ママが怒らないなら何でもよかった
母親にかんする記憶といえば、鬼の形相で怒鳴っているか、もしくは平常時からやや高めの声をさらに高くして笑っているかの二択で、幼い頃からわたしは母親の二面性がとても怖くてたまらなかった。
今日は怒鳴る日か笑う日かというのは、リビングから聴こえる足音の重さでおおむね判断できた。ドアを閉める音も同じくらい役に立つ判断材料だった。
そういう日はいつもより"いい子"にしなくてはならない。ママが都会の本屋で買ってきたむずかしい算数の問題集を決められたページまで終わらせる。それが終わったらZ会の理科のテキスト、そのつぎは社会の一問一答。
ママから指定された課題をつぎからつぎへとこなしているうちに日が暮れて、今日もクラスのちいちゃんとななちゃんと遊べなかったな、と思う。
だけど、ママが怒らないなら何でもよかったし、ママが喜んでくれるならもっと何でもよかった。
ママはわたしが漢検や英検に合格すると、飛び上がってよろこんだ。あこがれのメゾピアノのお洋服をごほうびに買ってくれた。わたしはメゾピアノももちろんうれしかったけど、ママがうれしそうにしているのがいちばんうれしかった。お友達と遊ぶのをがまんして勉強をするのはつらいけど、うれしそうなママを見ると、また来年もがんばろうと思えるのだった。
わたしが勉強をサボると、ママはわたしの頭をどついたりひっぱたいたりしながら、近所迷惑もかまわず怒り叫んだ。あんたなんかうちの子じゃないと言われて、じゃあもう出ていきますと言って家を出たけど、すぐに担任の先生にバレて家まで連れ戻された。ママはこれまでに見たこともないくらいのよそ行きの顔で先生に謝っていた。そして、先生が帰るとわたしの髪をひっぱって、わたしを玄関になぎ倒した。どんだけお母さんに恥をかかせたら気が済むねん、と叫んだ。おまえがうちの子じゃないって言うからやろ、とは言い返さなかった。もっと殴られるよりは、がまんするほうがましだった。
だけど、ママは悪いだけのママではなかった。小学生の頃に2回だけユニバに連れて行ってくれたことがある。ママは乗り物が苦手だから、パレードを見てごはんを食べて帰るだけだったけど、すごくたのしかった。
その反面で、ママは"いい"ママを演じるのが気持ちいいんだろうな、と冷めた気持ちもあった。素直な気持ちでよろこべなかったことをいまでも覚えている。
そんなこんなで小中高を卒業して、一浪で芸術大学に進学した。関西の旧帝大に行かせるために、わたしの勉強に人生のほとんどのリソースを割いてきたママを説得するのは不可能だったので、パパを味方につけて芸術大学を受けた。
パパは、わたしを殴りながら勉強させるママをどうにかしたいと思っていたけど、結局何もしなかったことを悔やんでいて、ワシがおまえにできる罪滅ぼしはこれぐらいしかないんや、と事あるごとに言う。
大学が遠すぎることを口実に、ママから離れるために実家を出た。パパはわたしに罪滅ぼしをしなければいけないから、保証人になってくれたり、レンタカーの軽トラで荷物を運んだりしてくれた。
わたしはいよいよ自由になれた。ずっと願っていた誰にも怒られない暮らしがはじまって、毎日がウキウキだった。
だけど、これまで自由な暮らしをしたことがなかったので、何をすればいいのかがまったくわからない。とりあえず、大学の人たちがあまりにもおもしろくなさすぎて退屈だったためにインストールしたマッチングアプリで、たくさんの男の人に会った。付き合ったり別れたり付き合わなかったりして、寂しくならないようにした。
ふと、どうしてわたしってこんなに寂しいんだろうと思ったことがあった。人より性欲がおかしいんかなあ、とも思ったけど、そういえばべつにセックスってそんなに好きじゃなくて、ただ誰でもいいから誰かがそばにいてくれたらいいだけだった。セックスはそのための手段だった。
自分の家庭がいわゆる機能不全だということは、浪人生のときにいろいろ調べたり、友達と話をする中で気づいていた。自分はアダルトチルドレンのヒーローというものに分類されそうな性格をしていて、インナーチャイルドというものがあるということも知っていた。
インナーチャイルドを癒す、みたいなタイトルの本を買って読んでみた。本にならって瞑想っぽいことをしているうちに、寂しいという感情が洪水みたいにどかどかと流れてきて、息ができないぐらいに泣くはめになったので、途中で読むのをやめた。この本は今でも最後まで読んでいない。わたしはブックカバーをつけない主義だけど、この本だけはもう何も思い出せないようにブックカバーをかけて、部屋のどこかの段ボールの底にしまっている。
いつだったかは思い出せないけど、とんでもないことに気づいてしまった日があった。わたしは、ママから得られなかった無条件の愛情を回収するために、まるでその人を愛しているようなそぶりで男の人に近づいて、この人からはそれが得られないとわかったら、嫌われる前に嫌っておくことでこころを守って、依存先を転々としているだけだった。
なんということだ。わたしは自分のことを恋多きふしだらな女だと思っていたけど、こんなのぜんぜん恋なんて素敵なものではなくて、自己肯定感を満たすことを外注しているだけじゃないか。
ふくれあがった自己愛に自己肯定感が追いつかないことに苦しんでいて、だけど自己肯定感を上げるための努力が何を指すのかがわからないから、若い女という価値を差し出して、お手軽に満たされようとしていただけだったんだ。
これではいけない。いけないけど、いけないのはわかったけど、じゃあどうすればいいんだ。もう誰とも関わらなければいいのか? だけどこれはメンヘラがよく抱えがちな二極思考だという自覚はある。何ごとも宙ぶらりんでいることがいちばん難しい。白黒はっきりさせるのは楽だ。だけど、世界のすべては二択でできているわけではないし、グラデーションの中にうまく溶け込んでいかないと、いつまで経っても生きづらいままだ。それはわかる。
どうしたらいいんだろう。今でもよくわかっていない。とりあえず手当たり次第に男の人の家を転々とするのはやめられたし、ちゃんと自分の家に毎日帰ることは昔よりはできるようになったけど、できるようになっただけで、常にうっすら寂しいことには変わりない。
喉から手が出るほどに理解のある彼くんのようなメシアを望んでいて、だけどそれが叶いそうにもなくてインターネットで大暴れしている人たちには大変に申し訳ないのだけど、わたしには理解のあるパートナーがいるとはいえ、自分の中の何かが劇的に変わったわけではない。ただ、とめどなくあふれ出す寂しいという感情の出口に蓋をすることができるようになっただけで(それ自体はすごく素晴らしいことだし、パートナーにはとても感謝しているけど)、子供じみた寂しさを持てあましていることについては、ずっと変わらないのだ。
あと3年で30歳になるのに、ずっと子供みたいに寂しい。小学生の頃は「まうちゃんは大人みたいやなあ」とよく言われたけど、これはべつにわたしが大人だったのではなくて、子供らしくいることを許されていなかったから、そういう態度でいただけだ。いざ大人になってみたら、あのとき置いてきぼりにされた子供らしさが、ずっとずっとわたしのこころの奥でワンワン泣いている。大人になって、それを聞こえないふりができるようになっただけで、何も解決はしていない。
そして、どれだけパートナーやお友達がわたしのそばにいて味方でいてくれても、あのとき欲しかったママからの絶対の承認にはかなわない。条件つきの愛情で育ったので、みんなに「愛されるだけの条件」を振りまく癖があって、すぐに自己犠牲に走る。
そのわりに、こんなにわたしはわたしを犠牲にしたのに、おまえはその見返りとしての愛をくれるわけじゃないんだな、と勝手に愛想を尽かす。わたしの承認ゲームに巻き込まれるほうからすれば、たまったものじゃないよな。
わたしの人生って、愛のように見せかけた承認ゲームをしているうちに終わっていくのかな。自分で自分を愛することができないということに気づいてからもう何年も経つけど、ずっとその場で足踏みをしていて、ちっとも前に進んでいないな。
今後、若い女という価値を失うことは決まっていて、そうなると承認ゲームへの参加すらもままならない。きっと、子供じみた寂しさをいつまで経っても持てあます、孤独なババアになるんだろうな。
ママに愛されたかっただけなのにな。ただそれだけのことなのに、それだけのことが叶わなくて、ずっと苦しい。いまさらどうしようもないのにね。
♥𝓫𝓲𝓰 𝓵𝓸𝓿𝓮♥ をください♡ なぜなら文章でごはんを食べたいので♡