オブラートに包まない努力をしろ
あなたは人に自分の言いたいことを言えていますか?
これは礼儀や作法という話ではなく、あなたの心持ちのことです。
日本は元々自分の思っていることは遠回しに言ったり、直接言わない美学的な文化があるので、直接的な発言をする人は少ない方です。
例えば会社の上司が仲の良い同僚の名前をずっと間違えて読んでいたら、あなたはどちらの行動をとりますか?
1 何も言わない
2 名前が間違えていると言う
多分、多くのケースで2と答える方が多いと思いますし、そうするのが大人というものだ、とこの国では教えられています。
しかし、果たしてそれは本当に正しいのでしょうか?
この際どの対応が大人じゃ子供じゃの議論は置いておいて、どちらの対応を取る方が相手のため、そして自分のためになるのかということを考えていくと、実は自分の考えていることや思っていることはオブラートに包まない方が色々「トク」があることがわかります。
だからオブラートに包まない努力はとても大切です。
今日は心理学を10年間やってきた僕が経験してきた過去やなぜオブラートに包まない努力をするように考えるのか、ということについて僭越ながらお話ししていきます。
心理学歴10年、まひろです。
僕の記事では心理学を10年間勉強することによってわかった、人間の本質的な行動原理である「自然の法則」を元にビジネスメソッドの発信をしています。
要するにまひろは心理学の知識を使ってビジネスのやり方を発信している者です。
最初に言うと、まひろ(筆者)は相手が誰でも言葉はオブラートに包みません。もちろん礼儀や感謝や挨拶などはまた別の話なので、そう言ったことはきちんとすべきです。
それは普段からまひろの記事を読んでくださっている方はご存知かと思います。
と言う感じで、今のところ普通に聞いたらただの生意気なやつに聞こえますが、あなたもこの記事を読み終える頃にはきっと何か思うことがあれば良いなと、そう思って今からお話をしていこうかなと思います。
僕は小さい時からそうなのですが直接的な発言を人よりとても多く使う人間でした。悪く言えばオブラートに包まないデリカシーのないやつ。良く言えば裏表がなく着飾らないやつ。
しかし、だんだん大きくなるにつれ、いろんな大人を見てお世辞や社交辞令を覚え、やがて自分と同じ言葉を使っていても相手にとっては違う意味のこともあるんだなって僕は気づきました。
例えば良く自分と他人の言葉のニュアンスが違うなと感じたのは「どっちでも良いよ」と言う言葉です。
過半数の日本人の「どっちでも良いよ」は全然どっちでもよくないですよね(笑)
「どっちのケーキが良い?」
「うーん、どっちでも良いよ」
「じゃ、こっちにするわ」
「え、あ、うん…」
みたいに、もう全然僕が質問をする前に自分の中でどっちにするか、明らかに決めていましたよね。
もちろん「どっちでも良いよ」と言われた側からすれば「いや知らんがな」の一言で終わらせることもできるのですが、それでもそう言わずに相手を思いやれるのがのが日本人の優しさであり、良いところでもあると思いもします。
まあしかし日本人の「どっちでも良いよ」を英訳する時は「i like this」が正しいと思うのですが(笑)、まだ幼かった時は本当にどっちでも良いと本気でまひろは思っていました。
それから僕は、相手が何を考えて自分と話してくれているのか、相手の発言の真意はなんなのかということが気になって仕方なくなりました。特に日本人は直接的な言葉は嫌い遠回しに間接的に物事を伝えますよね、だから尚更気に。
それで僕は心理学に興味が湧き、今となっては本来の目的を忘れてビジネスに使っている典型的な目的の分散人間なのですが。
気になったというよりあの時は意識過剰で、自分のことを直接褒められても本当はどう思ってるかわからない、だから人と話すことがちょっと苦手だったりしました。
ですがある時他人は自分が思っている以上に自分のことを意識していないって言うことが心理学を勉強していたおかげで段々わかるようになりました。
例えば、今日は何回ため息をついたか、みたいな印象の少ない記憶は人間は1日も持ちません。ましてや昨日や一昨日の晩御飯すら覚えていない人がほとんどです。
そして大体の人はもっと印象の低い他人のことなんて、当然そんなに意識していないし記憶もすぐ消えてしまいます。
だから多くのケースで、他人は自分が思っているよりもあまり何も気にしていません。
そしてもっと心理学を勉強していくと、お世辞や真意で話していない人は簡単に見分けれるようになりました。
それである時、僕はこういうことに気づいたんです。
お世辞や本音で普段は話さない人も、自分がまずは心を開くと相手も開いてくれる。
それを実感したのは、まだまひろの髪の毛が金髪だった大学生の時です。
僕はアニメが大好きなので大学生時代の友達もアニメやゲームが好きなtheオタクって感じの人達の友達が多いのですが、入学した時僕は金髪で服も柄シャツを着ていたので、よく避けられていました。
嫌悪感と言うのでしょうか、自分で言うのもなんですが多分僕は避けられていました(笑)
教授に「グループを組んで」と言われた時も、必ず最後に残った者同士でしたし…
まあだから大学生時代の最初はずいぶん孤独でしたよ。同じ高校から来た人もいないし、仲良い人が一人もいないし。
しかし僕はそこで、決して彼らに嫌悪感を抱くことはしませんでした。そしてあることを意識して彼らに接してみると、めちゃくちゃすんなり仲良くなれたんですよね。
何をしたのかと言うと、別に魔法やエスパーを使っただけではなく、物腰低く話しかけるわけでもなく、相手に気を使いながら話しかけるわけではなく
普通に相手の嫌悪感を無視して素の自分で話しかけ、オブラートに包まない努力をしたのです。
例えば、その当時にやっていたアニメはもう覚えていないのですが、最近のアニメで説明するなら
「五等分の花嫁見てる?誰が好き?」
って。そうすると大体相手は
「見てるよ、一花かな。」
「え、一花かわいいよな、でもさ二乃も後半めっちゃ追い上げてくるよな!」
「わかる〜!めっちゃかわいい!」
こんな感じで今まで避けられていたなんて忘れるぐらいに、一気に仲良くなれます。
普通に考えると今まで避けられていたのに話しかけるなんて変だと思うかもしれませんが、そこで変に避けられてるとか意識するとその不安は相手にも伝染することを、心理学を勉強していた僕は知っていました。
後アニヲタは大体良い奴が多いですから、打ち解ければすぐに仲良くなれます。
そしてそこでもう一つ気づいたことを挙げるとすると、お世辞や上部だけの人間の知り合いがいれば、そう言う人があなたの周りにもっと集まってきます。
もう一度聞きますが、あなたの仲の良い同僚が先輩または上司に会議でずっと名前を呼び間違えられています。あなたは次のうちの選択のどれを選びますか?
1 何も言わない
2 名前が間違えていると言う
当然ここまでこの記事を読んでくださったら答えが2だと言うことぐらいわかりますよね。でも1って答えたい気持ち少しありませんか?
しかし、それがさっきも言った不安や嫌悪感なんです。その感情は相手に伝染するし、違和感だと感じ取られるのです。
実際あなたが先輩や上司の立場だったら、先輩や部下の名前の言い間違いの指摘をされたぐらいでムカつきますか?
多分そんなことでは何も感じ方が多いと思います。「あ、間違えちった」ぐらいで済む、寛容な方がほとんどだと思います。
そして2の行動をとって怒るような人間とは縁を切ればいいのです。そんな小さな自分のミスを受け止めきれないような人間と一緒にいることは、長い目で見て必ずあなた自身の損に繋がりますから。
それはなぜかと言うと、さっきも言いましたが、そんな人に構っているとあなたの周りが自然とそういう人で固まっていくからです。
無駄な気を使われて、自分を持ち上げてくれて、どんな時でも自分を肯定してくれるのが好きな人の周りには、絶対自分に気を使ってくれる人だけが残ります。そしてその周りの人間達もそれが段々当たり前だと錯覚を起こしていき、同じような連鎖を生んでいきます。
もちろん一度のミスでそんなことはおこりません。ただ本当のことを言えない・オブラートに包んでしまう、こんな習慣を繰り返していれば自ずと、あなた自身の周りの人間関係もそうなっていきます。
でもはっきり言ってそんなの、めっっっっっっっちゃくちゃくだらない人生だと思いませんか?
なぜなら逆に言えば、あなたが自分の心に正直に生きていると自然と、あなたの周りはそういう人で固められていくということだからです。だから僕は日頃から、自分が正しいと思ったことや言うべきことはオブラートに包まないようにしています。
この事実を聞いて
あなたは上司や先輩を無理に持ち上げるのが良いか
自分が正しい・言うべきだと思ったことを直接伝える方が良いか
どちらの方が良いと感じましたか?
確かに日本では前者(目上の人間を持ち上げる)ことを大人の対応だと評価する人が多いです。
しかし、こう言う体験をしてきた僕は、そんなものは周りの環境や社会に押しつぶされて、自分の考えを見失ってしまったor妥協することになれてしまった人間がすることだと僕は思っています。
相手がこうしてきたのだから、自分もこうして良いのだと。
そして多分ここまで僕がお話ししてきたことを理解されたのなら、後者の方が圧倒的に多い、と思います。そう思いたいな…(笑)
でもね、どうしてもこの世界は「自分は自分、他人は他人」という構図が成り立った上で成立しているので、いくら今日まひろのお話を聞いてくださって良いなと思ったあなたが明日から自分が着飾らず裏表なく相手に接したとしても、必ずしも相手がそうなる。とは言い切れません。
例えば、自分の仲の良い同僚が上司に名前を呼び間違えられたことを指摘したとしても、他の人がそうするかと言うと絶対そうなるとは言い切れません。
そして自分がその間違えを指摘して、相手が不快にならない可能性も100%ではありません。
だからあなたが例えどれだけ自分に正直に生きたとしても、それを否定する人間は絶対います。それが上で書いた、自分を持ち上げられて肯定されて地位を確率してくれないと生きていけない、くだらない腐ったナメクジ人間です。
こればっかりは仕方がない、この世界はそうやって成り立っているのですから。否定をしても文句を言っても仕方がないことです。
でも相手がこうしているから、自分もこうする。なんて考え方はそれこそ子供の意見だとは思いませんか?
だから確かに否定をする人間も必ずいるのですが、その逆でそんな正面から自分に向き合ってくれる、あなたを絶対に受け入れてくれる人間も、この世には必ず存在しています。
そしてこれはまひろの感覚ですが、そういう人達は意外と少なくはないんですよね。
だから自分が考えていることや思っていることって、実はオブラートに包まずに相手に伝えた方がいろんな「トク(徳・特・得)」があるんですよね。
これが心理学を通して、人と付き合ってきたまひろが見つけたお得に人生を生きる、ちょっとした豆知識です。
本日の雑談「夜を散歩して」
みなさん運動はされていますか?
以前こんな記事でも書いたのですが
運動は最強の集中力回復術です。
だから運動は仕事や健康面から見てもめちゃくちゃ良いのですが、実際運動なんてする機会なかなかないですよね。
休日にフットサルとか行くとかできるけど、そんなするぐらいならアニメ見たいし…
そんなあなたにオススメなのが、深夜の散歩です。
これはまひろが本気で何かを考えたい時や気分でやるのですが、深夜の散歩は超オススメですよ。あんまりオススメしませんが、徹夜で仕事をするなんて時も15~30分外を歩くだけで集中力はめちゃくちゃ上がります。
瞑想だと深夜では寝てしまうのでね(笑)
夜の散歩って結構楽しんですよね。車も通らないし、街灯しか明かりがついていないし、月は綺麗し、それにめちゃくちゃ静かだから精神的にもかなり落ち着きますよ。別にいつも荒ぶっているわけではありませんが(笑)
ただ今の時代YouTubeとかこのnoteとか、スマホやテレビやPCを通して人は莫大な量の情報を日々処理し続けるようになりましたよね。仕事でパソコンを使って、プライベートでYouTubeを見て、noteを見て、みたいに。
それも楽しいので良いと思うのですが、たまには夜道を散歩して月や景色を見て、スマホやテレビの人工的な情報ではなく、自然を取り入れてみるのも風情があっていいのではないでしょうか。
てな感じで、僕は深夜の街を徘徊するのが習慣です。
それでは、あなたの人生がより豊かになるようにまひろは心の底から応援しています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
もらったら社会貢献のためにユニセフに募金します。 ※こいつは嘘をついています。募金せずに帰り道でコンビニに寄ってたばこ買うに違いありません。