デカすぎる愛

1997 / 京都市立芸術大学 構想設計卒

デカすぎる愛

1997 / 京都市立芸術大学 構想設計卒

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  • 愛すべき地獄

    バカデカい愛のエッセイ集 第1弾 精神疾患、Tinder、フェミニズムなどについての記事12本+あとがき

記事一覧

愛すべき地獄・あとがき

 このたびは「愛すべき地獄」をお手に取っていただきまして、誠にありがとうございました! この1冊で、バカデカい愛さんがどのような価値観をもって生きているかがよくわ…

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 「消える」という選択肢

 4月頭に発売された「文藝」夏季号の特集が「世界はマッチングで回っている」だったので、マッチングアプリ歴7年というもはや依存症とも呼べるわたしに、友達が「ぜひ感想…

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フェミニズムは死なない

 わたしはほんとうにフェミニストなのだろうか? いや、確かにフェミニスト寄りではあるのだけれど、胸を張って「わたしはフェミニストです」とは言いたくない。なぜなら…

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禁煙ファシズムがはびこる社会

 煙草を吸い始めたきっかけは、よくある”男の影響”というやつだ。あまりにもテンプレの女でつまらなくてダサくて恥ずかしいけれど、それに逆張りをしてヘンテコな理由を…

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ホモソーシャルの解体

 わたしはミソジニーとミサンドリーをどちらも拗らせた面倒くさい人間だ。その起源はどこにあるのだろうか?

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理想の自分を完成させること

 現実はつらく厳しい。なかなか思い通りにはいかないし、気がつけば不満ばかりを数えていて、「ほんとうはこうであればよかったのに」と理想がどんどん肥えていく。

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インターネット上だけでも輝いていたい 2

 バカデカい愛とかいうコンテンツは、とにもかくにも変すぎる。なんなんだ、これは。京都市立芸術大学ツイッター界隈(?)と、京都の大学生界隈(?)と、批評界隈(?)…

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偏屈なものしか愛せない

 わたしは性格の悪い人間なので、「何を嫌いかではなく何を好きかで自分を語れよ!」という例のミームにまったく同意できない。好きなものが同じ人間とは必ずしもうまくや…

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わたしを救済できるのは

 わたしはプライドが高いので、他人の力を借りずに自力で自己救済をしようともがいてきた。それゆえに、救済という漠然とした概念については、人一倍に向き合ってきたので…

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もっと強くなりたいというマゾヒズム

 何らかに対する「キモい」という感覚は、この混沌とした社会をサバイブする上で自身のこころを守っていくための防衛本能でありつつも、やはりなるべく持たないほうが精神…

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生活をていねいにする試み

 朝という時間が特別なものではなくなったことに気づいて、大人になったなと思う。小学生は早起きすると褒められるので、夕飯時にしかテレビを観ることを許されていなかっ…

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躁鬱の恩恵

 わたしは双極性障害に苦しめられている反面、双極性障害に助けられている実感もある。

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子にとっての母のような

 人生において、交際相手の有無はほんとうは大した問題ではないと頭でわかってはいても、恋愛依存がやめられないわたしは、なんだかんだ絶えずパートナーがいる。

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風俗業について思っていること

 上記のマシュマロが飛んできたので、現時点のわたしが「風俗業について思っていること」を書き並べようと思う。  前提として、わたしはマッサージ系の風俗店に半年ほど…

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ママが怒らないなら何でもよかった

 母親にかんする記憶といえば、鬼の形相で怒鳴っているか、もしくは平常時からやや高めの声をさらに高くして笑っているかの二択で、幼い頃からわたしは母親の二面性がとて…

デカすぎる愛
2週間前
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「ブス女ほど性欲が強い(笑)」

 第4波のSNSフェミニズムが台頭してから、"男のミソジニー"について議論(もはやただの恨みの発散と化しているが)される土壌はできあがったけれど、"女のミソジニー"につ…

デカすぎる愛
2か月前
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愛すべき地獄・あとがき

 このたびは「愛すべき地獄」をお手に取っていただきまして、誠にありがとうございました! この1冊で、バカデカい愛さんがどのような価値観をもって生きているかがよくわかったんじゃないかな〜。

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 「消える」という選択肢

 4月頭に発売された「文藝」夏季号の特集が「世界はマッチングで回っている」だったので、マッチングアプリ歴7年というもはや依存症とも呼べるわたしに、友達が「ぜひ感想を聞きたい」という提案をくれた。わたしも、これは読んで書くしかないと思ったので、さっそく買って読んだのが事の発端だ。

 特集の記事は、作家の対談や小説、評論など多岐にわたったので、印象に残ったことばについて書いていく。

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フェミニズムは死なない

 わたしはほんとうにフェミニストなのだろうか? いや、確かにフェミニスト寄りではあるのだけれど、胸を張って「わたしはフェミニストです」とは言いたくない。なぜなら、SNSアクティビズムが中心の第4波フェミニズムは、もはや女性の権利を獲得するための運動とは呼べないところにまで来ているからだ。

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禁煙ファシズムがはびこる社会

 煙草を吸い始めたきっかけは、よくある”男の影響”というやつだ。あまりにもテンプレの女でつまらなくてダサくて恥ずかしいけれど、それに逆張りをしてヘンテコな理由をでっちあげて格好をつけるほうがダサくて恥ずかしいので、率直に言うようにしている。

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ホモソーシャルの解体

 わたしはミソジニーとミサンドリーをどちらも拗らせた面倒くさい人間だ。その起源はどこにあるのだろうか?

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理想の自分を完成させること

 現実はつらく厳しい。なかなか思い通りにはいかないし、気がつけば不満ばかりを数えていて、「ほんとうはこうであればよかったのに」と理想がどんどん肥えていく。

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インターネット上だけでも輝いていたい 2

 バカデカい愛とかいうコンテンツは、とにもかくにも変すぎる。なんなんだ、これは。京都市立芸術大学ツイッター界隈(?)と、京都の大学生界隈(?)と、批評界隈(?)と、インディーズバンド界隈(?)と、地下アイドルオタク界隈(?)にざっくり足を突っ込んではいるものの、界隈で特に親交の深い身内アカウントがたくさんあるわけでもなく(リアルでの交友に発展したフォロワーもごく一部いるけれど)、陸地から遠く離れた

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偏屈なものしか愛せない

 わたしは性格の悪い人間なので、「何を嫌いかではなく何を好きかで自分を語れよ!」という例のミームにまったく同意できない。好きなものが同じ人間とは必ずしもうまくやれるとは限らないけれど、嫌いなものが同じ人間とはなんだかんだでそれなりにうまくやっていける実感がある。

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わたしを救済できるのは

 わたしはプライドが高いので、他人の力を借りずに自力で自己救済をしようともがいてきた。それゆえに、救済という漠然とした概念については、人一倍に向き合ってきたのではないかという自負がある。

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もっと強くなりたいというマゾヒズム

 何らかに対する「キモい」という感覚は、この混沌とした社会をサバイブする上で自身のこころを守っていくための防衛本能でありつつも、やはりなるべく持たないほうが精神衛生によい。

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生活をていねいにする試み

 朝という時間が特別なものではなくなったことに気づいて、大人になったなと思う。小学生は早起きすると褒められるので、夕飯時にしかテレビを観ることを許されていなかった当時のわたしは、家族の誰よりも早い午前6時に起きて、親に怒られないように、録画した深夜アニメを観ることに夢中になっていた。朝は、親の過剰な監視下にあったわたしにとって、唯一の自由な時間だった。

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躁鬱の恩恵

 わたしは双極性障害に苦しめられている反面、双極性障害に助けられている実感もある。

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子にとっての母のような

 人生において、交際相手の有無はほんとうは大した問題ではないと頭でわかってはいても、恋愛依存がやめられないわたしは、なんだかんだ絶えずパートナーがいる。

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風俗業について思っていること

 上記のマシュマロが飛んできたので、現時点のわたしが「風俗業について思っていること」を書き並べようと思う。

 前提として、わたしはマッサージ系の風俗店に半年ほど在籍していたことはあるが、ソープやヘルスなどの完全に性サービスに特化した業種に就いたことはない。チャットレディがそこの類に入るのかは微妙だが(一応は風営法の中に定められている)、適性がなさすぎて2週間で飛んだ。

性産業は存在すべきなのか

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ママが怒らないなら何でもよかった

 母親にかんする記憶といえば、鬼の形相で怒鳴っているか、もしくは平常時からやや高めの声をさらに高くして笑っているかの二択で、幼い頃からわたしは母親の二面性がとても怖くてたまらなかった。

 今日は怒鳴る日か笑う日かというのは、リビングから聴こえる足音の重さでおおむね判断できた。ドアを閉める音も同じくらい役に立つ判断材料だった。

 そういう日はいつもより"いい子"にしなくてはならない。ママが都会の

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「ブス女ほど性欲が強い(笑)」

 第4波のSNSフェミニズムが台頭してから、"男のミソジニー"について議論(もはやただの恨みの発散と化しているが)される土壌はできあがったけれど、"女のミソジニー"について語られる土壌はまだまだ未熟である。

 "男のミソジニー"と"女のミソジニー"は構造がまったくちがうとわたしは考えている。
 "男のミソジニー"は、家父長制やホモソーシャルによつて「女は抑圧されるべき生き物だ」という価値観が男性

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