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今と変化

冬もそろそろ終わりかけている。

一年前の私は
今頃バイトに明け暮れているころだろう。

その時はそれがベストだと思っていたから。


考えてみると、
私は一年間でかなり変わったと思う。

外から見たらあまり変化していないように
見えるかもしれない。

だが、私自身は変わったと感じるのだ。

特に顕著なのは考え方と行動だ。


昔の私はかなり保守的だった。

今も保守的な方ではあるが、
これでもかなり軽減された。

漠然と将来は安定しているから公務員、
とりあえずサークルや英語を勉強・・・

何をするかは考えていたが、
なぜやるかは全く考えていなかった。

だから安定志向でテンプレのような生活を
思い描いていたのだ。

もちろんそのような生活を
否定したいわけではない。

ただ、その行動に意味を見出しているかが
私にとって重要なだけなのだ。


また、保守的なこともあって
周りと違うことは極端に嫌がっていた。

しかし、それと相反する気持ちが
私の中にあったのは事実だ。

それはもっと自由に生きたいという気持ちだ。

周りに流されるということは
自らの意思決定とは違うこともやる必要がある。

やりたくてもやれないこともある。

この二つを共存させることはできない。

どちらかに絞る必要がある。

そして私は後者のような生き方をしたいと
思うようになった。

私自身の知識が増えたことと、
身近にそれを具現化したような者がいたためだ。


それからの私は徐々にではあるが、
保守的ではなくなっていった。

新しいことを始めたり、
人との振る舞い方を少し変えてみたりした。

noteも新しいことの一つだ。

一年前ならやろうとすら思わなかっただろう。

少しずつではあるが、
私は理想に近づくために歩み始めた。


大きな変化というものは
短期で見れるものではない。

ダイエットも少しずつしか
体重が減らないのだ。

だからこそ難しい。

変化というのは自分が行ったことへの報酬のようなものだ。

どれだけ変わったか、成長したか、
これらでモチベーションは大きく変わる。

しかし、大きな変化を求める時
すぐに求める形になるのはまずありえない。

少しずつでしか変われないのだ。

それでも一か月、半年、一年という
長いスパンで見れば変化は目に見えてわかる。

今の蓄積によって人生は成り立つ。

変化が欲しければ今を変えるしかないのだ。


人生は時に登山に例えられる。

この例えをなぞるなら、
一年間登ったことにより
見える景色がかなり変わった。

これは進んだ証であり、成長である。

また一年後
景色が変わっているように
今日も頑張らなければならない。

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