter、TikTokなど、あらゆるメディアを駆使し、反プーチン勢力として手を組める相手なら、それが右翼グループであろうと、手を組むことを辞さない。
ロシアにおいて、体制転換を本気で考えるというのは、そうした覚悟がなければできないということであり、当然、協力者は国内に止まるものではなく、外国のマスコミやマスメディアとも協力関係を築いている。

一一あるいは、それに止まらず、本人は認めていないが、当然のことながら、外国の政府機関とも連携・協力していることだろう。
無論、それが明らかになれば、ナワリヌイは「西側のスパイ」呼ばわりされて、ロシア国民からの信用を失うから、今はそれを公然と認めるわけにはいかないのだろうが、ロシアの独裁体制を変えようと思えば、そのくらいのことを躊躇していられないというのは、当然だろうと思う。なにしろ、事は「命がけ」なのだ。

したがって、ここで大切なことは、ナワリヌイがロシアを変えるために「西側をも利用している」という理解であって、
彼が「西側から送り込まれている」ということを意味するわけではない、ということだ。そもそも、西側から送り込まれたスパイなら、ここまで危険に身をさらすわけがないではなないか。

だから逆に、そうした点で、仮にナワリヌイに西側の政府機関が協力しておろうと、それで彼が信用できないということにはならない。それは、当然の選択であって、そのことを責めるのは「ロシアの現体制派」だけだと断じても良いのである。

この映画のクライマックスは、ナワリヌイに対する「毒殺未遂事件」について『自ら調査チームを結成して真相究明に乗り出す』その経過と、その驚愕の結果である。

ロシア国内を飛行機で移動中だったナワリヌイが、機内で突然もがき苦しみだす。飛行機は緊急着陸して、彼は病院へと救急搬送される。彼に同行していた妻のユリア(経済学者)とスタッフは病院に同行し、ナワリヌイが病院で殺されるのを恐れて、治療の立会いを要求するが、病院側はこれに応じない。
そこで、ユリアは、病院側に、転院のための退院を要求するが、当初はこれに応じなかった病院側も、ドイツのメルケル首相が「要請があればいつでも受け入れるし、彼を救うための最高の治療の提供を約束する」とコメントするに至り、病院側は一転、ナワリヌイの転院を認める。
そして、ドイツの病院で治療を受けたナワリヌイの体からは、ロシア軍が化学兵器として研究開発した毒物「ノビチョク」が検出される。

ドイツでの治療とリハビリの後、ナワリヌイは、彼に協力を申し出たブルガリアのジャーナリストから提供された、毒殺未遂事件容疑者の情報を元に、そのジャーナリストを含めたスタッフで、独自に情報の裏付けと追加調査を進める。
そしてついに、容疑者たちの個人電話番号まで突き止めるに至って、容疑者たちに直接電話でのアタックを仕掛けることを決断する。確証を得るためには、それしか方法がなかったからだ。

ナワリヌイは、調べ上げた情報をもとに、実在のロシア政府側工作員になりすまして、容疑者たちに電話をかける。毒殺未遂容疑者たちは、この突然の電話に疑いを持ち、一言も発しないまま電話を切ったり、途中で話を誤魔化して電話を切るなどしたが、毒殺事件に絡んだ科学者に電話をしたところ、ついにこの人物から、当事者しか知り得ない、赤裸々な犯行の事実を聞き出すことに成功する。

『どんなスパイ映画よりもスリリング』

 (英「ザ・サンデイ・タイムス」紙

このあたりが、まさに「スパイ映画」も斯くやというスリリングさなのだ。

作り物の映画にしては「うまく行きすぎ」なところも含めて、そこにはかえって、いわく言いがたいリアリティがあって、そこが衝撃的なのだ。「これは現実なのか」と。
なりすまし電話で犯行の供述を引き出した際の、ナワリヌイたちのリアクションのリアルさに、私たちは説得されざるを得ない。演技なら、こんな「ベタなリアクションにはならないだろう」と。

ナワリヌイが「毒物で殺されかけた」という報道が世界をかけめぐると、各国の記者たちは、プーチンにその事実をぶつけたが、プーチンは「その人物」「その反体制派の男」といった言い方で、ナワリヌイについて語る。その名が、口にする価値もないといった不遜な態度で、余裕綽々に「われわれが殺そうと思ったのであれば、彼がまだ生きているなんてことなど、あり得ないだろう」とまで言い放った。

この、プーチンの定例記者会見を視たナワリヌイは、この段階ではまだ公表していなかった「殺し屋の特定とその自供」の様子を撮った動画(この段階ではすでに、本作映画スタッフが入っている)を、世界に向けて一斉公開し、プーチンに対して、一歩ひかない決意を示す。
これに対しプーチンは、「CIAの謀略だ」「奴は西側のスパイだ」と、お得意の「陰謀論」で応えたのであった。

この映画では、ナワリヌイに「CIA」などとの協力関係があるとはしていない。そもそも「有る無し」に言及していないのだが、前記のとおり、そのくらいのことは、あって当然だと私は思う。

そもそも、この映画で描かれていることの多くは、疑えば、いくらでも疑うことができよう。
例えば、この映画の目玉である「毒殺実行犯」たちの特定やその後の直接電話といった「スパイ映画」さながらの展開も、「すべて作り話のお芝居」だという可能性もゼロではない、とは言えるだろう。
プーチンらが信用できないのは無論のことだが、ロシアの独裁体制を覆そうとしているナワリヌイらに「謀略的な背後関係」が、1パーセントも無く、完全に真っ白だ、とも信じられない。何しろ、プーチンを倒すためなら、右翼とでも組んで、国際的な評判を下げることも辞さないのだから。

だが、その一方、ナワリヌイへの毒殺未遂事件に関わった実行犯たちは、映画の中で何度も「顔写真や実名」まで晒されているのだから、これが「作り話」だとしたら、逆にその「嘘」をロシア政府側に暴かれ、墓穴を掘ることになる恐れだって十二分に高いわけで、ナワリヌイの側に、そんな無用のリスクを犯す蓋然性など、極めて低いとも言えよう。
現にロシア政府の側は、その後も「CIAの謀略だ」と言い募るばかりで、まったく具体的な反証を示せていないのだから、ナワリヌイの側がつきとめたことが、限りなく「真相に近い」と考えるのは、妥当な判断なのではないだろうか。
したがって、私は、この映画で語られたことを「鵜呑み」にはしないけれども、「信じるに値する情報」だと信じることにしたのである。

ナワリヌイが何者であろうと、あるいは仮に「毒殺未遂」事件が狂言であったとしても(その場合、ドイツ政府までがそれに加担したことになるが、そんなことがあり得るだろうか?)、それでも彼が、ずっと、いつ殺されてもおかしくない状況下にあったというのは、動かしがたい事実であり、それでも、あえてドイツからロシアへと帰って行き、そこで逮捕され、懲役9年の実刑判決を受けて、今も刑務所に入れられたままである(政治活動の大半が封じられている)という事実は、誰にも否定できない。

それでも、彼が「西側に雇われたスパイ」だなどということが、果たしてあり得るだろうか?
こんなリスクを冒すに値する「報酬」など、あり得るのだろうか?

そんな、およそあり得ない「陰謀論」を無理にでも信じるくらいなら、彼が「(愚かなまでに)恐れを知らぬ愛国者」だと考えた方が、よっぽど素直に飲み込める話なのではないだろうか。

ちなみに、彼の両親は、チェルノービリ(チェルノブイリ)発電所から、約10キロの場所で農民をしていたという。そして原発事故当時、ロシア政府から、被曝の危険性を伝えられないまま、農作業を続けさせられていたのだそうだ。

ともあれ、こんな命知らずなど、めったにいないし、彼の真似など誰にもできない。

しかし、こんな「命知らずの信念の人」が、稀に実在するというのは、歴史の証明するところでもあろう。
一一ならば私たちは、彼の力にはなれないまでも、彼のことを知るくらいの義務があるのではないだろうか。

ともあれ、本作は、トンデモなく「面白い」。それほどの「非現実的な現実」が、この映画では生々しく描かれているのだ。
だから、是非とも多くの人に、「この人を見よ!」と強くお勧めしたい。

(2022年8月6日)

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(2024年2月17日)


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