三年間。no+eの街の路地裏で「なんのはなしですか」と叫んでいた。
皆様ご存知の通りnoteの街の世界には、このような言葉があります。
だれもが創作をはじめ、
続けられるようにする。
この言葉を真摯に受け止め、且つ真面目に本気で力の限り三年間かけて、ありとあらゆる方法でこれを実践した話を書きます。
真実か嘘かの言及も致しません。強いて言うならば「なんのはなしですか」と感じていただければと願います。
はじまりは一つの言葉でした。「なんのはなしですか」という言葉がnoteの街の世界でタグの件数が一つもないことに気付きます。
これが約三年前のはなしです。
noteの記事はGoogleでも検索出来ることを私は知っていました。もしかしたら「なんのはなしですか」という一つの言葉をジャンルとして流行させることが出来るなら、どこか「おかしな」人達が集まり、何か分からない思想や想いを読めるのではないかと考えました。この「なんのはなしですか」という言葉は、人の日常や日々思うこと、創作も含め、普段言えない、書けない悩み、そしてどのジャンルの作品にでも使え、喜怒哀楽を表現出来て、どこまで本当か嘘かもハッキリしなくてもいい「魔法の言葉」だと心から信じていたからです。一人だと面白くないかも知れないが、集まればとんでもないものになるのではと思っていました。なぜなら、このnoteの街は書くことが好きな人達の集まりだからです。
人の思想やその途中のものを読み、もしかしたら面白く誰かが続きを書いてくれるかも知れない。バトンが頭の中で急に渡されて、楽しくワクワクしてしまう。そういう場所があれば創作を辞めるのを踏みとどまって、楽しく続けられて世界が面白く変化するかも知れないと漠然と考えていました。そしてそれをジャンルとして世界中で誰かが読めたら素晴らしいのではないかと。
エンターテイメントを創作出来るかも知れないと思っていました。
こうして、私はnoteの街で「なんのはなしですか」と記事を書き始めます。私ほどの才能の持ち主がこれだけ面白いことを考えたのだから、瞬間湯沸かし器のごとく時代の鐘が鳴り響き、瞬く間にスターになりながら流行するのだろうと考えていました。
はじめてみて気付いたのは、思った以上の逆風でした。私には、認知させるだけの文章力と実力と発信力が何も無かったのです。それは本人ですら気付かぬ誤算であり一つの試練でした。
面白くもない人間が使用していても誰も使うワケがないからです。
私は自分が想像以上に面白くないという現実を認めなければなりませんでした。そびえ立つプライドの持ち主の自分にとって実力不足を認めることは、果てしない道のりでした。
それはそれは高いプライドだったので、認めるまでに二年半くらいかかります。
この間に約150本の「なんのはなしですか」を書いています。二年半の間、ほぼ一人で「なんのはなしですか」と書き続けてきました。誰かが見つけてくれて、手を差しのべてくれるだろうと期待し続けました。
実際は過酷でした。誰かのためになり役に立つ記事や、ビジネスにおいてチャンスを提示してくれる記事、noteの街の世界での分析やこうすれば良いとのアドバイス記事、コンテストでの争い。
完全に求められていませんでした。私が思う面白いものは、まったく相手にされませんでした。生まれてくる時代を間違えてしまったと思っていました。
私はnoteを始めて三年なので、ずっと「なんのはなしですか」と書いています。
これを世間では、ただのアホと言います。
noteの街の世界が言う、続けられるようにする。とは一体「なんのはなしですか」と実際に問い合わせしたくなるくらいでした。書いても書いても何の反応もありませんでした。そして、ほとんど誰とも仲良くも出来ませんでした。もちろん自分から歩み寄れば温かく迎えてくれる空気は出来ていたのだと思います。「noteの世界は優しい」とよく目にしていましたが、私の目には入らないようにしていました。全然優しくなかったからです。
どこかに所属して自分を出すことも暗黒の私には出来ませんでした。この二年半の間に私に起こる感情は、妬みや嫉妬では表現出来ないどす黒い感情がずっと渦巻いていました。
自分の実力不足。それを覆すには書いて自分を乗り越えることしか手段は残されていませんでした。それをしないのなら辞めるしかないからです。
ただ、私は純粋にこの「なんのはなしですか」という言葉の持つ魔法を知っていました。それだけはずっと信じていました。ずっと自分自身が救われてきたからです。どれだけ自分が記事を書く上でこのたった一つの言葉に助けられてきたのかを理解していました。
それこそ「なんのはなしですか」と言われそうですが、私は絶対にこの言葉を裏切ってはいけないと書き続けてきました。
ある時、一人の方が使用してくれました。涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。私は「いつでもご自由に使ってください」と伝えました。
使ってくれませんでした。そしてnoteの街から居なくなりました。
何がいけないのか自分でも分からない日々が続きました。私は妬みや嫉妬に囚われすぎて、人に対して何かを提示するということを怠っていました。誰かが何とかすると考えていました。
そんな中、大勢のnoteの街の方々を一斉に紹介する記事に出会いました。それは到底一時間や二時間で書ける記事ではありませんでした。愛が入っていました。
そして何も見返りを求めていませんでした。
ただ彼女は「noteの街を面白くしたい」と叫んでいただけでした。
私には、それを笑うことは出来ませんでした。ぶん殴られた気分でした。
自分がいる場所を自分で面白くしようともしないで批判して、チャンスだけを待っている自分に心底嫌気がしました。一番なりたくない大人に自分がなっていたからです。
ここまできっかけがあるのに私自身が変化出来ないのなら、辞めた方が良いと思いました。私の生き方に反するからです。私は自分を徹底的に開放することに決めます。
マガジンを作成して紹介しようと考えました。これを作り、過去の記事を登録していた時に一人の女性からこう言われます。「マガジンを作成したのを見てあなたの本気を感じました」と。人は動いた分だけすぐに反応をくれることに今さらながら気付きました。この女性のことを好きなのは当たり前なのですが、私はこの女性に大きな気持ちをいただいたので返さなければならないと本気で思いました。
三月下旬。ここに、「なんのはなしです課」通信が誕生します。奇跡的に、同時期に数人「なんのはなしですか」を使用してくれたチャンスを掴み、「絶対に逃してはならない」と誓いました。端的に、再び書きたくなるようにと思いっきり、ありったけの願いをこめてそうは見えないように書きました。
そして一通目に自分が願うことを書け‼️
と、私の願いを書きました。
私は、この時に決め事をします。「努めて冷静に」「なるべく私情を挟むな」「自分がのめり込むな」「強制するな」「全て受け入れろ」「タグ以外の人様の記事には触れるな」そして「書いてくれた人に対して徹底的になれ」です。さらに、明確に「なんのはなしですか」は誰のものでもないと理解してもらうために「マガジンに自分の記事は一切入れない」と決めました。心の中では続くことを望みますが、誰かが使用してくれない限り続きません。賭けでした。
二通目。ここで私は、やりたかった方向に舵を切り始めます。いつ終わるか分からないからです。大胆に行くしか方法はありませんでした。この場所はnoteの街の路地裏であること、ここは、何かイケナイことをしている場所だとし、「なんのはなし」かも分からない活動報告を受けての感想なので、「なんの感想」かも分かりません。真偽は直接読みにいかれて、「なんのはなしですか」と聞いてあげてください。と、あくまでも全てエンターテイメントだということを記しました。ここで終わるかも知れないと不安でした。
三通目。思いっきり舵を切ったおかげで方向性が明確になり、徐々に使用者が増えてきます。その一人一人が手探りなため如何に面白く紹介するか「徹底的にその人の記事を読み込み」どこまでだったら許してくれるのかの境界線を探しながら挑戦します。この辺りで「普及」という言葉ではなく「なんのはなしですか」を「回収」するという言葉に変化させ、私から出向いてコメントを残し、この「おかしな記事」は預りますというスタンスを取りました。これは、「なんのはなしですか」そのものを面白くするにはどうしても必要で、私が必ずコメントに行くこと、回収することで「何を書いても大丈夫だ」という担保のためです。
四通目。GoogleのAIに認知されます。そして「なんのはなしですか」という言葉そのものを面白がってくれる方が増えてきます。さすが創作の街noteです。自分の持つ文体の形に落とし込もうと楽しみ始めます。徐々にたった一つの「なんのはなしですか」という言葉が流行してくるのを肌で感じました。同時に、自分より面白い人をどんどん発見することになる悔しさも感じ始めます。この頃からマガジンそのものがフォローされ、人数が増えていきます。「おかしな人」がいっぱいいると知られはじめ、面白さが生まれ始めます。
五通目。noteの街の路地裏へようこそ。月曜日をぶっ飛ばせのお時間です。と挨拶文を入れ始め、自分に言い聞かせるために使い始めます。三十人ほどの方が一週間に使用するようになり、通信に目次をつけ始めます。明らかにステージが変化したと感じたのは「なんのはなしですか」の中で、共鳴し始める人達、何度も記事を書き、私と同じように「何か生まれる」と感じてくれている人が多くなります。私自身は、この期間が一番ペースが掴めず通知を見るのが怖いくらいの毎日でした。時間が足りなくなってきていました。どこかで引くべきか迷いました。時間をどう使うかどうすべきか迷いました。結論は「人が引いた方が良いと思う時ほど突き抜けるべきだ」と書いてくれた人に対して「徹底してそれ以上の熱で返す」と決めました。ここで引くなら全てが無になると思いました。私自身が面白くないのなら、人が引くくらい書いて、思いっきり突き抜けてこそ「やっと人の目に映るくらいだと思え」と言い聞かせました。
六通目。私を知らずにタグを使う人が増えてきます。失礼のないように回収を心掛けますが、毎回不安でした。あたたかく迎えていただき感謝しています。ここでタグを手離すことは出来ませんでした。私は、定着とジャンル化を目指していたからです。どこかでまとめている場所があり、それを楽しむ人達を創りたかったからです。「おかしな人達がいる」と噂がさらに拡がり始めます。相変わらずマガジンがフォローされ、完全に形が出来上がって来た気がしました。三月に20本弱だった記事が四月に175本になります。この時がピークだと思っていました。五月が500本以上になることをまだ知りません。
七通目。この時から記事が毎週約一万五千文字を越え始めます。私は、徹底的に一人でやることを決めました。マガジンも共同運営にするわけでもなく、自分で回収し全てにコメントを残し、自分で登録することで「なんのはなしですか」の言葉の魔力のみで使う人が増えると思ったので、何らかの制限を使用者に感じて欲しくなかったからです。その結果、多種多様のジャンルの方が使用してくれるようになり、喜怒哀楽色々な記事が増えてきて「なんのはなしですかそのものを楽しむ」人が増えてきます。私だけが冷静であるべきで、絶対に強制するなと再度念じました。そして、私の熱を伝えるならば文章で示せと徹底しました。ここで初めてこれはnoteの街の路地裏文化だと発しました。ずっと思っていたことが形になり始めました。
八通目。路地裏の世界でも輝く人達が現れます。また、同じように企画をする人や協力して何かを創作しようという人達が増えてきます。正直に嬉しかったです。創作大賞が始まりました。私は、今の状態で何が書けるのか悩みました。自分で自分を天秤にかけました。どっちが面白くて、どっちが後悔しないかです。今自分の目の前で起きていることに全力を注ぐことに決めました。目の前のことを蔑ろにして自分のことを優先するのは、今までと同じだと考えました。そして、頭を切り替えました。私は「そうじゃない。これが私の創作大賞だ」と気付きました。毎週一万文字以上の作品を皆さんと創作してるじゃないかと考えました。全ての力を全振りして突き抜けると誓いました。誰にも構うな。何も気にするな。やりたいと思うことのみ全力で突き抜けろと。多くの人達が意図せずに関わっている。これをきちんと形にして伝えないと皆様に貰ったものを返せない。本当に申し訳ないことになると思っていました。
九通目。路地裏は混沌とし始めます。ありとあらゆる人が楽しむ路地裏になりつつありました。色々な方々が繋がり始め、それぞれ楽しんでいることを感じていました。私は、混沌を混沌のまま残そうとごちゃごちゃに編集しました。迷路を歩く感覚で読む人達が居心地良い場所を見つけられたら楽しいかなと考えました。きっと誰かに届いてると願いました。流行していると感じることが多くなりました。そして、私一人では物理的にこの先無理かもと感じるくらい楽しくなりました。
十通目。一つの目標にしていた数字でした。十週間思いっきりやりました。手を抜かず、一語一句魂を込めて紹介してきました。作品だと思っているからです。全員の記事を読み込み、怒られないギリギリの線で文章を書くことを徹底しました。私は、参加する人がどれだけ勇気を持って「投稿」ボタンを押しているか知っているからです。相手にされない怖さも知っているからです。手を抜くことは出来ませんでした。
私は「なんのはなし」かも分からないものをnoteの街で投稿する勇気を知っています。文章が上手い人が多すぎて、noteの街では比較対象になりやすいからです。ですが、本当の自分の気持ちを書いたり、悩んでいることを隠しながらでも書いたり、笑えたことを書いたり、悲しいことを書いたりする場所でも良いじゃないかと思っています。
私が読みたいのは「人の日常」だからです。くだらないなと思うことを書き記すことの出来ることを大切にしたいです。自分に大きなことはそうそう起きないからです。
十一通目で、二万文字を越えました。もう、自分の言葉ではないと言いきれました。記事を彩るもの「なんのはなしですか」という言葉そのもので通用するようになってきました。
ここまで書いてみて自分でもどうして何にもならないことに全力を注げたのか分かりません。くだらないことが好きなのは間違いありません。その中でも、一生懸命考えて書いてくれたり、どうやって一言で面白くしようと推敲したり「書けなかった。あとは任せた」というものがあったり、全て多くの人が本当に楽しんで書いていたのが伝わったからだと思います。たった一つの言葉による共振を感じました。毎日、本当にありがたいなぁ。としか思えなかったです。
小説みたいだと思っていました。主役が言葉で、それを支え活躍するのが書き手で、私はここでも裏側から糸を引く役かと思いながら、その題材が「なんのはなしですか」という何の実態も持たない軽い言葉というのが、実に私らしく滑稽で、人間というものは本当にどうして役に立たないことが好きなんだろうかと思っていました。
おそらくこれから「なんのはなしですか」という言葉そのものの持つ意味は、大量消費と共に薄れていくと思います。言葉とは生きていて、その言葉の持つ重さは使う度に軽くなるからです。ですから今しか書けないものを書いています。
ただ「なんのはなしですか」と使わなくても、
だれもが創作をはじめ、
続けられるようにする。
この書く土台は、創作しているのではと思います。私や書き手、読み手の皆様がしたことは、書くハードルを下げたことではなく、
誰もが書ける、「書く裾野を拡げたこと」
だと思っています。
書くことに参加条件などなく、書いたものを皆で「くだらないな」と楽しめる土台を創作したと思っています。
大事なのは、どんなことでも「書きたい」と思ったことを記すことが出来て、投稿することです。そこから先はまた別の話です。書くことに資格などありません。だからこそ「きちんと書け」と言うのなら表現にジャンルは生まれません。
書く前から「書く意味がない」と否定することを納得出来ません。「意味がない」「ワケが分からない」ことがこれだけ面白いと皆思ってくれたからです。
これだけ多くの人を巻き込み、本当に申し訳ないと思っています。貰った気持ちを返すことをずっと考えていました。私の言葉としては、これくらいになります。不思議とスッキリしています。本当です。
では私が創作大賞で書くにあたり、これから何をしたいのか、何を訴えたいのかですが、決まっています。
「もっと面白く出来ませんか?もっと読まれる方法はありませんか?」
ということです。こんなにくだらないことを毎日真剣に「書くことが好き」という共通の気持ちだけで、色んなジャンルの人間がたった一つの言葉「なんのはなしですか」という一言で踊り、創作を楽しんだ事実を
もっと面白く出来る方法はありませんか?
です。コンテンツとしてnoteの街の路地裏文化をもっと楽しむために、もっと笑えたり、泣いたり、考えたり出来るために、何か方法はありませんか?ということです。
路地裏文化はnoteという街が10年間誠実に創作というものと向き合って出来た「光」から生まれた「影」だと思います。
だから創作大賞へエントリーします。もっと濃い影になりたいです。
全てnoteという街がなければ存在しませんでした。感謝しております。
この声が届かなくても良いから、一言だけでいいから、心から応えて欲しいなと思っていることがあります。
「なんのはなしですか」
って、一言だけ応えて欲しい。完璧なオチが欲しいです。そしたら美味しいお酒を色んな人と同時に笑いながら呑めるなぁということです。
以上です。今後私が「なんのはなしですか」について書くことはないと思います。皆様への感謝と、こういうことして大勢と楽しんだなぁとお酒を呑めると思います。
一人の大人が本気で、くだらないと思われることに全力で取り組んでみました。どっかで誰かが一緒に楽しんでくれてたらと思います。
これからも通常通り、皆様とくだらないことで笑って楽しんでいけたらなと思います。
なんのはなしですか
ここまで書きましたが、これ全てnoteの街の私と路地裏住人達による壮大な創作です。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。