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オヤノミカタマガジン

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予測不能な社会に生きるわたしたち。過去の経験が通用するか分からない時代に、わたしたちはこどもに何を伝えられるのでしょう。価値観の多様性が認められる世の中で、どんな役割を果たせばい…
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#パパの子育て

本当に導かれているのは、わたしたち大人のほうかもしれない。

本当に導かれているのは、わたしたち大人のほうかもしれない。

なぜだろう?

以前のわたしは、誰に言われた訳でもないのに、「努力しなきゃダメ」、「怠けちゃダメ」、「打ち込まなきゃダメ」、そう思って生きていたように思う。

「今を楽しむ」という考え方になかなかならなくて、いつも、「成し遂げるため」、「達成するため」、そんな風に考えて行動していた。

若い頃からそう。

たとえば、スキー場に遊びに行っても、スキーを楽しむよりスキーの上達が目的になっている、とか。

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面倒くさがらないだけで、子どもの学びは勝手に?深まる。

面倒くさがらないだけで、子どもの学びは勝手に?深まる。

子どもが興味を持ったことに対して邪魔をしないだけで、その子の学びって深まっていくのだろうなと思う。

「子どもの興味を応援こそしても、邪魔なんてしないよ」

と思うかもしれないけど、無意識に邪魔しているケースってある。たとえば、お絵描きに夢中になってるのを中断させてご飯を食べさせるとか。
何度もなんども同じ絵本を読みたいのに、違う絵本を読んだほうがいいと思って「ちがうのにしなよ」と言ったり。

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子どもに求めてしまうこと

子どもに求めてしまうこと

昨日の投稿に、オヤノミカタの松井さんからこんなコメントをもらいました。

そこから、子どもに求めるってどんなことなんだろうと色々と考えさせられました。

2種類の子どもに求めること子どもに何かを求めるとき、「純粋に子どものため」と「実は親自身のため」の2つがあるんじゃないかと思っています。

「実は親のため」に子どもに何かを求めるって、間違ったことのようですが、別にそうではなくてそういうことってた

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「いーれーて!」と言われたらどうする?

「いーれーて!」と言われたらどうする?

「いーれーて」
「やだよー。いま2人で遊んでいるんだから」
「ぼくだって、一緒に遊びたいよ。えーん、えーん」

今夜読んであげた絵本にこんなシーン。
断られた子は泣き出してしまいます。それを見た断った子が「いじわるして、ゴメンね」と仲間に入れてあげます。

「みんなで遊ぶと、楽しいね」

そう言って絵本は終わっていきます。

2人だけで遊びたいと言う気持ち別に、この絵本に物申すわけではないのだけど

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娘と一緒に死について考える。

娘と一緒に死について考える。

きっかけは、娘と見ていたアニメのセリフだった。

「人生はあっという間」というようなセリフ。
「”じんせい”ってなに?」と娘がぼくに聞いてきた。

「人が産まれてから、死ぬまでのことだよ」
「みんな死ぬの?」
「そうだね、みんな死ぬね」
「死ぬってなに?」

死ぬってなに? そう聞かれて少し答えにつまった。4歳児にもわかるように答えるにはなんと言えばいいのだろうか。

もう二度と動かなくなること?

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「褒める」も、使い方しだいで毒になる。

「褒める」も、使い方しだいで毒になる。

「褒める」も、使い方しだいで毒になる。

昔、読んだ育児書に、そういうことが書いてあった。

「褒める」には「親が子をコントロールしたい」という意図が少なからず含まれる、と。

確かに、「外で元気に遊んでえらいねー」や「本をたくさん読んですごいねー」とは言うけど、「ゲームたくさんしてえらいねー」や「漫画たくさん読んですごいねー」とは、普通、言わない。

知らず知らず、自分の望む方向に誘導していると

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