風俗業について思っていること



 上記のマシュマロが飛んできたので、現時点のわたしが「風俗業について思っていること」を書き並べようと思う。

 前提として、わたしはマッサージ系の風俗店に半年ほど在籍していたことはあるが、ソープやヘルスなどの完全に性サービスに特化した業種に就いたことはない。チャットレディがそこの類に入るのかは微妙だが(一応は風営法の中に定められている)、適性がなさすぎて2週間で飛んだ。


性産業は存在すべきなのか?

 女性の権利を訴える人たちも風俗業に対する見解はそれぞれで、人身売買だから即刻廃止すべきという人もいれば、性犯罪の抑止力になっているから廃止すべきではないという人もいるし、セックスワークを主体的に選んでいる人の仕事を奪うべきではないという人もいる。わたしはどれもうっすら肯定しているし、どれもうっすら否定している。


 性産業が、人間の肉体の価値を金銭に置き換えている人身売買であることは否定しようがない。引越し屋や宅配便などとちがって、「性」というプライベートな領域を取引するので、同じ肉体労働でも発生する価値(=値段)が変わってくるという認識をわたしはしている(間違っているかもしれない)。

 本来は、人間の肉体に金銭的価値がつくということはあってはならない(同等な尊厳をもつはずの個人の間に値踏み"する"側と"される"側という上下構造が発生するので)。ただそれを承知した上で、本人が自身の肉体を売ることで得られる金銭的対価を望むのであれば、それは自己決定権のひとつとして認めるべきだろう。

 しかし、ここではその「自己決定権」が本当に「自己」の「決定」によるものなのかについては深く考えなければならない。
 たとえば、「その日のお金を稼ぐ手段が風俗しかない」という場合を「自己」の「決定」とするのは適切ではない。学歴や資格などを持っておらず就ける職業がないとか、知的障害や精神障害などによって他の選択肢が見えていないとか、そういう状況にある人たちが性産業を選ぶのは、「消極的選択」であって「積極的選択」ではない。
 また、本人が性産業を積極的に選んでいるのだと信じていても、過去の性被害のトラウマを再演しているにすぎないパターンもある。

 これらの場合は、福祉の担うべき役割をたまたま性産業が兼ね備えていたというだけなので、福祉によって救済するとともに身体を売ることをやめさせるべきだろう。性産業が貧困やメンタルヘルスなどの問題に直面している人々のセーフティネットになっていていいはずがない。


 性犯罪の抑止力になっているという主張は、個人的にかなりいけすかない。自分たちの平穏な暮らしのために、生贄を差し出しているだけだからだ。セックスワーカー自身が言うならまだしも、非従事者がそれを言うのはあまりにも己を正当化するための暴力だろう。

 とはいえ、性風俗施設の設置が性犯罪の抑止力になるというデータは実際にあるらしい(*)ということで、まるごと否定するわけにもいかない。
 ただ、性風俗店があれば罪を犯さずに済む層というのは全体の一部分でしかなく、犯罪だとわかっていてもなおおこなう層というか、むしろ犯罪だとわかっているから興奮する層がいる(痴漢などは特にそう)。

 そして、アダルトビデオやエロ漫画などのポルノによって一部の人たちの性欲と加虐心の境界があいまいになっているのもまた事実なのだ。大半の消費者はフィクションだと割り切ってくれていると信じたいが、やはりこころの奥底に眠っている衝動的な欲に逆らうことが難しい人たちもいる。

 結局、抑止力になっているかなっていないかで言えば、なっていないほうなんじゃないかと見ている。

(*)The Effect of Adult Entertainment Establishments on Sex Crime
https://marginalrevolution.com/marginalrevolution/2021/06/the-effect-of-adult-entertainment-establishments-on-sex-crime.html


 そして、わたしがいちばん気に食わないのは、「好きでやっている人たちの仕事を奪うな」という意見である。少し前に、AV女優がファッションブランドのPRをしていたことでTwitterがその話題で持ちきりだったことは記憶に新しい。

 ただでさえどこまでが本人の主体性かを見極めることが難しいのに、この業界が腐っていることから目を逸らして、「本人の選択だ」と言うことの罪の重さを考えたことがあるのだろうか。
 飲み屋系でも風俗系でも、経営者のほとんどは男だ。「女性が店長なので安心して働けます」などと言う店も、実際のトップは男なのである。どうして身体を売っているのは女なのに、スマホでポチポチ営業するなり、涼しい部屋で金の勘定をするなりしているだけの男が懐を肥やしていることが、当然のようにまかり通っているのか。
 結局は江戸時代の公娼制の時代から何も変わっていない。男が用意した空間で男をよろこばせるために女をあてがう遊郭が繁栄した頃のままなのだ。

 もしこれがこんな構造でなければわたしはここまでこの意見に反対していないと思う。身体を売った本人がいちばん経済的な恩恵を受けなければならない。この論を進めていくと売春を肯定せざるを得ないのだが、売春は売春でまた性病の問題なり身の安全のリスクなりがあるので、これもまた反対している。

 とにかくわたしは、男が資本家として女を搾取する構造さえなくなってくれれば何でもいいのだ。


性産業従事者の実態

 性産業の従事者といえば、ホス狂や整形依存症などがよく挙がるが、実態はそればかりと言うわけでもない。
 わりと「なんとなく」でやっている層もいるということを、実際にこの業界に足を踏み入れてからはじめて知った。

 在籍していたマッサージの店に、いわゆる"ふつう"の女の子がいた。その子はホストクラブにもメンズコンカフェにも行かないし、整形もしたことがない。ただ「若いうちにいっぱい稼いでおいたほうがおトク」と言っていた。先のビジョンといえば「まあ貯金して隠居かな」というぐらいで、べつに贅沢な暮らしをしているわけではない。
 元はソープランドで働いていたのだが、素敵な彼氏との出会いがあって、それでも彼女は女を売る仕事を辞めるつもりはなかったのだが、彼のほうが嫌がったので、マッサージ店で妥協するという話になったらしい。

 ただ「なんとなく」でこの業界を選んでいるからといって、何も考えずにのほほんと生きているわけでもなく、メンヘラとはほど遠い屈託のない笑顔で「うち、早く死にたいねんなあ」と言うのだった。その表情とことばの異様な落差に驚いたことをずっと覚えている。


 ほかにも、地方にある実家の毒親から逃れるために都会に出てきたが、親からしつこく送金をせびられるので、昼職では生活が成り立たないという理由でこの業界を選んでいる子や、私立大学の学費が高すぎて奨学金ではどうにも生活費まではまかなえないぐらいの貧困家庭生まれの子もいた。

 もちろんこういった子たちは多数派ではないと思う。やはりホス狂や整形依存症の子たちもいるし、おそらく全体を見てもこちらのほうが層としては厚いと思う。
 ただ、ホス狂や整形依存症も、機能不全家庭育ちの子たちが多かった。親からうまく愛してもらえなかったというトラウマが強く、自分で自分を肯定してあげることが苦手だから、他者(=ホスト)からの愛をお金で買って外注したり、より美的価値の高い人間になることで自分を好きになる理由を作ろうとしたり、どこか精神的に脆い子たちがほとんどだったのだ。

 あまりにも機能不全家庭が原因でここにいる子たちが多すぎて、これはきっと社会の問題でもあるんだろうな、と思った。
 核家族化がすすみ、かつての地元の相互扶助のようなコミュニティは死んで、子どもにとっての世界が家族と学校だけになった。そして親のほうも、高度に発展した社会からこぼれ落ちる人(いわゆる発達障害や境界知能)や、学歴や資格がないためになかなか定職につけない人、シンプルに物価高でたくさん働かなければならず家を空けることになる人など、親と子が健全な愛着関係を築くことが難しい時代が加速している。

 これからこの社会はどうなっていくのだろう。どんどん経済的に傾いていくこの国に、何度期待して、何度裏切られればよいのだろうか。


性サービス店を利用することの是非

 結論として、性的なサービスを受けられる店に行くことを、完全なる悪だとわたしは言い切れない。
 一部のフェミニズム(?)の派閥では、「買う男がいるから売る女がいる。誰も買わなくなれば誰も売らない」という主張が支持されているが、買う男がいるから売る女がいるのか、売る女がいるから買う男がいるのか、という議論は卵が先か鶏が先かみたいな水掛け論にしかならないし、実際は「女を売らせる男がいるから、男がそれを買う」のではないかとわたしは考えている。
 そして、誰も女を売らなくなった世界が到来しても、どうせまた誰かが女を売りはじめる(男が女を売らせはじめる)ようになるのは目に見えている。

 そして何より、人間の自由をどこまで国家が規制するのか?という話にもなってくる。
 自由というものは、他者の自由を侵害しない範囲でのみ認められる。しかし、すべての人々に職業選択の自由がある以上、この仕事を選ぶこともまた当人の自由であり、それをまっとうしている人たちが提供するサービスを受けることは、他者の自由の侵害に当たらない。従事者と顧客のお互いがそれぞれの自由の権利のもとに行動していて、そこで対等な契約が成立している可能性が1ミリでもあるかぎり、これを規制するのは難しいと思う。


 だからこそ、本人の主体性というものについては深く考えなければならない。
 この業界の求人が「楽してたくさん稼げるよ」という洗脳をしつこくかけることで、「女を売らなければまとまったお金を得られない」という価値観に染まっている子、性被害のトラウマを主体性で上書きするために、「わたしはこの仕事を好きでやっている」と思い込むことを強いられている子、ほんとうに望んでいるものは無条件の愛情なのに、条件つきの愛情で育てられたばかりに「誰かにかまってもらうためにはお金という対価を払わなければならない」という強迫観念を抱えている子など、さまざまなケースがある。

 これらはすべて本人の主体性でも何でもなく、人生における大きな選択を、消去法で選んでこの業界にいるというだけだ。これはとても由々しき事態で、見て見ぬふりをしている場合ではない。
 このことを除外してもなお、性的にはつらつとしている自分が好きだからそれをマネタイズしたいとか、性的なサービスを顧客に与えることにやりがいを感じているとか、そういう子たちだけがこの業界に属するべきで、そうでない子たちは今すぐに救済せねばならない。


 最後に、個人的に飲み屋なりマッサージ屋なりをしていた自分の感想を述べておく。

 わたしは正直なところ、すごくやりがいをもってやっていたし、とても楽しかった。生来の寂しがりなのでコミュニケーションが好きだし、しかもわたしは運よく素敵な顧客に恵まれたので、ほかの子たちに比べればあまり嫌な思いをしなかったほうではあると思う。
 とはいえ、これをやらずに済んだ人生であればそれに越したことはないとも思っている。嫌なことがまったくなかったわけでもないし、ミサンドリーはまちがいなく加速した。おまえらはオチンポぐらい隠して生きろよ、と思うことが日常生活において多すぎる。うっすらとすべての男が嫌いだ。
 そして、どこまでがトラウマの再演かつ親から得られなかった承認を顧客から回収していただけで、どこからが自らの主体性だったのかは今でも区別がつけられていない。

 だから、「迷ってるんですけど……」という相談を受けるときは、いつも引き留めるようにしている。
 たしかにある程度のお金は手に入る。だけど、そこで失ったものはお金では取り返せない。それでも、どうしてもお金が必要な場面はあるだろうし、その額が到底すっと払えそうにないのであれば、この業界を選んでしまうこともあるだろう。もしこれを読んでいるあなたがそうだったとして、わたしは「やめとけ」と言うことはできるが、実際のあなたを救ってあげられるわけではないので、最後はあなたが決めることだから、わたしは「どうかご無事で」と願うことしかできない。
 現状は福祉が不十分なので、こればかりはほんとうにどうしようもない。われわれは綺麗事だけでは生きていけない。何の役にも立たない綺麗事なんかよりも、今すぐ食料を買えるお金のほうがよっぽど大事だ。

 ただ、そこで忘れないでほしいのは、現状この業界は男が女を搾取して金を生んでいて、それに気づかせないためのことばをもって洗脳してくるということだ。
 どうか、一人でもこの世界に足を踏み入れないで済む子たちが多くあることを祈っているし、どうしても踏み入れざるを得ない子たちはなるべく安全に働けることを祈っている。


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