『人間万事塞翁が馬』目の前の現象に一喜一憂するその前に…
不幸なことが起きると、幸福な人と自分は別世界に居るかのような不遇感を抱いてしまいがちですが
そんな時こそ、こんな言葉を思い出すと良いかもしれません。
それは中国、前漢の学者である劉安(りゅうあん)の思想書「淮南子(えなんじ)」に記されている逸話から来た言葉で
人間万事塞翁が馬という言葉。
語源になった逸話は…
ある老人の飼っていた馬が逃げ出し、周囲からは『不幸なこと』だと言われたが、老人は『幸運を呼ぶ事かもしれない』と言い
次の日飼ってた馬が他の名馬を連れて帰ってきて、老人の言ったことが当たり、周囲は祝福しましたが、老人は『この事が不幸を引き起こすかもしれない』と言いました。
そして、次の日その老人の息子が名馬に乗っている時に落馬し、足を骨折しましたが、『これが吉と出るかもしれない』と老人は言い
明くる日、隣国との戦争が起きて、多くの男性が徴兵され命を落としましたが、足を骨折した老人の息子は徴兵されずに生き残ったという
老人の言動は一見あまのじゃくに感じますが
幸不幸は全く切り離された別世界ではなく繋がっているという事です。
それは不幸なことが起きると必ず幸福が舞い込んで来るという理想化されたことではなく、不幸なことでも幸福の為に必要な不幸もある
幸不幸は表裏一体ということです。
毎日孤独の中を生きていれば、人のちょっとした優しさが骨身に染みる、逆に周りにチヤホヤされて毎日過ごせば、一人や二人自分を受け入れない人が気になり始めます
お金に苦労した経験があれば、この先お金に苦労しないように働き、使い方も自分なりに考えるようになるでしょう
しかし、お金に苦労せず、そのまま社会に出れば余程の才能や親の資産がない限り、自分の給料では足りなくなり、常に不足を感じ不幸と感じるでしょう
人間というのは不思議なもので、自分が幸福の中にいることに気づかず、それを使い果たし、不幸の順番がやってくると
私は不幸だ!と嘆くものです。
幸不幸がどう繋がっていったか?考えてみると、自分がどうすれば良いのか?の道も見えてきます。
今、不幸を感じているならば、自分が最後に幸福だった頃に気づけなかったことを思い起こして見ると良いかもしれません
あの時、もっと大切にすれば良かった…時間やお金、人、はたまた自分の態度や物事への姿勢、言動等
不幸への繋がりを辿れば、過去にしたことの逆を積み重ねて行けば幸せに向かうと想いますし、それでも分からない場合は
今を未来に繋げる為、不幸をどう変化させて行くか?に集中することも手かと思います
過去の幸福な時代から辿って考えるのと同じ意味のことを二回書いているように感じるかもしれませんが…
不幸のどん底いるとすれば下から上に上がって行く方が、幸せな状態を更に上げて行こうとする繰り返しの臨界点に達した時よりも容易だという事です
例えばSNSで見る有名人や金持ちは何千万の腕時計や何百万の家賃の部屋を借りていたりします
金額が大きくなればなるほど、幸福度が上がるか?と言えば違います。
一瞬は気持ちよくともすぐに慣れて更に上が欲しい、違うものを得たいと渇きを生みます
しかし、家賃3万の風呂無しアパートに住むことを余儀なくされれば、風呂アリのアパートをまた借りれただけで幸せで、身の丈の大事さを知り
何気なく散歩しても不安で苦しい時期に見た景色と普通の状態になれた時に見る同じ景色の違いに喜びを感じます
しかし、それで生涯に渡って幸せかと言えば違います。
人間万事塞翁が馬の老人の通り、幸福の先に不幸があることを前もって予期し、対策して置かないと
全く思いもよらずに不幸が到来するのと感じ方に雲泥の差があり
かと言って人生の不幸から逃げれない絶望かと言えば、そうでもあり、そうでもないです。
幸せをなるべく長持ちさせる方法もありますし、不幸を小出しに小さく消化させることも出来る
これが抽象的で感覚的な話しに思う方の気持ちは重々承知の上で、幸不幸は全て自己コントロール出来る訳ではありませんが
なるべく深手を負わないようには出来るかと思います
目の前の出来事に一喜一憂することは私にもあるので、気持ちは分かりますが、、少しでも気持ちが落ち着いたならば
人間万事塞翁が馬を思い出し、幸せに繋げ、長い間幸せに暮らして欲しいと願います
というところで、ここまで読んで頂きありがとうございました
久しぶりの投稿になりましたが、ほんのわずかでも皆さんのお役に立てれば嬉しいです。
またね!('ω')ノ
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