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駒木明義 『安倍 vs.プーチン 日ロ交渉は なぜ行き詰まったのか?』 : 〈北方領土〉という呪い

書評:駒木明義『安倍vs.プーチン 日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか?』(筑摩選書)

私は昨年(2019年)3月に、金子夏樹『リベラルを潰せ ~世界を覆う保守ネットワークの正体』(新潮新書)のレビューとして、「安倍晋三による〈北方領土のロシア奉献〉の裏側」という文章を書いた。

金子書は、プーチンが「保守主義」に傾斜していく背景の一端を紹介して、たいへん興味深いものであったが、本書と関連してくるのは、私がレビューのタイトルにも記したとおり、「領土」問題に関する「プーチンの態度の変化(強硬化)」と、その変化に気づかないまま「領土問題解決を前提条件とした、平和条約締結交渉」に入ってしまい、プーチンの意のままに鼻面を引き回された、日本の「安倍晋三総理の外交的失態」の問題だ。

本書で、描かれるのは、主に次の3点である。

(1) 安倍vs.プーチンの日ロ交渉における、「安倍外交」の致命的拙劣さの実態
(2) 「北方領土」問題の歴史的事実
(3) 平和条約締結に向けて、日本人(政治家を含む)が考えておくべき「想定しうるリスク」

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(1)については、私も大筋では理解していた。つまり、「外交の安倍」などというイメージは、「ネトウヨ」的あるいは「日本会議」的なプロパガンダ(政治的宣伝)でしかなく、安倍政権による外交は、それまで慎重に積み上げてきた対露交渉を水泡に帰す、拙劣なものであった、という事実である。

安倍政権によるロシアとの「領土問題解決を前提条件とした、平和条約締結交渉」は、自国民に対し「秘密主義」に徹したものであり、その理由は「外交的な手の内を、公にするわけにはいかない」という、子供だましに終始した。
なぜ「子供だまし」なのかと言えば、それは、国民が知らされて然るべき「ロシアとの交渉の中身」とは、日本政府がロシア側に隠している「本音=秘密」の部分ではなく、現にロシアと何を議論したのかといった「ロシア側も知悉している事実(公的な交渉内容)」だからである。
つまり、その交渉内容を自国民に説明し、それがロシア側に伝わったとて、べつに何の支障もないのだが、日本政府=安倍政権は、そんなことを、頑なまでに国民に隠していたのである。

では、なぜそんなことをしたのか。無論それは、ロシアとの交渉があまりにもお粗末で、何の進展も成果も無かったため、それを国民に語って、政権に対する国内的な評価を落としたくなかっただけである。

つまりこれは、安倍晋三総理個人や安倍政権につきまとった数々の「疑惑」について、そのたびに「国民への満足な説明がなかった」のと、まったく同じパターンだ。「不都合な事実」は隠して「思わせぶりな言葉とポーズだけで、有耶無耶にする」というのが、安倍政権の常習的パターンだったのだ。

たしかに、このペテンは「日本国民」向けになら成功してきたと言っていいだろう。安倍政権が長期政権になりえたのは、安倍政権をそれなりに評価する国民が少なくなかったからであり、そうした「妄信的(依存的)国民」を相手にしてならば、あながち効果のない誤摩化しでもなかったとは言えたのだ。
だが、そんな幼稚な誤摩化しは、KGB出身で海千山千の政治家であるプーチンには、通用するわけもなかったのである。

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(2)について言えば、たいへん勉強になった。日本国民なら、こうした「事実としての歴史的経緯」は、是非とも知っておくべきだろう。そうでないと、政治を読み誤ることは必定だ。

特に、私が目から鱗の落ちる思いをさせられたのは、日本政府によって「(歴史的事実として)日本固有の領土」だとくり返し宣伝され、私自身もなんとなくそうなんだろうと思っていた、「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島」を4つひとまとめにして呼ばれるところの「北方領土」とは、戦後の「東西冷戦構造」を背景にして、日本政府が後から捏ち上げた「嘘」だったという、驚くべき事実である。

ソ連=ロシアとの「領土問題」交渉において、日本政府が求める「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島」の「四島一括返還」方式と、その一方で「色丹島、歯舞群島」の返還を先行させる「二島先行返還」方式の2種類があるのは、なぜか。なぜ、後者のような、曖昧で面倒くさいやり方が議論され得るのか。
この「不自然さ」の所以は、日本政府による「歴史捏造」としての、前記のプロパガンダに由来するものであったことが、「北方領土」の歴史的経緯を知ることにより、判然とするのである。つまり、かつてのソ連=ロシア側が「二島返還」には比較的柔軟であったのも、単なる妥協ではなく、論理的必然性のあることだったのだ。

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(3)について言えば、安倍総理が描いた「返還後の四島」像、つまり「四島が日本に返還されても、すでにそこに済んでいるロシア人たちの権利を奪うものではなく、日本人と同等の権利を保障して、両国民が手を携えて助け合い協力し合って、新しい社会像を築いていく」という理想的なビジョンの、リアリティー(現実性)の問題。これも目から鱗だった。

『 安倍は四島での共同経済活動について、「日本人とロシア人が共に暮らし、共に発展する、ウィンウィンの未来像を、共に描いていく」と、牧歌的とも言えるような将来像を語っている。』(P376)

しかし、このような「統治形態」が、本当に満足できるものなのだろうか?
著者が「終章」で描いて見せたシュミレーションは、こんな具合である。

『 二〇××年。島に住んでいるロシア系住民たちが次々に不満の声を上げた。ロシア系住民が日本政府から差別的な扱いを受けている、というのだ。ロシア語を使う権利も十分に保障されていない。日本からやってきた住民との経済格差は広がる一方だ。
 そのうち、主要な広場や、行政庁舎の周辺で、日本に対する抗議デモが繰り返されるようになる。その人数は次第に膨れ上がり、どこからやって来たのか、もともとの住民ではないと思われる目つきの鋭い、屈強なロシア人たちの姿が目立つようになる。
 少数派の日本人住民は気勢を上げるロシア人たちを遠巻きに眺めることしかできない。
 そのうち、行政庁舎に突入しようとする者が現れ、日本の警察官と衝突して、けが人が出る。ロシア政府は、日本政府を厳しく批判する声明を出し、ロシア系住民の保護に乗り出す構えを見せる。
 デモ隊はついに警官隊の防御線を突破して行政庁舎にを占拠し、日の丸を降ろし、代わりにロシア国旗を掲げる。
 日本政府が阻止するのも構わず、ロシア系住民は日本からの独立とロシアへの編入の是非を問う住民投票を強行し、圧倒的多数が賛成したと発表する。
 日本政府は住民投票は不法に行われたとして結果を受け入れないが、ロシアは「住民の意思が尊重されるべきだ」と主張。「南クリル人民共和国」の独立を承認し、ロシアへの編入に乗り出す。
 失われた領土を取り戻そうとするロシア大統領の人気はうなぎ登りだ。
 日本政府は米国に支援を要請するが、ロシアから島が引き渡される際に日米安保条約の適用対象外にする方針を日本政府が表明していたことを理由に、冷たく断られる。国連安全保障理事会も、常任理事国のロシアと中国が拒否権を行使し、身動きがとれない一一。』(P373〜375)

ここで私たちは、「在日」の問題や、「アイヌ」あるいは「沖縄」の問題を思い出すべきであろう。
はたして日本人は、日本政府は、安倍が語るような社会を、何のそつもなく築くことなどできるものなのだろうか。

著者は、上のシュミレーションについて、次のように補足する。

『 こうしたシナリオは、決して夢物語ではない。二〇一四年にウクライナ南部のクリミア半島やウクライナ東部で、実際に似たようなことが起きた。クリミアはロシアに編入され、ウクライナ東部には「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」という自称独立国家が生まれた。いずれもウクライナ政府の統制が及んでいない。』(P375)

言うまでもなく、「北方領土」返還が、ロシアへの何の見返りもなく実現するわけがない。だから、安倍は「共同経済活動」と「ロシア人住民の居住保証」といった数々の条件を提示し、さらに、四島が(その主権とともに)日本に返還された後、島に米軍基地の設置されることを警戒するロシアに「四島は、日米安保条約の適用外にする」という、かなり「当てにならない話」までしているのだ。
だが、このように譲歩しても、プーチンは頑として、四島の返還に応じなかったのである。

しかし、こうした条件交渉が、仮に成功していたら、それで万々歳だったのか。その先に、日本にとっての薔薇色の未来が広がっていたのか、という疑問に対して示されたのが、上の空恐ろしいシュミレーションだったのである。

はたして、私たち日本人は、北方領土が返ってきた後のことまで、真剣かつリアルに考えていただろうか。
すくなくとも、安倍晋三総理はそこまで考えてはいなかった、というのは、どうやら確かなことのようである。

初出:2020年9月16日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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(2022年3月30日追加)

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