【ショートショート】 表面張力
十年以上も別々な人生を生きてきた、いろんな人間がごちゃ混ぜに存在する学校みたいな環境だと、どうしても「いじる人間」と「いじられる人間」が生まれる。
俺たちのクラスも、例に漏れずしっかりその「病」にかかっていて、俺はどちらかいうと「いじられる側」の人間だった。
昔からそうだったから、そういうものだと思っていたし、自分としてはさほど違和感はなかった。
だからこそ、俺を「いじる人間」がずいぶん増えたということに、気がつくのが遅くなったのかもしれない。
その日も、放課後の俺が席を外したタイミングで、声のでかいクラスメイト数人が、俺のノートを勝手に机から出して覗いたり、わざわざ声に出して読み上げたりと騒いでいたらしい。
らしいなんてつけたのは、それらを俺が直接見たわけではないからである。
俺が用事を済ませて教室に戻ると、残っている人が多いわりに、妙に教室中が静かだった。俺は、何だかおかしいなと思いながら、自分の席につく。
するとその瞬間、俺の後ろの席にいる岡野が声をあげた。
「ほら、早く言えよ。本人にちゃんと、謝れよ」
「え?」
席が近くなってから、かなり仲良くなったものの、いつも温和でこんな怖い声を出す岡野を知らない俺は、思わずその声に振り返る。
岡野は、俺を見てはいなかった。
その視線の先には、普段騒がしいクラスメイト数名がバツの悪そうな顔をして立っている。イライラとした口調で、岡野は続ける。
「何事にも、限度ってもんがあるだろ。見てて気分悪いんだよ」
謝れよ。もう一度岡野がそういうと、立っていたクラスメイトたちは口々に「やりすぎた」とか「悪かった」と俺に頭を下げた。
事態が飲み込めないまま俺は、へらりと笑って「まあまあ」と言う。
不服そうにしていた彼らは、そんな俺を見て何となく安堵の表情を浮かべ「じゃあな」「またな」なんて言いながら、カバンを持って教室を出て行く。
俺たちの様子を遠巻きに見ていた他の面々が、またざわざわと話し始め、教室の空気がホッとゆるむのを感じた。
あっという間に、「いつもの放課後」が舞い戻ってくる様子を横目で見ながら、岡野はカチカチとシャーペンをノックする。
一体何があったのかいまだによくわからないまま、とりあえずで帰り支度を始める俺に、岡野はふうとため息をついて、ようやく状況を説明してくれた。
要は俺が不在の間、俺の持ち物をいじっていたずらしていた奴らが、ついに俺の教科書やノートに落書きをしようとしたらしい。見かねて岡野が止めたところに、俺が帰ってきたということだった。
「ずっとどうなんだろうって見てたけど、さすがに超えちゃいけないラインってあるだろ」
岡野は、今日中に提出しなければいけない課題の続きをしながら、そう言った。
確かに最近、いじり方が雑になってきたなとは思っていたけど、自分の問題なのにそこまで他の人にさせてしまって申し訳ない気持ちになる。
「何か、ごめん」
「何でお前が謝るの」
「言いにくいことを言わせたなと思って」
「僕は、自分が見ているだけという状況に、ただ耐えられなかっただけだ」
相変わらず、手元の課題から目をあげることなく、岡野はそう答える。
「……岡野も怒ることあるんだな」
そう呟く俺に、手を止めて一点を見つめながら、岡野は呆れたように言った。
「怒らない人なんていないだろ。みんな怒るのが下手だったり、我慢するのが上手かったりするだけで」
それでいうと、僕は前者でお前は後者だな。そう言うと、タンと一回音を立てて机上でシャーペンの芯を押し込み、岡野は立ち上がった。
「よしできた。僕、駅前の鯛焼き食いたい気分なんだけど、一緒にどう」
さらっとそんなことを言ってのける友人に、俺はただ咄嗟に「いいね」とだけ返事をして、急いでカバンを持った。
(1556文字)
=自分用メモ=
今回の起点は「みんな怒るのが下手だったり、我慢するのが上手かったりするだけで、怒らない人はいない」というセリフ。
無自覚な「いじめ」の入り口は、そこここに転がっている。危害を加えている本人も、何なら加えられている側の本人すらも気づかない間に、沼地の奥へ進んで行ってしまうような日常は、本当に身近にある。いろんな「瀬戸際」が、人生には織り込まれている。
本人が、自分自身が、第三者の誰かが、そういう場面で一石を投じることで、いろんな瀬戸際を食い止められたら……という願いも込めて書いた。
感想等は「こちら」から。
全てありがたく、真剣に目を通させていただきます。
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