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祈りの文化を受け継いでいく人びと

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東北は山形、最北端に位置する最上地域で、何百年という歴史を重ねながら祈りの文化を受け継いでいくお寺と人びとを紹介しています。
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#文化

「生きる」を支える寺 東岩山 秀林寺 1/2

「生きる」を支える寺 東岩山 秀林寺 1/2

寺の役割と住職の務め 曹洞宗東岩山秀林寺(とうがんざんしゅうりんじ)[瑞雲院(ずいうんいん)末寺]の創建は元文三年(一七三七年)勅特賜仏心大光禅師天巖詮尭大和尚(ちょくとくしぶつしんだいこうぜんしてんがんせんぎょうだいおしょう)により開山されたと言われます(大本山總持寺の記録では一六七八年には存在していたと記される)。その後、文久元年(一八六一年)に全焼、明治十二年中渡大火で類焼と二度に渡り火災に

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人々の「縁」が繋ぐ 助雲山 松岡院 接引寺 1/2

人々の「縁」が繋ぐ 助雲山 松岡院 接引寺 1/2

浄土宗 接引寺の由来今から四百年ほど前、寛永二年(一六二五)、良本上人(りょうほんしょうにん)によって開山されました。

 戸沢藩初代政盛公が常州松岡(現茨城県高萩市)から羽州新庄に転封された時、同行した上人が沼田城築城の残木を賜り、現在地に接引寺を建立し、羽州街道の南の備えとしました。また、接引寺のこの「接引」とは「どんな人をも最期は極楽浄土にお連れする。」という仏教の意味をもつそうです。

 

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「どんな人をも最期は極楽浄土にお連れする。」助雲山 松岡院 接引寺 2/2

「どんな人をも最期は極楽浄土にお連れする。」助雲山 松岡院 接引寺 2/2

亡き人を悼み、来世での安穏を願い、今ある命に感謝し、
残された生活の幸いを願う。

助雲山 接引寺 花車英行 上人

昭和47年新庄市生まれ。大正大学仏教学部在学中、大本山増上寺にて修行の後、大学を卒業。平成18年第27世接引寺住職となる。平成26〜28年まで浄土宗山形教区青年会会長を務める。現山形教区議会議員。

葬儀の由来
近年、故人のお見送り方はますます多様化しています。しかし、葬儀には故

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[修行日記⑥] 山門

[修行日記⑥] 山門

 古参和尚さんの後ろを濡れた草鞋で歩いて行きます。雪を踏みしめる「ギュッ、ギュッ」という音しか聞こえません。しばらく進んでいくと古参和尚さんが「ここに一列に並びなさい。」と言いました。どうやら山門に到着したようです。8人が横一列に並ぶと次に「一人ずつ、木版(もっぱん)※1を三打しなさい。」と言われ一番の私から順に三打していきます。「コーン、コーン、コーン」と木版を三打することで 暫到和尚(ざんとう

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「古き良き文化が残る」 大儀山 会林寺 1/2

「古き良き文化が残る」 大儀山 会林寺 1/2

時代に即した布教活動こそ次の世代が担う務め
 会林寺は、清水城(最上郡大蔵村)の五代孫二郎義高其の母を開基として、城外比良の地に永正十七年(一五二〇年)七月に建立、本寺西来院八世宏岳青隣大和尚によって開山。貞享四年(一六八七年)九月二十九日に火事にあいますが、元禄五年(一六九二年)に再建されました。そんな歴史ある会林寺の第二十八世住職として、60年近く地域を見てきた後藤信而老師へ、今と昔の葬儀につ

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「寺に集まり信仰的な交流を図る
唯一の楽しみがここにあった」 大儀山 会林寺 2/2

「寺に集まり信仰的な交流を図る 唯一の楽しみがここにあった」 大儀山 会林寺 2/2

「坐禅会」と「講」による寺の布教活動
 寺の宗教活動としてご葬儀やご法事等はもちろん、「坐禅会」「講」があります。坐禅会は、先代が昭和33年から始め40年くらい続けておりました。私の代になり、今から5年ほど前まで毎月朝6時〜7時まで1週間、市内の方を中心に若い方からご年配の方まで15名ほど集まって開催、大事な交流の場としておりました。 平成半ば頃まで、この地域には「講」と呼ばれる信仰団体がありまし

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[修行日記⑤] 覚悟

[修行日記⑤] 覚悟

 地蔵院での2泊3日の間、食事・入浴・お手洗い等あらゆる場面での作法、着物の着方、上山時の口上などを叩き込まれます。古参和尚さんの目を見てはいけない、聞かれたことには基本「はい」か「いいえ」で答え、それ以外の時は話す前に「失礼いたします」話の後に「失礼いたしました」を必ず付けます。話をするときはきちんと相手の目を見て話す事が常識と思っていた事がここでは完全に否定されるのです。そして自分が思っている

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「開かれたお寺」 寶光山 英照院 1/2

「開かれたお寺」 寶光山 英照院 1/2

伝統を守りながら時代の最先端を行く仏教
 英照院は、江戸時代の始め一六五八年に創建された由緒あるお寺です。「縁結びのお姫様」とも呼ばれる新庄藩の宮子姫が祀られておりますが、古来よりお姫様をお参りすると、「幸せになれる」「恋愛が成就する」「良縁に恵まれる」との言い伝えがあり、現在でも若い女性やカップルの参拝者が後をたちません。また、伝統的仏教文化と現代文化が調和した荘厳な造りが特徴的な英照院の建築は

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[修行日記④] はじまりの地蔵院

[修行日記④] はじまりの地蔵院

 私は門前の「かいど※1」という食事やお土産を販売するお店で上山の身支度をさせてもらいました。「かつ丼でも食べて元気つけてったら~。当分食べられんよ~」とすすめられましたが、緊張と不安でもう何も口にすることができない状態でした。お店を出るまでの間、「頑張って修行してこい!」と送り出してくれた師匠、両親、兄弟、祖母、友人、お世話になった方の顔を思い浮かべ、遠く離れた場所で自分の修行を応援してくれてい

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[修行日記③] 修行の決意

[修行日記③] 修行の決意

 震災後しばらくすると通常の学生生活に戻りました。仏教学部禅学科では主に坐禅・曹洞宗の経典について学んでいました。当然、曹洞宗寺院の息子である友人も多く、「お寺の長男」としての相談話につきあうこともありました。その中でも「本山での修行」は彼らにとって一生に一度といっていいほどの大問題です。実家のお寺を継いでいくには絶対に避けては通れない難関なのです。大問題・難関と書いてはいますが、なかなか一般の方

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「伝説を今に伝える」 亀棲山 長泉寺 1/2

「伝説を今に伝える」 亀棲山 長泉寺 1/2

葬儀本来の意味を-

未来に繋ぐ 長泉寺の開創は永禄年間(1558〜1569年)といわれ、令和まで約460年余の歴史があります。現在のご住職は22世である結城俊道老師。檀家は新庄市内外に点在しています。

 結城住職は、曹洞宗宗議会議員という要職に就いています。平成30年10月から2年間は、東京の宗務庁で出版部長の役職に就かれていました。全国の状況を知る結城住職は、「自宅葬から葬儀場で行う葬儀が増

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[修行日記②] 震災で訪れた転機

[修行日記②] 震災で訪れた転機

―3.11、その日
 香花堂で店の手伝いをしていた時に地震がおきました。激しい揺れではありましたが店舗の商品にはほとんど被害はありませんでした。ただすぐに停電になり、電動シャッターを下ろすことができず施錠できなくなってしまい、停電が復旧するまで店舗で寝泊まりをしていました。

地震から一週間程たったころ霊柩事業者の団体から「被災地で霊柩車が必要なので協力してほしい」という内容のFAXが届き、その数

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