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(25)ピースボート〈地球一周の船〉で働いて思うこと
人生の運命とは「たまたま」という名の必然が運んでくるわたしが東京に残ることになった最も大きな理由は【ピースボートで働くことになったこと】である。
ピースボートとはあのよく居酒屋のトイレで見るポスターのやつ。まゆが21歳の時に南半球を一周するのに乗ったやつ。そこで今はスタッフとして働いている。
まゆの職場では過去何年もの歴代ポスターたちが壁一面に貼られている。
ここで働くことになったきっかけはなん
(20)タイとインド、1年半の瞑想生活
タイ大学を辞めて、まず最初に行った日本の千葉にあるヴィパッサナー瞑想センターで出会ったイスラエル人の男性がタイのバンコクに住んでいて、部屋も余っているし遊びにおいでよと言ってくれたので、人生ノープランだったわたしは誘われたままにタイに行くことにした。
タイはバンコク、チェンマイ、パーイに行った。バンコクのイスラエル人の友達の家にはメイドの女の子がいて毎日フムスを使ったイスラエル料理を作っていた。
(17)大学中退直後に行ったヴィパッサナー瞑想合宿
渇望の嵐だった10日間
自給自足の家族とともに生活していると出会うすてきな人たち皆がヴィッパサナー瞑想経験者だったこと、当時付き合っていたパートナーが10日間の瞑想合宿で人生が変わるような経験をしているのを目の当たりにしたこともあり、わたしは大学を辞めてまず最初に瞑想合宿に参加することにした。
ヴィパッサナー瞑想というのは世界中にセンターがあって、日本だと千葉と京都にある。
10日間コースと
(13)「人生を愛する」の意味を知った日
死ぬまでに必ず行くと決めていたウユニ塩湖。南米の最南端のウシュアイアという国で、ピースボートを一時離脱し、陸路にて女友達と2人でバックパックで南米を旅した。
アタカマ砂漠から2泊3日かけてウユニへ。
その道中、見たこともない自然を
涙が出るほどの絶景をたくさん見た。
生きててよかったと、
自分が自分でよかったと、
地球と自然にありがとうと、
心から思った。
有無を言わさず
無条件に
生命を全
(12)大切なのは外側に向いているまなざしを内側に向けることだった。
「何か」や「誰か」の犠牲の上に成り立っているシステム
そうして、ピースボートにのり南半球をまわってきて世界の光と影を知り、「どうにかしたい世界」を作り上げてるのは、自分たち先進国なんだと知り、なにが国際協力だよ、なにが貧困、格差をなくしたいだよって、そう自分に思った。
全て根っこには先進国の存在があって、日本に生まれ落ちた自分にもそのシステムに加担した暮らしがそこら中に散りばめられていることに、