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唐仁原昌子
2024年5月19日 22:00
授業中、教科書とノートを自分の座る席の机上に広げる。 そこは私にとって、五十分を過ごすにはあまりに狭い世界なので、私はときどきノートの「なか」に救いを求める。 授業がつまらないなとか、教室を出てどこかに行きたいなと思うたびに、ノートの最後のページにさかなの落書きをすることにしたのは高校一年生の頃だ。 本当に、「つまらないな」と口に出して言ったり、どこかに行ったりしてはいけないというこ
2024年5月12日 22:28
寝ぼけたまま、まともに目も開けずに手探りで窓を開ける。 ぶわりとカーテンが広がって、部屋の中に渦巻いていた灰色の空気が一気にかき回される。 昨日、五年付き合った人と別れた。 おしゃれで聡明な人だったけど、いつも難しい顔をしているから、それを和まそうと私はいつも一生懸命だった。「元気なところが好きだよ」と言われて、素直に嬉しかった。だから私はいつも元気でいた。いつも元気でいたくて、い
2024年5月5日 23:52
昨夜、俺は結構酒に酔っていた。 職場の付き合いで行った飲み会で、日頃の仕事の話に始まり、休日の過ごし方へ話題は移行する。 元々プライベートと仕事は分けたいタイプだし、恋人の有無や家族の話になる頃、俺はすっかり疲れていた。 早く帰りたいなあ。 まあ帰ったところで、上司や先輩のようにそこに待つ人がいるわけではないけれども。 それでも俺にとっては、俺の好きなものだけを集めた、唯一無二の
2024年4月28日 23:11
じわりと夜が滲むような、春の夕暮れで満たされた廊下を、ものも言わずに歩いていく。 そんなミオの背中を、私も同じく黙ったまま追いかける。決してミオのためではない。私は、たぶん私のために彼女を追いかけている。 部活の後、ミオは確かに泣いていた。 ロッカールームに忘れ物をしたことに気がついて戻ったとき、私はそれをみてしまった。 一年の頃から同じクラスで、同じグループで楽しくやってきたけれ
2024年4月21日 20:59
「中島ちゃーん。次の数学の課題、終わってたりしない?」 休み時間になると、青木さんが声をかけてきた。 終わってたりしない?なんて聞いておきながら、彼女は私が課題を終わらせていることを、ほぼ確信して聞いてきている。多分。「あ…うん、終わってるよ」「よかった!ごめんだけど、お願い!見せて!」 手のひらを合わせて、ごめんのポーズをしながら、大して悪びれた様子もなくそんなことを言う。まあ
2024年4月14日 23:49
ガラリと木の引き戸を開け、見慣れた玄関を通って部屋にあがる。 入ってすぐの畳の部屋にあるお仏壇、懐かしい気持ちになるお線香の香り。 じゃらりと音の鳴る、木製のビーズでできたカーテンをくぐるとリビングがあって、その向こうにあるソファには、いつだってまあるい背中が見える。「…こんにちはー」「あら、初めまして」「わあどうもー。初めまして」「お隣さんでしたっけ?」「あ、そうそう。先日引
2024年4月7日 22:39
「 ──いや、マジで。本当に私のママうるさくって」「ウケる。それで門限十七時になったの」「そう。ヤバすぎるでしょ。そもそも部活終わったら十八時前なのに、十七時門限とかどういうことなの」「もう時空を超えて帰ってこいってことじゃないの」 何かあったよね、そういう話。何それ、聞いたことないけど。え、知らない?嘘だあ、待って調べるから。 駅構内、チェーン展開されているカフェにて。隣の席の女子
2024年3月31日 19:35
三月の終わり、ぬるい春の日。 私は、今か今かと時計を見つめる。 ジリジリと進む秒針が、私の視線の熱で溶けて出す…なんてつまらない妄想をしながら、時が過ぎるのをじっと待つ。 しばらくして、待ち焦がれたチャイムが鳴る。教壇で先生が何かを言う。それを聞いたクラスメイトたちがどっと笑う。 いつもの空気、いつもの教室。 掃除のために机を動かす音、椅子を引いて立ち上がる音。誰かの笑い声に、
2024年3月24日 23:06
どうして、みんなそんなに「他人」のことに興味があるのだろう。 これまでにも何度となく思ってきたことを、カフェオレの入ったマグカップを片手にしみじみと思う。 テレビでは、芸能人の不倫関係がどうとか、政治家の汚職問題がどうとか、朝からずっと垂れ流されている。 私は、画面の中でやけに熱っぽく語るアナウンサーを、もう冷めてしまったトーストを齧りながらぼんやりと眺める。あ、このストロベリージャ
2024年3月17日 20:06
「ねえ」 沈黙を破ったのは、やはりミオだった。「冬のすきなもの、挙げっこしようよ」「…冬の好きなもの?」 あまりに唐突で、聞き返してしまう。「うん。私、石油ストーブが点いたときの匂いが冬っぽくてすきなんだよね」「ふうん」 石油ストーブが身近にないから、そんな匂いはしばらく嗅いでないなと、コンクリートの階段に座り、剥げかけた赤いマニキュアを見ながら思う。「後は…コンビニで買
2024年3月10日 23:36
深夜二時、スマホの画面がぼうっと光る。 日曜日の夜中に、こんな時間まで起きているやつなんて、私には一人しか心当たりがない。 光った画面には、想像した通りカオリの名前が眩しく示されている。ベッドに寝転んだまま、スマホを手に取り通話ボタンをタップして応じてあげることにした。「…なにー?」「お、やっぱり起きてた」 夜の隅っこで、だらだら睡魔を待っていた私を知ってか知らずか、声の主は嬉し
2024年3月3日 23:51
駅前の商店街の外れに、小さなタバコ屋があることを、この街の人はどれくらい知っているのだろうか。 今どきタバコなんて、コンビニや自動販売機で買う人の方が多い。 僕の家から駅に行くにはその店の前を必ず通ることになるので、図らずもずっとその変遷を見守るようになっていたが、これまでにそのタバコ屋で買い物をする人は、数回しか見たことがなかった。 何となく曇ったガラスのショーケースの上に、受け渡
2024年2月25日 20:30
絵を描くことがすきだ。 別に、特別に上手いわけではない。そんなの自分が一番わかっている。 それでも私は、絵を描くことがすきだ。 思っていることを伝えるのは、いくつになっても難しいけれど、いまの気持ちを色で示すことはできる気がする。 考えていることを問われるのは、昔から変わらず苦手なままだけれど、描きたいものをそのままキャンバスに表すことならできる気がする。 絵は、正解がないからす
2024年2月18日 21:21
夕暮れの美術室に、彼女はいた。 一人で鼻歌を歌いながら、全身で大きめのキャンバスに向かっているその背中は、普段教室で見る姿よりもずっと眩しかった。 その日、俺が美術室にペンケースを忘れたことに気づいたのは、放課後になってからだった。 五、六時間目の美術の移動で美術室に持って行き、そのまま置き忘れて教室に戻った。 帰宅前、とあるプリントを職員室へ提出することを思い出したときに、同時