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#なんのはなしですか
創作大賞感想 母すのうは、いったい何刀流なのだろうか。
こちらのノンフィクション作品を何度も読んでいる。読み直してしまう。どうしてこんなに読むのか分からない。日常が家族が「野球」というスポーツを通して変化していく過程をただ見ているのだが面白い。
文脈は記録を主に記しているので感情は極力排除されている。だから、たんたんと記録を読んでいく作りなのだが、文章の端々に「母すのう」の愛情が溢れているのを感じてしまう。努めて客観的に書いているのに子供、そして「母
記憶の繋ぎ方で過去の恩人に出会えた日
何を買いに来たのか分からなくなった。一体、私は何を買いに来たのだろうか。足は真っ直ぐにコンビニへと向かっている。頭の中はグルグルと忘れたものを思い出そうと思考を回転させている。頭の中では時間を巻き戻している。そこにありそうでなさそうな記憶の扉には、まだ手が掛からない。
私は今、思い出そうとしているんだ。
思い出そうとしている自分を冷静に見つめてみた。そうするとすぐに別の頭の中で一つの囁きに気付
三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。
皆様ご存知の通りnoteの街の世界には、このような言葉があります。
だれもが創作をはじめ、
続けられるようにする。
この言葉を真摯に受け止め、且つ真面目に本気で力の限り三年間かけて、ありとあらゆる方法でこれを実践した話を書きます。
真実か嘘かの言及も致しません。強いて言うならば「なんのはなしですか」と感じていただければと願います。
はじまりは一つの言葉でした。「なんのはなしですか」という言
私達は、誰かの日常になっている。
仕事で車に乗り、現場へ向かう途中のことだった。少しだけ遠回りをして昔住んでいた家の近くを通ることにした。何かを思い出したワケでもなく、単なる思い付きだった。馴染みのある狭い路地から大きな通りに当たる角に差し掛かった時に、ある記憶が甦った。
その角にある大きな家には庭でゴルフの素振りをしているおじいさんがいた。だいたい素振りをしている。私は素振りをしている姿しか見ていないので、そのおじいさんがだい
本音を忍ばせるには、総じて覚悟が必要になる。
彼が意識してないとしても、誰か他者に向かって何ごとかを訴えているんで、訴えているかぎり、彼は絶望者であるとはいえないわけだ。だから、絶望という名の希望をどこかに持っているんだということになる。
ということを読んでいた。
私が書きたい理由に自分の表現を追い求めて「本当のこと」を書きたいということがある。根底にあるのは、今ある事実は、他者から見た事実とは違うということだ。
目に見える現実と頭の中
初恋のロマンチックを誰かに預けることで私はロマンチックになりたい。
私の人生で、そもそもロマンチックという言葉が適切な響きを得ているのかが謎だ。ロマンチックという経験を私は生を受けてから今まで本当に経験してきたのだろうか。まずその意味を知ることからはじめることにした。
現実離れで甘美で理想的な雰囲気や、なりゆきであるさまである。
これは、誰からの目線なのだろうか。こちらがそう思ってはいても、相手がそうは思っていないのが現実だったりする。周囲から見てそうだと言え
日記を書いたことがないと気付いた日に。
私は日記を書いたことがない。それに気付いたのは誰かの日記を読んだからかも知れない。
一日に起きたことを書けば良いのだろうか。書いてみようと思ってこんなに悩むとは思わなかった。
最近のことを考える。今したいことをじっくり考える。自分が書きたいものに思考出来る時間が少ない時には、無理に創作しないと決めている。
私は、人よりずっと遠回りだしゆっくりの人生だからだ。タイミングを待てばいい。さんざん焦
友人の孤独を陽気な天秤にかける。
久しぶりの休日に友人の仕事を手伝うことにした。集められたのは別の友人と私の計二名だ。大きな工場の大きな音がする機械の試験を兼ねたメンテナンスをするという。私はもちろん機械を操作するでもなく、その試験の行方をもう一人の友人と精一杯声を出し応援する係だった。
応援とはいえ、時に囁き、時に叫び、時に頷くなど多種多様なリアクションを全力で空気を読み集中しなければならない。今どき「応援に来てくれ」と言われ
僕は「お兄さん」の達成を祝う日にすることを決めた。
そうだとしても、これは実に厄介な問題だった。事実を事実として受け止めるには、誰だってきっかけが必要だからだ。
この日、僕は友人の誕生日を祝うことにしていた。とはいうものの、お互い仕事だからメッセージを送信するだけだ。「今は簡単にメッセージを送信出来るので楽になったもんだ」と口に出してしまう僕は「おじさん」なのだろうか。僕の高校一年の時代の時はポケベルだった。二年でPHS。三年で携帯だ。進化の翻弄
拝啓 読書様。これが私の遊びで、続く葉脈になります。
私が貸した星野道夫の「旅をする木」を手に持ち、後輩が私のもとにやって来た。
「お返しします」
私は、この後輩を密かに読書好きにさせるように遊んでいる。遊んでいるというよりかは、遊んでもらっているのかも知れない。本に興味があると言った後輩は、彼女が読んでいるという伊坂幸太郎を好きかどうかを私に聞いてきたことが始まりだった。
私は、朝会社でわざと読書をしている。わざとだ。いつか「窓際の読書さん」
昼下がりの故障は、僕を修復させた。
しかしながら、僕の携帯がどうやらおかしいと気付いたのは画面をタッチしても反応しづらくなったからだった。僕が携帯に嫌われたのか、僕の存在が薄くなったのか。どちらにしても「のほほん」と生きようとしている僕に「のほほん」とはさせないこの事情は、到底好ましい状況ではなかった。
「『のほほん』としてんじゃねぇ」と、遠い日の部活で顧問の先生からおもいっきり怒られている友人を横目で見ながら、怒るには可愛い言葉
探せない過去最高に埋もれている日々へ
自作において、過去最高の作品というものに出会った人達は、一体どれくらいいるのだろうか。
私には、ハッキリとした過去最高の作品というものが存在する。厳密に言うと、その作品の記憶が無くなりかけていて文体や形も説明出来ない。だが、あの日の自分の頭の中で物語が勝手に浮かんだ感覚と、何を書いていても上手く行き着くという絶対的な自信と、それに準じた快感に襲われたのは、生まれて初めてのことであり、あれ以来味わ
「なんのはなしです課」通信
皆様、日頃から「なんのはなしですか」普及にご尽力いただきありがとうございます。私の所属なんのはなしです課より活動報告です。私、この課に配属されて三年くらい一人でしたが、泣きました。ついに使用してくれた方が増えてきたのです。ご紹介します。
睦月さんの記事ですが、私びっくりしました。プロ並みのというか、プロだろというお仕事。掃除なんですけど。「なんのはなしですか」と感動を伝えてください。
伊藤さん