北海学園Ⅰ部新聞会

北海学園大学の公認メディアサークル『Ⅰ部新聞会』です。学生の皆様に役立つ情報や、学園生…

北海学園Ⅰ部新聞会

北海学園大学の公認メディアサークル『Ⅰ部新聞会』です。学生の皆様に役立つ情報や、学園生がどの様なことに取り組んでいるかを取材し、報じていきます。

記事一覧

【硬式野球】3試合連続ホームラン 開幕3連勝を飾る

令和6年度札幌学生野球連盟春季1部リーグ 5月2日 第1節第3試合 北海学園大学 ― 東海大札幌キャンパス 【スタメン】 北海学園大学 1(三)森 晴斗    (…

【硬式野球】開幕2連勝!最速155キロ右腕工藤が5回7奪三振の好投

令和6年度札幌学生野球連盟春季1部リーグ 4月30日 第1節第2試合 北海学園大学 ― 札幌大学 【スタメン】 北海学園大学 1(三)森 晴斗(④・法・知内) 2(二)杉林…

春季リーグ開幕!初戦を白星で飾る!

令和6年度札幌学生野球連盟春季1部リーグ 4月29日 第1節第1試合 北海学園大学 ― 札幌大谷大学 【スタメン】 北海学園大学 1(三)森 晴斗(④・法・知内) 2(二…

学生が運営するインターンシップ 常に高みを目指して

NPO法人ドットジェイピー北海道支部に聴く 若者の積極的な社会参画・投票率向上を目指して、学生 に ソーシャル・インターシップ を提供するNPO法人ドットジェイピー。「…

~学生新聞に見る北海学園七十年史~(15)私たちの時代(中編)  2020年1月~2021年7月

① コロナ禍のはじまり この手の無難なエッセイにありがちな「今後の展開が見逃せない」タイプのオチにしては珍しく、記事の発表からほんの数カ月後に私たちはその実例を目…

参加者に聞く!

この記事は再々刊第1号に掲載出来なかった第55回全道ロシア語弁論大会参加者へのインタビュー記事です。  我々は弁論大会聴講中に興味深い参加者に出会った。その方はAク…

確認しよう、ワークルール

本学の川村雅則(経済学科教授)ゼミナールが毎年作成している「北海学園大学学生アルバイト白書」2023年版の連載が、北海道労働情報NAVIのホームページにて公開されている…

~学生新聞に見る北海学園七十年史~(14)私たちの時代(前編) 2018年4月~2020年2月

 2018年4月。3号館[1]の西向きの階段を昇りきり、42番教室に後方の扉を堂々と開け放ち入ると、当然のように講義は始まっていた。時刻は9時13分。大学の教室には時計が無…

~学生新聞に見る北海学園七十年史~(12)全体性の喪失と“ミクロ化”の新世紀へ 1997~2017

●さらば教養部  これまでこのシリーズを読み進めてきた賢明なる読者の中に「教養部」というワードについて頭に疑問符を浮かべた人も多いのではないだろうか。  教養部とい…

~学生新聞に見る北海学園大学70年史~来たる「昭和67年」のために/「サブ」の時代 1987~1992~1997

※サムネイルの画像は本学新聞にあった若かりし日の大泉さんである  1994年10月、ついに現代の北海学園の最大のシンボルとなる地下鉄東豊線学園前駅、そしてそれに付随す…

6月23日から東北学院大学との定期戦~悲願の初優勝なるか~

本学は東北学院大学と様々なスポーツ競技で戦う「定期戦」を1955年からおこなっており、今年2023年の大会が第69回となる。  1952年に設立され、当時北海道唯一の私立大学…

~学生新聞に見る北海学園七十年史(後編)~(10)〈創立百周年〉と「北の早稲田」の栄光 1986~1994

 自らの生きる21世紀と長い「平成」と動乱の令和の世を憂い、金と人が愚奔していた「80年代」を愛する私の感情を吐露するならば、本学学生新聞が「面白かった」時期はこの頃だけ…

~学園新聞に見る北海学園七十年史(後編)~(9)復活 1977~1986 

●「学園黒書」をもう一度  長い「学園紛争」は終結し、「シラケ」の時代がやって来た。 しばしばこのように語られるこの時代に北海学園大学新聞会は〈再刊〉第1号を発刊…

学生新聞に見る北海学園七十年史~(九)”大学紛争“の時代④ 明暗/”歴史の終わり“のはじまり(第一部 最終回)~

●明暗/とある助教授の死  1970年4月14日火曜日の道新夕刊は、この日の午前9時頃に発生した事件を写真付きで取り上げた。それは北海学園大学経済学部の助教授が札幌市平…

学生新聞に見る北海学園七十年史(8)~“大学紛争”の時代③ 「民主化闘争」の終焉と「森本二十年構想」~

   世間では東京五輪のレガシーがどうこうという話題が一時期盛んであったが、五輪は時に都市や自然に傷跡を残すことがある。札幌五輪では恵庭岳の自然破壊などがそれに…

学生新聞に見る北海学園七十年史(七)“大学紛争”の時代② 赤い青と学ラン、そして空白(後編)1967~1970

 1967年に理事会が「図書館・体育館の設立」「経営の赤字解消」「人件費の増加」を理由に35000円の学費値上げを発表。以後学費闘争が展開されることとなる。  この年の11月の…

【硬式野球】3試合連続ホームラン 開幕3連勝を飾る

【硬式野球】3試合連続ホームラン 開幕3連勝を飾る

令和6年度札幌学生野球連盟春季1部リーグ 5月2日 第1節第3試合

北海学園大学 ― 東海大札幌キャンパス

【スタメン】

北海学園大学

1(三)森 晴斗    (④・法・知内)

2(二)杉林 蒼太   (③・経済・北海)

3(遊)常谷 拓輝   (③・人文・札幌静修)

4(指)南 泰成    (④・法・北海)

5(中)下向 航    (③・経営・浦河)

6(左)中島 柊    (

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【硬式野球】開幕2連勝!最速155キロ右腕工藤が5回7奪三振の好投

【硬式野球】開幕2連勝!最速155キロ右腕工藤が5回7奪三振の好投

令和6年度札幌学生野球連盟春季1部リーグ 4月30日 第1節第2試合
北海学園大学 ― 札幌大学

【スタメン】

北海学園大学
1(三)森 晴斗(④・法・知内)
2(二)杉林 蒼太(③・経済・北海)
3(遊)常谷 拓輝(③・人文・札幌静修)
4(指)南 泰成(④・法・北海)
5(中)下向 航(③・経営・浦河)
6(一)森 順哉(③・経営・札幌日大)
7(右)金野 颯汰(④・人文・札幌第一)
8(

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春季リーグ開幕!初戦を白星で飾る!

春季リーグ開幕!初戦を白星で飾る!

令和6年度札幌学生野球連盟春季1部リーグ 4月29日 第1節第1試合
北海学園大学 ― 札幌大谷大学

【スタメン】
北海学園大学
1(三)森 晴斗(④・法・知内)
2(二)杉林 蒼太(③・経済・北海)
3(遊)常谷 拓輝(③・人文・札幌静修)
4(指)南 泰成(④・法・北海)
5(中)下向 航(③・経営・浦河)
6(一)森 順哉(③・経営・札幌日大)
7(右)金野 颯汰(④・人文・札幌第一)

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学生が運営するインターンシップ 常に高みを目指して

学生が運営するインターンシップ 常に高みを目指して

NPO法人ドットジェイピー北海道支部に聴く

若者の積極的な社会参画・投票率向上を目指して、学生 に ソーシャル・インターシップ を提供するNPO法人ドットジェイピー。「『 私もできる 』を 私達がつくる。」の理念で知られる同法人は、多くの学生スタッフで運営されている。
全国津々浦々にある支部の中でも大きな支部だという北海道支部は、今年で 21年目を迎える。17名いるスタッフのうち、14名は本学の

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~学生新聞に見る北海学園七十年史~(15)私たちの時代(中編)  2020年1月~2021年7月

~学生新聞に見る北海学園七十年史~(15)私たちの時代(中編)  2020年1月~2021年7月

① コロナ禍のはじまり

この手の無難なエッセイにありがちな「今後の展開が見逃せない」タイプのオチにしては珍しく、記事の発表からほんの数カ月後に私たちはその実例を目にすることとなった。ご存知の通り2020年冬からしばらく私たちは(不織布)マスクを着用せざるを得なくなったのだが、しばらく経ってからそれを(なんとなく)外した時、私たちは果たしてどのような目的意識で外したのやら。マスクを着用していた目的

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参加者に聞く!

この記事は再々刊第1号に掲載出来なかった第55回全道ロシア語弁論大会参加者へのインタビュー記事です。

 我々は弁論大会聴講中に興味深い参加者に出会った。その方はAクラス第3位の岡山県から出場した会社員の角南順哉さんだ。角南さんは北海道の詩人である文一郎と日露関係について述べたのだが、途中河邨が作詞し、札幌市営地下鉄の接近メロディーにもなっている(取材当時)「虹と雪のバラード」をロシア語で熱唱し、

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確認しよう、ワークルール

確認しよう、ワークルール

本学の川村雅則(経済学科教授)ゼミナールが毎年作成している「北海学園大学学生アルバイト白書」2023年版の連載が、北海道労働情報NAVIのホームページにて公開されている。本学学生を対象に行った調査で得た回答を基にしたこの白書では、本学学生の多くがワークルールを知らぬままに働き始めている現状を明らかにしたうえで、詳細な結果の分析とワークルールの大切さについて論じられている。


制度や職場の現状が

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~学生新聞に見る北海学園七十年史~(14)私たちの時代(前編) 2018年4月~2020年2月

~学生新聞に見る北海学園七十年史~(14)私たちの時代(前編) 2018年4月~2020年2月

 2018年4月。3号館[1]の西向きの階段を昇りきり、42番教室に後方の扉を堂々と開け放ち入ると、当然のように講義は始まっていた。時刻は9時13分。大学の教室には時計が無いらしいので仕方なく持参した安っぽい腕時計を見やる。俯きながら教室右方の通路を通り空席を探す。後ろから5~10列目のあたりに空席を見つけ、3人席の真ん中に座る男子学生にことわりを入れてから座る。本当は窓際の2人席に陣取って左隣の

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~学生新聞に見る北海学園七十年史~(12)全体性の喪失と“ミクロ化”の新世紀へ 1997~2017

~学生新聞に見る北海学園七十年史~(12)全体性の喪失と“ミクロ化”の新世紀へ 1997~2017

●さらば教養部
 これまでこのシリーズを読み進めてきた賢明なる読者の中に「教養部」というワードについて頭に疑問符を浮かべた人も多いのではないだろうか。
 教養部というのはおよそ四半世紀前まで日本中の大学にあった制度で、大学2年次まで(必要な単位などを取得出来なければそれ以降も)どの学部の学生であっても同じように、今日では「一般教育科目」に分類されるような科目しか受講出来ないものであった。
 今や国

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~学生新聞に見る北海学園大学70年史~来たる「昭和67年」のために/「サブ」の時代 1987~1992~1997

~学生新聞に見る北海学園大学70年史~来たる「昭和67年」のために/「サブ」の時代 1987~1992~1997

※サムネイルの画像は本学新聞にあった若かりし日の大泉さんである

 1994年10月、ついに現代の北海学園の最大のシンボルとなる地下鉄東豊線学園前駅、そしてそれに付随する大学6号館が完成[4]した。この前年には人文学部も設置され、本学における「現代」(もしくはコロナ禍まで続く「平成」)の幕が開けた。

●人文学部の誕生と女子学生数の増加、そして地下鉄

 「平成」の本学(と呼ばれることも少なくなっ

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6月23日から東北学院大学との定期戦~悲願の初優勝なるか~

6月23日から東北学院大学との定期戦~悲願の初優勝なるか~

本学は東北学院大学と様々なスポーツ競技で戦う「定期戦」を1955年からおこなっており、今年2023年の大会が第69回となる。
 1952年に設立され、当時北海道唯一の私立大学であった本学は、教授・学生共に大学の知名度を高めることに尽力していた。その中でスポーツ交流の話が出て、すでに存在していた北海道大学と小樽商科大学の総合定期戦のようなものを企画する案が出た。
 
 対戦相手は帯広畜産大学や室蘭工

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~学生新聞に見る北海学園七十年史(後編)~(10)〈創立百周年〉と「北の早稲田」の栄光 1986~1994

~学生新聞に見る北海学園七十年史(後編)~(10)〈創立百周年〉と「北の早稲田」の栄光 1986~1994

 自らの生きる21世紀と長い「平成」と動乱の令和の世を憂い、金と人が愚奔していた「80年代」を愛する私の感情を吐露するならば、本学学生新聞が「面白かった」時期はこの頃だけである、とさえ思っている。

 そこそこの高偏差値とどこか知性の漂う自虐、そして飛び交うネタの数々に、エッセンスとしての社会派記事――。新聞会初代会長は「再刊以来レベルダウンした[1]」と言ったそうだが、私はむしろ再刊後の約20年

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~学園新聞に見る北海学園七十年史(後編)~(9)復活 1977~1986 

●「学園黒書」をもう一度

 長い「学園紛争」は終結し、「シラケ」の時代がやって来た。
しばしばこのように語られるこの時代に北海学園大学新聞会は〈再刊〉第1号を発刊した。その記念すべき第一面の見出しは『対東北学院大学定期戦 近年にない壮挙をあげる』というもので、民青系学生の関与が強かった時代の紙面では大きく扱われることの少なかった定期戦についての記事はやがて旧刊に比べて視線が学内へ向きがちな『再刊

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学生新聞に見る北海学園七十年史~(九)”大学紛争“の時代④ 明暗/”歴史の終わり“のはじまり(第一部 最終回)~

学生新聞に見る北海学園七十年史~(九)”大学紛争“の時代④ 明暗/”歴史の終わり“のはじまり(第一部 最終回)~

●明暗/とある助教授の死

 1970年4月14日火曜日の道新夕刊は、この日の午前9時頃に発生した事件を写真付きで取り上げた。それは北海学園大学経済学部の助教授が札幌市平岸の自宅で妻との無理心中を図り、妻は逃れたという内容のものであった。この享年39歳の財政学担当の助教授は名を宮下幸太郎といった。道新記事によれば「宮下さんは学生部委員を委嘱された直後から『学生部委員を押しつけられて困っている』と悩

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学生新聞に見る北海学園七十年史(8)~“大学紛争”の時代③ 「民主化闘争」の終焉と「森本二十年構想」~

学生新聞に見る北海学園七十年史(8)~“大学紛争”の時代③ 「民主化闘争」の終焉と「森本二十年構想」~

 

 世間では東京五輪のレガシーがどうこうという話題が一時期盛んであったが、五輪は時に都市や自然に傷跡を残すことがある。札幌五輪では恵庭岳の自然破壊などがそれにあたり、現在でもその痕跡は視認可能だという。

 その一方で半世紀以上の月日を経てなお残る五輪の傷跡を活用し、見事札幌市に「逆襲」してのけたのが本学だ。森本前理事長は自著[1]の中で、拡幅された平岸街道のために売却された校地の代替となる市

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学生新聞に見る北海学園七十年史(七)“大学紛争”の時代② 赤い青と学ラン、そして空白(後編)1967~1970

学生新聞に見る北海学園七十年史(七)“大学紛争”の時代② 赤い青と学ラン、そして空白(後編)1967~1970

 1967年に理事会が「図書館・体育館の設立」「経営の赤字解消」「人件費の増加」を理由に35000円の学費値上げを発表。以後学費闘争が展開されることとなる。

 この年の11月の自治会委員長選挙は「学費値上げ絶対阻止」を掲げた友田晶の勝利によって幕を閉じた。学費闘争はいよいよ激化する。

 翌68年2月7日には全学投票によって「スト権」が確立。この時の学生新聞に掲載された新聞会・文化協議会・厚生委

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