n-bunaさんの『花と水飴、最終電車』の歌詞について考えたこと

n-bunaさんのアルバム『花と水飴、最終電車』の、主に『始発とカフカ』と『着火、カウントダウン』の歌詞について考察したことを書きます。
『花と水飴、最終電車』のネタバレがあるのでご注意下さい。
『』はアルバム名や曲名に、「」は歌詞に付けています。

『始発とカフカ』は、変身へんしん返信へんしんで、
「君から届いた手紙」への返信を書く=毒虫に変身する
上手く伝わらないから人じゃなくなる(毒虫になる)気がします。
歌って逝くあなたに返信は届かない=人が虫になるわけもない(ヘンシンできない) という。
「僕は人を失っていくそうなら僕も笑って会えたのに」は、毒虫に変身してでも貴方に会いたかった(返信したかった)のかなと。
ラストが「そんな僕の変な歌だ」なので、たとえ上手く伝わらなくても歌にしたいって事かなとか。

「僕の変な歌」は返歌へんかでもある気がします。
歌って逝ったあなたへ贈り返す歌という。
返歌=変化 とすると、毒虫に変化した事に繋がりますし。


「伝えたい事しかないのに 何も声が出なくてごめんね」とあり、伝えようとしても声が震えてしまったのだと思いました。
手紙をしたためても「震えた言葉」、震えた文字になってしまう「僕」は、
自分自身の「伝えたい事」に対して「ごめんね」と言っているように感じます。
「見返すには歩くしかないのに 上手く足が出なくてごめんね」の部分も、自分の見返したい気持ちに対して「ごめんね」と言っているように思います。

「手紙が着く当てだってないのに」とありますが、『着火、カウントダウン』でどうやらこの手紙が拾われたみたいで、良かったなと思います。
また、手紙は便りとも言います。「始発の便」は、便り(手紙)でもあるように思いました。
便→びん→瓶、という連想から、『夜祭前に』の手紙の入った小瓶のことにも思えます。
ボカロ曲で「何も声が出なくてごめんね」と歌うのは、切実な感じがします。声が出ないから、初音ミクに歌ってもらう、という風に連想しました。


『着火、カウントダウン』のロケットは、手紙の入った瓶でもあると思いました。
『始発とカフカ』や『夜祭前に』にも出てきた、「白い花の添えられた手紙」を拾った「私」が、真似して手紙を飛ばしてみたのかなと思いました。
「したいことなんてない」けれど、ふと、手紙を飛ばしてみたいと思ったのかもしれません。手紙に書きたい事はなくても、誰かに手紙を書いてはみたかったのかなと。
ロケットを手紙だと思ったのは、「乾いた夏空 浮かんだ心臓を、君を空に飛ばしてく」に、『メリュー』の「灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだ」との繋がりを感じたからです。空を海に、海を空に例えているように感じました。心臓はロケットのことでもあると思います。
ロケット発射のカウントダウンで曲が終わり、次の曲『敬具』と曲間が繋がっているのも、ロケットを手紙に例えているように思いました。

『ずっと空を見ていた』では、『着火、カウントダウン』のロケット(手紙)が飛んでいく空を見ていたのかもと思います。

歌詞中の手紙は、曲のことにも思えます。このアルバム自身も、海に投げられた、手紙の入った小瓶なのかもしれないと思いました。



『メリュー』の英題はMeruなので、メルー山(Mount Meru)という成層火山のことかなと思いました。「君は灰になって征く」とありますし。
メリューのMVを踏まえると、涙が溢れることを噴火になぞられている気がします。
「夕陽が落ちる様に胸が染まる」を心にマグマが溜まると取ると、
「心臓を投げたのだ」=心が噴火した と思えます。
「もう声も出ない」「辛いと思うだけ」などから、感情を吐き出すことができず溜め込み、噴火のように爆発したのかなと。

目から涙が流れるから
目流(めりゅう)→メリュー とも思えます。
アルバムの前後の曲が『夜祭前に』『着火、カウントダウン』なのを踏まえると、
火山や感情(涙)の爆発を、ロケットの打ち上げや花火に喩えている気がしました。

以上です。