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乳がんにまつわるエピソード

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私の乳がんに関する記事を集めています。
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#乳がん

アンジェリーナ・ジョリー帰宅する

アンジェリーナ・ジョリー帰宅する

無事に右乳房全摘手術→退院してきました。これで晴れて両胸GOフラットである。

手術前「出来るだけ両胸の傷口の角度を合わせたいと思うけれどズレてしまうこともある」…って先生から説明受けて、

はじめっから両胸の傷口の角度とか
マジでどうでも良かったので気遣いハンパないな…
と思いながら

「あ、ズレてもいいです。悪いところをとってもらうのが大事なんで、ガチャズレしてても大丈夫です」

と言ったら先

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ちょっくらお暇いただきます

ちょっくらお暇いただきます

10月27日に人生2度目のがん告知くらいました。

詳しくはここに書いた通り。

本日、休職前の最後の勤務を終えてこのnoteを書いてるわけなんです。

うちの職場は若い女の子がほとんどで構成されていて
私のような歳たけたパートのおばちゃんは少ししかいないわけ。

しかしね、
娘のいない私にとって彼女たちと働くことが
本当に楽しくて最高にハッピーな職場。

11月のシフトが完成して職場のLINEに

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すわわ!またガンが出た!

すわわ!またガンが出た!

2年前の告知の時、ホルモン由来の悪性度の低いガンが左乳房に広がっていて、

MRI画像を見て「これ、全摘ですよね…」と自分から言ってしまうほどに1センチほどの腫瘍が1つと思っていたガンは米粒を撒いたように白く写っていた。

マンモグラフィに映ったのは最初に触ったシコリだけだ。MRIおそるべし。

ガンになったとはいえ、昨日まで知らずに生きてスキップ踏んでいたのだ。急にしおらしくガン患者っぽくなるの

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自律神経の話

自律神経の話

ガン宣告受けた48歳の9月。
自分の身に降りかかった事態より

「両親になんて話せばいいんだろう」
…という思いが頭いっぱいに広がって1番悩ましかった。

子も孫も成長して晩年期をめちゃくちゃ謳歌している
両親にとてつもない爆弾を投下せねばならない。

末の次男坊も大学に入学した年。
母親卒業宣言も済ませ、
やるべきことはやった充実感を味わっていたので
自分自身については

「なっちゃったものは仕

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乳癌術後1年経って。(タモキシフェン 服用2年生に向けて)

乳癌術後1年経って。(タモキシフェン 服用2年生に向けて)

朝から3ヶ月に1度の病院にいる。

ここに来ると嫌でも自分が「経過観察中」の身の上であることを実感する。

今日はCT撮影とマンモグラフィー。
再発防止の抗ホルモン薬タモキシフェン は投薬1年経った。

タモキシフェン を毎日飲んで、
年齢も更年期世代だし、コレは薬の副作用なのかなんなのか分かりかねる案件がいくつかある。

1、膝が痛い(関節痛)
2、疲労感がヤバい
3、ホットフラッシュ
4、記憶

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愛を知ること。

愛を知ること。

乳がん告知の日から、
ちょうど1年。

次男が一緒についてきて診察室で先生に
「ちょっとまずいんだよね…乳がんだったよ」
と告げられた時に目に入っていたMRI画像。

乳房全体に白く米粒のようなものが散らばる画像は
今でも脳裏にはっきりと浮かぶ。

「これ、全摘ですね…」
と、患者の方から言ってしまう…という、
ドラマと全然違う!!!!…という告知場面。

診察室を出て、
ハタと気付いてしまった。

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手術から9ヶ月。

手術から9ヶ月。

夏だ!
先日、誕生日を迎えた。

もうすっかり時が経った感があるのだが、
乳がんの手術をしてから9ヶ月しか経っていない。

去年の今頃は会社の健康診断を受け、
48歳にしてはものすごい健康値を叩き出していて、
夏のデザート作りに勤しみ、自分は健康と信じて疑わず日々をめちゃくちゃ楽しんでいた。
自作のコンポートで自分の誕生日に自分でケーキを作ったくらいである。

知らない間は「がん」など存在しないも

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GO!フラットで生きる。

GO!フラットで生きる。

私は片乳である。

乳がんを発見した時には乳房内に米粒ほどのがんが
広がっていてMRI画像を一目見て
「全摘ですね」と自分から言ってしまったくらいに散らばっていた。

現在保険適用になり、
乳房再建する人が多い中、

即答で「再建要らないです!」
と答えたので先生は豆鉄砲をくらった顔をしていた。

「がん宣告」を受けた時に、
特に感情的にならなかった。
もともとプティなサイズのお胸、なくなったとて

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平成最後の日

平成最後の日

「新しい元号は『平成であります』」

小渕官房長官が額ババーン!の瞬間、私は高3だった。

あの日は今回の元号改正と違って天皇陛下の病状が年末から次第に悪化していた。長かった「昭和」という時代が終わろうとしていた。

世の中はバブルに湧きたち、
唯我独尊状態だったのだが、
今で言う「忖度」「自粛」でバラエティやドラマなど娯楽が日本から消えた期間でもあった。

テレビは白黒画像の過去映像を流し、

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サラバ、マイブラジャー

サラバ、マイブラジャー

4月も後半なり、夏日かよ!という日が増えてきたので
衣替えをする。

タイツやヒートテック、セーターなど衣装ケースに入れるものをどんどん畳んで積んでゆく。

そんな中、私の頭を悩ませるものにブラジャーがある。

昨年8月の健康診断の結果で健康値の高さに「ヒャッハー」状態で
ピラティスにハマっていることもありエクササイズ用のスポブラと呼ばれるものを4枚ほど新調した…。それなりのお値段だったが背筋も伸

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乳癌になった話  その10

乳癌になった話  その10

手術が終わった日の夜は長かった。

たくさんの管につながれ
ずっと靴下状のエアポンプが足をぎゅーっと
絞ったり、緩めたりするのだ。

一晩中、「ブオオオオオー、プッシュー」
という音が繰り返される上に向かいのベットのご老人のイビキがすごかった。
翌朝姿を見るに上品な老婦人だったので、
太ってなくても見事なイビキかけるんやなぁ…と思った。

「手術の夜は眠れませんよ…」
とことごとく看護師さんや先生

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乳癌になった話  その9

乳癌になった話  その9

手術の当日の朝は絶食だった。
水も7:00までと決められていた。

あんなに「トンデモ医学」に関して拒否したが
直前の旅行で汲んだらしいフランスのルルドの聖水を
父親が夫の職場に持ってきた。
「手術の前に飲むように言って」と伝言があったらしい。トンデモ医学!母親じゃなくて父親かよ!

藁にもすがる想い……やだ怖い。
医師でも非科学にも頼ってしまうのか。

父と母は夫に「乳癌見つけてくれてありがとう

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乳癌になった話  その8

乳癌になった話  その8

手術日は10月24日(水)に決まった。

癌発覚からうつ伏せに寝て胸潰れたら
癌が乳腺からはみ出したりしないのかな?圧で…
とか今まで落ち込みゼロで休職をエンジョイしてるけど手術の後、急にテンション下がって落ち込むのかな?…とかよくわからない事に頭を悩ませていた。

乳癌の5年生存率は私の1期では100%。
しかし直前に味わった台風21号のせいで
「癌宣告されても癌で死ぬとは限らない…」
という想

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乳癌になった話  その7

乳癌になった話  その7

10月2日(火)の転移告知の日には夫と長男が付いてきてくれた。

先生から「○○さん、初期の初期、 転移ないよ。リンパにも乗ってない!切ったら終わり!大丈夫だよ!」と言われ3人が大きなため息をついた。
しかし、決めるべきことはまだまだある。
乳房再建手術だ。

「それでね…」と先生が出来上がっている説明用の下敷き状のメニューのようなものを出してきて「傷口はこんな風になります」とか言うんだけど「それ

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